「正しい」について考える
理容師さんだって左利き
幼少期、理容師さんはみんな左利きだと思っていた。もちろんそんなことは無く、鏡に映っている姿を見ただけのことである。かなり子供の頃だし、すぐに右利きであることに気付く。ちなみに、美容院で髪を切ったことは無い。
ボーっと生きてんじゃねーよ!!
以前、NHKの「チコちゃんに叱られる」で「なぜ鏡は左右逆に見える?」というテーマを扱っていた。そこでは、まず、左右の定義について説明されていた。「前後と上下という要素がないと、左右も定義できない」というような説明。なるほど。
そもそも前後が不明確になる鏡では、左右の定義も不明確になるのだ。ちなみにチコちゃんは「わからない」って言っていた。ボーっとしてやがる。
正
好きな漢字を聞かれたら、「正」と答えようと思っている。正義とか正解とかに使われる漢字だが、意味が好きなわけではない。ましてや、成り立ちが好きなんてこともない。
このシンプルな漢字が、上下、左右、共に非対称なのがいいのだ。ちなみに、人生で一回も好きな漢字を聞かれたことは無い。たぶん、今後も無い。
逆正
左右反転された正を見て、『間違っている!』と声高らかに叫ぶ者もいる。だが、ちょっと待ってみよう。これって『自分から見れば間違っているが、反対側から見れば正しいのでは?』とも考えられる。
自分と相手の間にこの字が浮かんでいたとしたら。この正の字が正しいか正しくないかで議論するのは不毛じゃないか?少なくとも相手側の視点での考察もするべきだ。
まぁ、たまに逆立ちして上下反転させてるようなやつもいるが、それもまた人生だ。なんにせよ、自分だけの視点で考えても、何が正しいかの結論はなかなか出ない。
『自分が正しい』≠『相手が間違っている』
何かを議論する時に『自分が正しい』と信じることは悪いことじゃない。でも、自分が正しいからといって『相手が間違っている』とは限らない。つまり『相手が間違っているから自分は正しい』という方程式は成り立たないんじゃないかな。
そうすると、『自分の正しさを押し通すために、相手が間違っていることにする』行為に、意味があるのだろうか?SNS上で熱い議論が交わされている時とか、特に強く感じる。
そして、選挙運動中にも強く強く感じるよね。投票日は2日後だ。どんな結果が出るのやら。
(終)