フリースタイルラップをやりたいけど壊滅的に言うことがなさすぎる
最近、フリースタイルラップの練習を始めた。
「なんやねんそれ」
という清く正しい方のために説明しておくと、フリースタイルラップというのは、即興でラップをするスタイルのことを指す。
「ラップて、なんやねんそれ」
という探求心が強い方のために説明しておくと、ラップというのは、うまいことリズムを取りながら思ったことをまくしたてる歌唱法のことである。
「まくしたてる、て。楽しいんかそれ」
なんだお前、めちゃくちゃ喧嘩腰で来るな。
ラップには重要な要素がいくつもあるんだぞ。
母音を重ねて文章を作るライムだとか、音程の強弱で流れを生み出すフロウとか、あとリズムキープとか……。
ラッパーはこれを即興でやってるんだが? ん?
「あ、そう……じゃあ頑張ってな」
帰っていきやがった。絶対友達いないだろ、あいつ。
あんなやつほっといてラップの練習するか、よーし……。
こ、こんにちは。えっとですね、本日は……お天気も良く……
挨拶と、天気の話をしてしまった。
完全に雑談である。それも相当会話レベルが低いほうの。
そもそも実際のラッパーたちは深夜の地下道やらクラブにいるはずなので、太陽の様子を拝めるはずもない。
違う違う、ぼくがやりたいのはこう、もっとビシっとした、かっこいいラップなのだ。
気を取り直して、クラブでラッパーたちに一発かますところを想像しながらやるか、よーし……。
YO……天気以外の話をするぜ……YO……趣味はなんですか
いや、こっちが先に言ったほうがいいですね
ぼくの趣味はですね……そうだな、うーん
すみません、自分で振っといてなんですけど、趣味の話って難しいですね
YO
好きな本の話でいいですか?
月と六ペンスって言うんですけど
中年男性が仕事と家族を捨てて国外に逃亡して、絵を描き始める話です
いやめっちゃ面白いんですよ
YO
マジですマジ
YO YO
あと最近また財布落としたんですけど
落とし物タグ買って入れてたから
どこにあるか一瞬でわかったんですよ
電車に忘れてました
そのまま隣の県まで行ってました
YO
駅の落とし物センターの人が
またお前か
みたいな顔してたんで
マジで悔しかったです
こっちはちゃんと落とし物タグ入れてるのに
落とさないように対策してるのに
YO YO YO
そもそも忘れたぼくが悪いんですよね
そうですよね
すみません
YO
もはやラップとかそういう次元ではない。
健康なのに話し相手を求めて病院に通うジジイのほうが、まだ中身があることを言っている。
というか、こんなものをクラブで意気揚々と披露されたラッパーたちはどう思うのだろう。
彼らは劣等感に近い何かを抱えながらそれをHIPHOPというアートに昇華している。
「HIPHOP、はみ出しモンの文化だろうが」という有名なことばにもそれは現れている。
しかし、ぼくのラップと言えない何かは、社会からはみ出すどころの騒ぎではない。少なくとも週一で財布を落としている人間が目の前にいるのだ。
「俺よりやばい奴がいるんだ」
このように、ラッパーたちは胸をなでおろすかもしれない。
そうやって彼らがHIPHOPに執着することなく生きていくのであれば、それも幸せのひとつなのだろう。
下を見てゆるやかに日々を過ごすのも立派な処世術だ。
大変な事実に気づいてしまった。
ぼくの下がいない。
はみ出しモンが集まるHIPHOPの世界からもはみ出してしまった。
絶望である。ラップもできない、下もいない。
当然のように友達もいない。
一体ぼくはどうすれば……?
「まだやってたんかお前」
あっ、さっき帰っていった奴だ。
また冷やかしにきたのか。好きにしろよ。
どうせお前も、惨めなぼくを指差して冷ややかに笑うんだろ。
あの落とし物センターの人みたいに。
「なんの話やねん。どうでもいいから飯食いにいこや」
えっ?
「お前友達おらんのやろ。俺もおらんねん。ちょうどええやろ」
あっけらかんと話す彼の表情はとても清々しくて、ぼくは自分の存在を認められた気がした。
自分の価値を見出すために、ぼくはフリースタイルラップをやろうとしていた。だけど、それはただの遠回りでしかなかった。
本当に欲していたものは、目の前にあったのだ。
「そういえば、名前訊いてなかったわ。なんて言うん」
えっと、といはるです。
「そか」
……はい。
「……」
……。
「なんか喋れや」
こ、こんにちは。えっとですね、本日は……お天気も良く……
「天気とかだれも興味ないわ」
そうですよね
すみません
YO