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障害者アート「芽夢」2025


ふくちゃんの新作

楽しいフルハウスさんにて個性を伸ばすお手伝いをさせていただいております。 

活動の詳しい詳細は以下の記事をご覧ください。

着々と個性が伸びています!

金森さん
ハートシリーズ
ゆうや君
合体動物シリーズ

アートの力で「障害」という枠を超え、
個性を自由に解き放つ

私たち一人ひとりが持つ違いや特性は、社会の中では時に「障害」と呼ばれ、生きづらさを生むこともあるけれど、アートや表現を通じてそれらを解き放つことで、ただの「違い」ではなく「価値」へと変えていくことができます。

またアートは、一方的な「理解」や「支援」ではなく、互いの世界をつなぎ、偏見や誤解を超えていく力を持っています。

だからこそ、特性や障害を制限ではなく表現の一つとして捉え、ありのままをアートにすることで、誰もが自分らしく輝ける世界を創っていくことができます。

「障害」や「特性」という言葉には、どこか「足りないもの」「乗り越えるべきもの」というイメージが一般的ではないでしょうか。

しかし、本当にそうでしょうか? 例えば、ある人の「独特な色彩感覚」や「繊細すぎる感受性」は、日常では生きづらさを感じることがあるかもしれません。でも、それをアートにしたとき、誰にも真似できない唯一無二の表現になります。それは「欠けているもの」ではなく、むしろその人にしか生み出せない「新しい価値」なのです。

だからこそ、障害や特性を、ただの「制限」ではなく、「表現の一つ」として捉えることで、誰もが自分らしく輝くことができる世界をつくっていきたいと思っています。

アートの力は、私たちの違いを価値に変え、偏見や誤解を超えて、人と人とをつないでいくことができると信じています。

最後に、私たちが大切にしている「個性を伸ばす」とは、誰かに評価されるために努力することではなく、ただ楽しく描き、創り、心のままに表現することです。

それは、「うまく描くこと」や「人に認められること」が大切なのではなく、「自分が楽しいと思えること」が、すでに価値のある表現だということです。

アートの世界には、正解も間違いもありません。どんな色を使おうと、どんな形を描こうと、それはすべて「自分だけの表現」として存在することができます。だからこそ、楽しさの中で表現を続けていると、無理に何かを「伸ばそう」としなくても、個性は自然と花開いていくのです。

好きなように筆を動かし、思うままに色を重ねる。その一つひとつの瞬間が、自分の可能性を広げていきます。

大切なのは「楽しい」と感じること。楽しむことができれば、表現することが好きになり、好きになれば続けたくなる。そして続けるうちに、気づいたら自分の個性が形になり、自分だけの世界が広がっていき、やがて、誰かの心に届きます。

5月は、以下の取り組みにて、養老芸術祭にて、楽しいフルハウスさんにある知識や声を通して、障害への理解を促進するアートが発表されます。

4/26〜 6/28
ゆうや君の展示会が、ぎふ清流文化プラザにて開催されますのでぜひ楽しみにしていてください。

11月には農場内での展示会を予定しております。

彼らの今後の活動を楽しみにしていてください!

以下は私なりに障害について考えてみました。

障害とは


私たちは日々、さまざまな違いを持ちながら生きています。その中で、「障害」と聞くと、どこか遠い存在のように感じる人もいるかもしれません。

でも、本当にそうでしょうか?
障害は、決して「特別なもの」ではなく、誰にとっても身近なものです。それは、支援をする側も、支援を受ける側も、いつでも入れ替わる可能性があるからです。

例えば「障害」と聞いたとき、皆様はどんな人を思い浮かべますか?

車いすの人、白杖を持っている人、手話で会話する人、など。

確かに、これらも「障害」の一つの側面です。
でも、障害には 目に見えないもの もたくさんあります。

例えば、

  • 言葉で気持ちを伝えることが難しい

  • 大きな音や強い光がつらく感じる

  • 予定変更に戸惑いやすく、気持ちの切り替えが苦手

こうした特性は、外からは分かりにくいかもしれませんが、 本人にとっては日常生活に大きな影響を与えるもの です。

社会の仕組みや周囲の環境が、その人の特性にうまく対応しきれていないことで、「生きづらさ」 につながってしまうことも多いのが現状です。

では、どうすれば 誰もが安心して暮らせる社会 になるのでしょうか?

「障害」は、社会との関係で生まれるもの


「障害者」と聞くと、「できないことが多い」と思われがちですが、でも、本当にそうでしょうか?

例えば、

  • 言葉をうまく話せない人に、ゆっくり話しかけたり、簡単な言葉を選んだりするだけで、会話がしやすくなります。

  • 変化が苦手な人に、事前にスケジュールを伝えるだけで、落ち着いた行動に繋がります。

  • 順番を待つのが苦手な人に、「あと何分で呼ばれるか」を伝えるだけで、不安が減ります。

こうした ちょっとした工夫 で、その人の「できること」はぐんと広がるのです。

これは「障害がある人を特別扱いする」 のではなく、ちょっとした配慮があれば、多くの人がもっと自由に、もっと安心して暮らせるようになる。

それは、決して「特別なこと」ではなく、私たち全員にとって「心地よいこと」なんです。

「頑張ればできる」は、必ずしも正解ではない


努力だけでは解決しないことがある

「努力すればできるはず」
「慣れれば平気」

そんな言葉が、時に障害のある人を苦しめることがあります。

障害のある人の中には、「努力が足りない」と言われてしまうことがあります。

でも、それは本当に正しいのでしょうか?
たとえば、目の前に高い壁があったとします。
その壁を登るために、一生懸命ジャンプする人がいたら、「もっと頑張れ!」と声をかけたくなるかもしれません。

でも、もし隣に階段があれば?

ジャンプし続けるよりも、階段を使うほうが、ずっと楽に上に行けますよね。もしその場に温泉があったらそこへ行ける人も増え相乗効果も期待できます。

障害のある人が「できない」イメージを持たれてしまう背景には、階段がない状態で「飛べ」と言われているようなことが沢山あるからかもしれません。

私たちができることは、環境や仕組みを整えることなのではないでしょうか。

その配慮ある仕組みが、ひいては私たちも暮らしやすい社会にも繋がっています。

もう一つ事例を交えてお話ししたいことがあります。

たとえば、文字を読むのが苦手な人がいます。
その人はどれだけ練習しても、スラスラ読めるようにはなりません。それは 脳の特性 の違いであって、「努力不足」ではないのです。

また、感覚が過敏な人にとって、大きな音やまぶしい光は 痛みや恐怖に近いもの かもしれません。「慣れれば平気でしょ?」ではなく、 「その人に合った方法を一緒に考える」 ことが大切です。

頑張りすぎることが苦しみにつながるなら、「どうしたら無理なくできるか?」を考えるほうが、ずっと前向きな解決策になるはずです。

「かわいそう」ではなく、「活かす」を考える


「助けること」が目的ではなく、「活かすこと」を考える

「障害があると大変そう」「かわいそう」
そんなふうに思うことがあるかもしれません。

でも、障害のある人が求めているのは、 「特別な同情」ではなく、「自分らしく生きること」 です。

例えば、

  • 目が見えなくても、点字や音声案内があれば情報を理解できる。

  • 知的障害があっても、得意な作業に集中すれば素晴らしい成果を生み出せる。

  • コミュニケーションが苦手でも、文字や絵を使えば自分の気持ちを伝えられる。

大切なのは、 「できないこと」ではなく、「どうすればその人の力を活かせるか」を考えること
それが、 誰もが自然に支え合える社会 につながっていくのではないでしょうか。

今は元気に動ける人も、いつか年をとり、身体が思うように動かなくなるかもしれません。病気や事故で、歩けなくなったり、耳が聞こえにくくなったりするかもしれません。「障害」は、特別な誰かだけのものではなく、私たち全員にとって、いつか向き合うかもしれないもの。だからこそ、「助ける側」「助けられる側」と分けるのではなく、お互いに支え合える社会をつくっていくことが、大切なのだと思います。

支える側と支えられる側という境界をなくす


誰もが「支援される側」になる可能性がある

「支える人」と「支えられる人」
こう考えると、どこか線引きがあるように感じるかもしれません。

でも、私たちは日々の暮らしの中で、 助けたり、助けられたりを繰り返しながら生きている のではないでしょうか?
今は健康でも、病気や事故、加齢によって 「できないこと」が増えることは、誰にでも起こり得ること です。
もし、そんなとき

  • 「迷惑をかけたくない」と助けを求めるのをためらう社会だったら?

  • 「できないことは自分で何とかすべき」と追い詰められる社会だったら?

  • 「もっと頑張ればできるはず」と無理を強いられる社会だったら?

きっと、誰もが 生きづらさ を感じるのではないでしょうか。

だからこそ、

  • 「助けを求めても大丈夫」と思える社会

  • 「できないことがあっても工夫すればいい」と考えられる社会

  • 「無理に頑張らなくてもいいよ」と認め合える社会

こうした社会をつくることは、 決して「障害のある人のためだけ」ではなく、私たちみんなの安心につながること だと思うのです。

「知ること」が、つながりを生む


「どう接していいかわからない」
「専門家じゃないから、自分には関係ない」
「特別扱いするのは違う気がする」

そう思うこともあるかもしれません。

でも、ちょっとだけ目を向けてみてほしいんです。

  • 階段しかない場所に、スロープはあるかな?

  • 音の大きい場所で、耳をふさいでいる人はいないかな?

  • 会話が必要な場所で会話が苦手そうな人はいないかな?

そんな、小さな気づきが増えるだけで、社会は少しずつ変わっていきます。

「何かをしなくちゃ」と気負う必要はなくて、
「ちょっと気にしてみる」だけでいいんです。

誰もが、少しだけ優しくなれる社会。
それが、きっと「障害」という言葉すら気にならなくなる世界につながるのかもしれません。

例えば

  • 知的障害のある人は、言葉の理解に時間がかかることがある → ゆっくり、シンプルな言葉で伝える

  • 自閉症の人は、突然の変化が苦手 → 予定変更は事前に伝える

  • 感覚が過敏な人は、大きな音や強い光がつらい → 刺激を抑えた環境をつくる

など。

こうした知識を持っているだけで、お互いに心地よく過ごせるかもしれません。

「知ること」が、よりよい社会への大きな一歩 につながります。

メッセージ


私たちが暮らす社会には、さまざまな特性や個性を持つ子どもたちや人々がいます。その中には「障がい」と分類される方々もおられ、絵を描くことが大好きな方も少なくありません。しかし、そうした方々が自由に表現し、才能を伸ばせる環境は、まだ十分に整っているとは言えないのが現状です。

現在、社会で活躍されている障がいを持つアーティストの多くは、特別なご縁や適切な支援に恵まれたことで、その才能を開花させる機会を得ています。一方で、そうしたチャンスに巡り合えず、自らの可能性を十分に発揮できていない方も多くいらっしゃいます。例えば、黒一色で塗りつぶすような絵を描くお子さんを見たとき、その行為の奥にある表現の可能性に気づくのは、決して容易なことではないかもしれません。

「今は絵を描いている場合ではないのでは」と感じる親御さんもいらっしゃるでしょう。日々の生活の中で、お子さんの将来を考えると、どうしても優先すべきことが多くなるのは自然なことです。そのため、「絵を描くことが好き」という純粋な気持ちを持ちながらも、十分な経験を積む機会を得られない子どもたちがいます。

こうした状況は、さまざまな理由から多くのご家庭で見られます。障がいを持つお子さんを育てる親御さんにとって、将来への不安は常に伴うものです。だからこそ、「絵が好き」という気持ちが、お子さん自身やご家族にとって「希望」につながるような社会を、一緒に築いていけたらと願っています。

私はこれまで、多くの場面で目にしてきました。個性は必ず伸びるのだと。そして、その第一歩は、純粋に絵を楽しむことから始まるのだと、実感しています。

また、絵を通じて個性を伸ばすことで、誰もが社会とつながることができます。決して孤立する必要はありません。絵は、障がいや特性を超えて、人と人をつなぐ力を持っています。

これから、絵を描くことが好きだという、そのまっすぐな気持ちが、未来への希望につながるような仕組みをつくっていきたいと思います。

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