気付けば 五十路前5 (試される私)

相変わらず、祖母と兄と3人で暮らす日々(本当は5人家族なのに)

朝、起きても祖母しか居ない。父親は仕事で早朝に家を出て行く。

パジャマを着る習慣がなく、部屋着というものもなく、いつもの服をお風呂の後、そのまま着て眠り、その上に園児服を着る。歯を磨く事も、寝癖を直す事もなく(自宅にドライヤーがあった記憶もない)

以前、母親が母親の知り合いに私の事を

「凄い寝癖そのまんまで、幼稚園行くもんなぁ、この子は」と笑って話していた。

私は母親の横で愛想笑いをしていた記憶がある。

この時の私はただの野生児だった。何も教わっていない、何が良い事なのか、何がいけない、悪い事なのかも分からない。無知の為、朝の習慣も分からず、またそれが若干5歳では、何がおかしいのか分かる術もなかった。寝癖がなぜ付くのかは勿論、寝癖の直し方が分かる筈もなく、また寝癖が恥ずかしいという認識さえもない。

酷いもんだ、そりゃ、虐められるのも分かる。

私は現在、鳥と犬を飼っているが、犬や猫、鳥でさえも躾をするといろいろな事を覚えて行く。当時の私は【お手を覚える前の犬と変わらない。

何一つ、日常生活のルールを知らないんだから。

母親は知り合いにまるで私が好き好んで、寝癖髪のまま幼稚園に行くような言い方をしていたが、当時の私は寝癖をどうするかどうしたら良いかも分からない。

いつもギリギリに起きて、朝ご飯を食べる事もなく(もともと食べない家庭だったのでそれが普通と思っていた)時間ギリギリで一緒に登校するグループに合流する。

これが私の中の朝のルーティン。

そして、幼稚園では「汚い、臭い」と虐められる。

何も楽しい事なんてない。ただテレビだけが私を笑顔にしてくれた。

何故、両親や祖母が私に歯磨きをする習慣を身に付けさせたり、寝癖の直し方を教え、覚えさせなかったのかは、今でも分からない。

5歳の私が、自分自身で気が付いて歯を磨き、寝癖をドライヤーで直せると思っていたのだろうか?5歳児が自ら、自主的に?自然と覚えられるものなのか?

親たちは、大人の誰かがそれらを教えてくれていると思っていたんだろうか?

今思うと、ただただ誰も関心がなかっただけなんじゃないかな、私に。

母親は、だんだんとお店に泊まる事が多くなった。お店が休みの日でさえも、お店の2階の住居スペースで過ごし、私と兄がお店まで母親に会いに行くという日が続いた。

この日も私は母親に会いに、お店に来ていた。兄は公園に遊びに行って居なかった。

お店はお休みで2階の住居スペースに母親が居た。              お店のお客さんと一緒にコタツに入っていた。

このお客さんは、近所に住む独身の方で、自身の弟と一緒に就職の為、九州地方から出て来たらしい。

近くのアパートに実弟と住んでおり、目と鼻の先の母親のお店の常連客だった。私の事も一緒に遊んでくれたり、お菓子をくれたりとよく可愛がってくれていた。

父親との面識もあり、自宅に来て、一緒に花札をしていたのを覚えている。

私はこのお客さんを「〇〇(名字)のお兄ちゃん」と呼んでいた。

そのお兄ちゃんと母親と私で3人でコタツに入っていたが、何かおかしい。                                   何故か私は、今ここに居ては行けないんじゃないかと思った。

5歳児にして、空気を読む感覚が身に付きかけた瞬間だった。

気まずい雰囲気が(私の中でだけ?)流れ、コタツの中に潜って寝てしまおうと思い、勢いよくコタツ布団をめくった時に、母親とお客さんが手を繋いでいるのが一瞬、見えた。

手は直ぐに離されたが、私は何も言えず、ただ私の【心の中の鼓笛隊】がパレードを始め出した。心の鼓笛隊は街中を練り歩いている。駄目だ、花火まで打ち上がっている。

ドンドン・ドキドキ・ドドンドドン・ドキンドキン

あー、見てはいけないモノを見てしまった。5歳児には強い刺激。

家に帰っても(一人で帰宅した)ドキドキさは、なかなか治まらなかった。  【心の中の鼓笛隊】に解散!と言い渡しても、まだまだ肺活量めいっぱいに吹いている。良いパレードじゃないのよ、もう、やめてあげて。

母親はきっといけない事をしている。幼心でもそう分かった。だから、母親は家に帰って来ないのだと何かが繋がった。

       5歳にして、私、凄い。名探偵。

その後、私は人生で初めて、勇気を振り絞って、祖母に今日の話をした。    その時の祖母の表情や反応は覚えていない。

何故なら、私は顔を下に向け、祖母と目線が合わないようしながら、ほぼパニックの興奮状態で話をしており、話を終えた記憶さえないのだから。

自分が虐められている事さえも言えない、極度の人見知りの私にとって、人に話を伝えるという行為は、一大事であり、祖母に話をした、祖母に話を伝えられたという時点で私のその日のHPは消滅した。

何故、そうまでして祖母に話をしたのか。

祖母に話す事で私は、母親が以前のように家にまた帰ってくるだろうと思っていた。【いけない事】を祖母なり、父親から注意してもらえば、母親は家に帰って来る。そして、また前みたいに一緒に暮らせる、そう思っていた。

私の虐めの事なんかより、母親がまた家に戻ってきてくれる方が私には嬉しかった。これで良くなると思っていた。

「お前の事、お母さんが【嘘つきや】言うてたで」                    

ある時、笑いながら父親が私に教えてくれた。

「何の話?」私は父親に聞いた。意味がさっぱりわからなかった。

「お前、前に、ばあちゃんにお母さんの事、言うたやろ?手を繋いでたって、あれ、お母さんに聞いたらな 

「あの子は、嘘つきやから」って言うてたんや」

と、面白い話をする時の顔つきで父親が笑いながら、教えてくれた。

「嘘ちゃうもん、見たもん」

「やけど、お母さんはあの子は、前から嘘つきやから言うてた」

私が嘘つき? 前から、嘘つき? 

・・・・・この名探偵の私が嘘つき? 5歳にして、前・か・ら嘘つき?

100歩譲って、手を繋いでいたのが見間違いだったとしても、休日に独身男性とコタツで二人が寝そべっているのは、普通なんだろうか?

ましてや母親との会話で嘘を付いたような記憶がない、そもそもそんなに会話をする時間もなかったので、嘘をチョイスするような会話もなかったはず。

お母さんの方が嘘つきじゃないか。それになんで父親はそんな話を笑って私に言ったんだろう。父親はどっちを信じたのだろう。

その日から、しばらく父親も母親も嫌いで仕方なかった。そして、もう何かを見ても私は誰にも何も言わないでおこうと思った。

勇気を振り絞って頑張って伝えた言葉は、大きな傷となって私にトラウマを背負わせた。




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といちゃん
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