気付けば 五十路前8(こないだのお話)

 

先日、兄から電話があった。

時間も22時過ぎていたし、兄から電話なんて滅多とない事(5年に1度ぐらいの割合)なので、何か不幸でもあったのか?と不安が過った。


『・・・もしもし?』

「おお、すまん。なぁ、お前さ、親父とお袋と4人でご飯食べた記憶ってあるか?」

『・・・え? 何? 急に。どういう事?』

「いや、嫁にさ【両親とお前と4人でご飯を家で食べた記憶ない、外でも食べた事ない】言うたら『そんなはずない、嘘だ』言うからさ」


『・・・・・・・無いな。  うん、無い』


「ほ〜ら、無いってよ。無い言うてるやろ〜」

どうやら奥さんに私の声を電話のスピーカーで聴かせているようだ。電話の後ろで奥さんの『嘘〜、ほんまなんや〜』と言う声が聞こえる。

「な、そうやんな。ありがとな。全く食べた事ない言うても、全然、信じてくれないからさ」

『・・・え? この電話って、それが聞きたかっただけ?! むっちゃ、何かあったんか思って焦ったんやけどっ』

「あー、すまんすまん 笑 いや、母親がご飯を作ってくれた記憶も俺は無いって話からなぁ、作ってもらうどころか、家族一緒にご飯を食べたこともないわって。これで納得してくれたわ。ありがとう、またな〜」


そういって電話は切れた。    ・・・そんだけ〜👆   笑



・・・いつも、兄と祖母と私と3人だけで食べてた。


大正生まれの祖母が作るご飯のおかずは菜葉を炒めるか煮るか、魚を焼くか。そのどちらかで、常におかずは一品だけであった。

たまに母親が、今でいうファミレスの様な所へ誰かと行った際に(お店のお客さん(今の旦那さん)だと思われる)お土産として煮込んだお肉料理を買って帰ってくれることがあった。

母親は子供にとって遅い時間に帰って来るので、お土産のお肉料理は祖母に『もう遅いから、明日にしなさい』と言われ、今すぐにでも食べたいのに食べれない私は、早く眠って早く次の日の朝になるようにと・・・

必死に目を瞑って寝ようとするが、興奮してなかなか眠れなかった。

それぐらい普段、食べる事が出来ない夢のようなお肉は嬉しかった。次の日の朝、母親はもう居なくて兄と2人で冷えたお肉をむしゃぶりながら食べてた記憶が兄からの電話で久々に蘇える。

お肉は冷めても美味しかったが、1度、暖かいのをお店で食べてみたかったな〜。



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といちゃん
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