子供を育てると体感で月残業何時間分になるのか
「かつて、主婦の労働を会社員にたとえたら、時給何円なのか」を形状する試みがあった。だが、その逆の発想である「子育てというプロジェクトが、働く人間にどれほどの負荷として感じられるのか」という問いかけはなかったように思う。
なぜ、この問いがなかったのか。おそらくは、子育てを負荷として語ることがタブーだったからだろう。あまつさえ「残業」として語るなんて! と、反射的にムカっとする人もいるかもしれない。
だが、私のような仕事大好き人間からすれば、これまでに生み出してきたすべてのアウトプットは私のかわいい子どもたちであり、かけがえのないものだ。自分の子と、仕事は同じく愛しい対象であり、同時に負荷を前提としたものだった。
どんなに愛していても、負荷はある。死ぬほど楽しい仕事が死ぬほどつらいように、死ぬほど愛おしい子がノロウイルスをばらまきながら、私の新刊をビリビリに破いてばら撒き続けたときは視界がクラクラした。「愛しい」と「つらい」は両立するのだ。そして、つらくても愛おしいのだ。
だからこそ、育児がどれくらいの負荷として感じられるのか? は、愛情の有無とは別のトピックとして、語られる必要がある。いくら愛おしくても、過労で人は死ぬ。特に、SNSで子育てがいかに大変かを語られがちな昨今は、「育児ってめちゃくちゃな労働負荷ではないか?」と思われがちなせいで、子無しを選ぶ人もいる。
そこで、まだ1歳になった子を抱えるだけの新米ではあるが、過去の育児を振り返って、実測値の「労働負荷」と、体感で感じる「労働負荷」を比較してみようと思う。
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