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フェミニズムが女を殺す (2021.07.14加筆) #トイアンナマガジン

こんなテーマで書きたくなかった。なにしろ、切腹しながら首切りに行くようなものだからである。

2021年7月に、世界の大手フェミニスト団体が共同声明を出した。内容はシンプルだ。

私たちは、人権は人と人とを区別するものではなく、その構造において普遍的で、分け隔てできず、奪うことができないものだという認識を強調します。私たちは、どんなグループの人々の人権も、他のグループの人権の犠牲の上に成り立つものではない、ということを確約します。
人権は、ジェンダー、性的指向、ジェンダー・アイデンティティ、ジェンダーの表現、性的特徴に関係なく、すべての人にとって固有のものです。

誰もが共感しやすいこの共同宣言だが、日本の「フェミニスト」を名乗る人たちはこれを猛烈にバッシングしている。

日本でフェミニストを名乗る方には、体は男性で心が女性の人(トランスジェンダー)を差別したり、セックスワーカーはすべて男性が女性を搾取した結果だと、差別する人も多いからである。

私はこういった昨今のトレンドを危惧して、この記事を書いている。


フェミニストとしての目覚め

私はフェミニストだった。そうなった理由はシンプルで、私がバイセクシュアルだからだ。

初恋の相手は女性だった。だが、私が好きな女性と暮らしていくには経済力が必要だった。しかし、私の住んでいる地域では女の正規職が教師か看護師か市役所職員くらいしかなく、これはさすがにおかしいだろうと考えた。

「なぜ同じ仕事をしていても女は非正規で、男は正社員なんだ?」

そんな事情があって、レズビアンカップルは、ゲイカップルに比べて貧困率がアホほど高い。男&男のカップルは正規ー正規職のパワーカップルになりやすいのに対し、女&女のカップルは非正規ー非正規ペアになりやすいからだ。たとえヘテロ(男ー女)カップルでも、同じ仕事をしていて女の方が経済的に不利益を被るのはおかしな話じゃないか。

こうして私はフェミニストになり、男女平等を求めた。10代だった。

ここから、メンタリティは今も変わらない。男性が一般職になれないのはなぜ? 女性が役員になりづらい理由は? 女性は結婚して子どもを産むから……と言うけれど、もう1/4のひとたちは生涯未婚になる予測だ。女性の賃金は男性の74.3%しかない。

社会に出ると先輩方から、あるいはパートナーの候補からこう言われた。「女は子どもを産み育てるからには、社会から守られるべき存在だ」と。

いやいや。もう20歳を超えた自分は、いい大人で、自分のケツは自分で拭くべきであり、代わりに賃金も「いっちょまえの大人として」くれよ、と言える立場であるはずだった。

こうして私は男女格差がほぼない外資系企業に入り、そしていまは社長をしている。このままいけば、ちょっとマッチョな経歴だけれども、男女平等主義者としてフェミニズムを支持するはずの人だった。

フェミニストたちに疑問を抱いた日

いまのフェミニズムに違和感を抱いたのは、2018年頃からだったと思う。フェミニスト、と名乗るグループが、男性を苛烈にバッシングしているのをSNSで見かけるようになったからだ。

Twitterに多いフェミニストとして、通称「ツイフェミ」と名付けられたグループは、男女平等というよりは男性を貶めることで、これまで傷つけられてきた過去を慰めようとしている集団として私には映った。

もちろん、これはただの主観だ。それに、Twitterに偏ったフェミニズム集団がいたところで、何だというのだろうか。ツイフェミと同じくらい女性を叩くことに執念を燃やすアカウントは多数あった。どっちもどっち、と私はとらえていた。

なにしろ、SNS以前には2ch(現在は5ch)では女性を「まんさん」と女性器の名前で呼ぶスレッドまで多数あった。私は恋愛ライターとして、ときおりそういうスレッドにURLを貼られては女性器の名前で罵られてきた。殺伐とした経歴のおかげで、そういう「ネットではヤバいグループ」には慣れっこだったのだ。

こういうグループには話が通じない。だから絡むだけ無駄。過度な中傷を受けたら法的措置を取ればいい。それがインターネットのお約束、という雰囲気があった。私だって女ひとまとめに女性器で呼ぶ集団に「話せば分かる!」と近寄るほどピュアではない。せいぜい、自分の彼氏ができたとき、2chでそういうスレッドに影で書き込むヤツだったら秒で振るわ。と、想像する程度であった。

それと同じように、私はツイフェミの過激派と一線を引いていた。

問題はツイフェミではなかった

ところが。問題はツイフェミにとどまらなかった。社会的権威を背負った、実名のフェミニストたちに「おや?」と思わされる機会が増えてきたのである。

特に違和感を抱いたのは「宇崎ちゃん騒動」だった。漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』のイラストを用いた献血募集ポスターが、環境型セクハラとして批判されたのである。

以下は、太田啓子弁護士のツイート(当時のもの、削除済み)である。

(宇崎ちゃんポスターは)本当に無神経だと思います。もう提供者は麻痺してるんでしょうけど、公共空間で環境型セクハラしてるようなものですよ。

環境型セクハラとは、職場などで卑猥なことを言ったり、アダルトビデオのポスターを貼るなどして逃げられない環境でセクシュアルなものへ接点をもさせること。裁判例もある。

たとえば、アダルトビデオ業界でもないのに女性の股間が丸出しの写真が掲示されまくっている職場があるとしたら、それはセクハラとみなされても仕方ない……と、ここまでは99.9%くらいの日本居住者が合意してくれそうだ。

問題は、そこから先である。表現の規制は、いつだって「アウトか、セーフか」があやういものであり、その線引には丁寧な話し合いが必要だ。平成15年まで採用されていた内閣府、男女共同参画局のガイドラインには、女性をむやみにアイキャッチとして使うことをよしとしない、とある。

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こちらは平成15年で取り下げられ、しかも「これに反するからといって差別ではない」と内閣府が線引きしたものだ。しかし、私も理解はできる。たしかに、献血のポスターでマイクロビキニのお姉さんが「あなたのソレ、いっぱいちょうだい❤」とか書いてあったら、性風俗店の待合室限定で掲示されるポスターでもない限り、私でもクレームを入れるかもしれない。

それでも、掲示場所がゾーニングされていて、女性がすすんでポスター掲載を望んでいるなら、ありっちゃあり、という議論もあるかもしれない。そして女性向け風俗の待合室には、男性のセクシーショットがあってもいいかもしれない。

と、かなりのアウト寄りの事例を出してもまだ、議論はできる。それくらい、表現の規制は難しい。なにしろ、憲法21条「表現の自由」に真っ向からチャレンジする内容だからである。特に『宇崎ちゃんは遊びたい!』のポスターの場合、女性キャラクターは着衣で、胸が大きいキャラである以上の作為は感じられなかった。

つまり、単なる巨乳のアオリ気味なお姉さんこと宇崎ちゃんのイラストは、賛否両論の段階にあったのである。二次元で、現実の被害女性がおらず、ただ巨乳で献血センターに向かう男性(やその他読者)に向かって話しかけているキャラクターが「セクハラ」として扱われ、さらになぜか、茜さやさんというグラビアアイドルに延焼する。

「手術で胸を小さくすることもできるのに、そうしないのは性を売りにしている」という旨の批判まであって、愕然とさせられました。(中略)こうした激しいリプライを送ってくる人たちには、「フェミニスト」を名乗っている女性も多く、さらに彼女たちの意見に反対する人たちも現れ、議論は加速。

出典:フリー素材が“巨乳”で炎上した茜さやが語る“胸のこと”“グラビア業界のこと”“炎上騒動のこと”

「一部」の「過激」なフェミニストだけならよかった。しかし、そこで世間からも信頼される人たちがどんどん参加してしまった経緯があった。胸が大きい=卑猥だと女性からも言われてしまったら、これまでさんざん嫌な思いをしてきたバストが大きな女性は、何を思っただろうか。

女性の人権は大事だ。Woman Lives Matter。ところでそのために、他の権利を制限するなら、とても慎重に議論されなければならない。女の人権が尊重されるべきなのと同様に、他の権利……たとえば表現の自由や、言及される女性の人権、そして男性の人権も同様に尊重されるべきであろう。

冒頭の共同宣言にも

私たちは、どんなグループの人々の人権も、他のグループの人権の犠牲の上に成り立つものではない、ということを確約します。

と記載されていたとおり。

そうでなければ、フェミニスト女性は男性と対等な地位と権力を求めながら、責任は負わない『子ども』になってしまう。それこそ、伝統的に保護されるべき、未熟な存在として扱われてしまうのだから。

フェミニストによる女性の権利制限

それから、私はフェミニストを名乗る方々に「成熟した大人として、リーダーシップを対等に握るための責任を果たしているのだろうか?」「男女平等に意識は向いているのだろうか?」という目を向けるようになった。

最近の例を挙げる。

上記の記事を引用すると、

吉良智子学術研究員(美術史・ジェンダー史)は「男性向けのグラビアにありがちなポーズだ。女性像を目を引きつけるための『アイキャッチ』として利用した」と指摘。

なぜアイキャッチが問題になるか。それは、(1) 女性の社会的な立ち位置を規定する(女性が常に家事の担い手として描かれれば、世間で女性=家事をやる人、というイメージが定着するなど) または (2) 女性を性的な客体として扱うことで、女性の地位を貶める問題 が発生するからである。

今回のポスターには女性がいわゆる伝統的な役割を担わされているシーンはなさそうなので、後者の「女性を性的な客体として扱い、女性の地位を貶める」問題について議論することになる。

では、何が女性を性的な客体たらしめるのか。これについては、小宮友根教授がシンプルにまとめてくれた記事がある。そこから抜粋すると、

(1)性的部位への焦点化
(2)理由のない露出
(3)性的なメタファー
(4)意図しない/望まない性的接近のエロティック化
(5)性的な利用可能性/受動性の表現

が、女性のアイキャッチを作る上で起きる「女性の性的な客体化」である。

ここで、もう一度公開討論会の画像を見てほしい。

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まさか2021年のデザインでこれを作るのか……とか、YouTubeのロゴが古いからシンプルにダメ、とかそういう話は置いておいて、先程の条件を満たすと思うだろうか。

私は、少なくとも満たさないと思う。少なくとも、当てはまるかどうかは穏便に賛否両論するレベルであって、頭ごなしにクレームで殴るようなものではない。

ジェンダー論の専門家はこの画像を「女性を性的な客体にする画像」認定するのだろうか。それにたとえ、性的な客体と感じたからといって、それを表現の自由を超えて規制する権利はあるのだろうか。

吉良智子研究員は、現物のグラビアを見たことがあるのだろうか。この写真は、たかが片膝を立てているだけである。そして、仮にグラビア的であったとしても、だ。女には脱ぐ権利もあり、着る権利もある。当人は掲載を望んでいただろうか。

TPOが問題なのだ、という声もあった。しかし、TPOで何がそぐわないか、の答えはなかった。

第一に、女性を「飾り」、つまり、商品やコンテンツ、政治的主張をより良く見せるために活用することは、なにも悪いことではない。
CMに登場する有名人は、広報対象をより良く見せるための「お飾り」の役割を果たしているし、その多くは、宣伝対象とたいして関係がない。

(中略)それらすべてを「飾り」だからという一点で、「モノ扱い」されているがゆえに不正義だと言いうるだろうか。
by 青識亜論さんのnote

TPOとは言い換えれば「空気を読め」である。それで広告や告知を作れば、必ずグレーゾーンは大量に生まれ、それぞれが適切かどうか議論されねばならない。それも、慎重に。専門家が「アイキャッチ」と認定したからダメ、と一斉にSNSで非難する……こういうレベルで良し悪しを判断するのは、キャンセルカルチャー/コールアウト・カルチャー(文化的なボイコット)であり、表現を萎縮させる。

バラク・オバマ元米大統領はキャンセルカルチャーを「本当の変化の実現は「できるだけ他者に対して手厳しくある」ことよりもっと複雑なものだ」「変化を起こすことはできるだけ他者に対して手厳しくあることだとする風潮を、わたしは一部の若者の間に時々感じる。ソーシャルメディアによって、それはさらに加速している。だが、もう充分だ」として、警鐘を鳴らした。

たとえば国分寺市長選挙の討論会ポスター。これはさすがに、一線を超えていやしないか。こんな片膝立ち程度が非難されて削除されるようでは、しまいにゃ女はヴェールを着ないと外に出られなくなるのではないか。

そして、次にこの記事。

文中の40代男性は、妻から5針縫う怪我を負わされたDVの被害者である。しかし、男性は「自分が悪かったのだ」と考えている。なぜなら、過去に妻へモラハラをした"前科"があるから――。

たしかに、モラハラは問題である。しかし、だからといって、妻から殴られていい理由にはならない。「相手にも落ち度があったから、殴られても仕方がない」という論理は、まさに我々女性が長年「あなたに落ち度があったから、性犯罪に遭っても仕方がない」という言葉で傷を抉られてきたロジックである。

殴られていい人など、この世にはいない。だが、この記事は「どっちもどっち」的な結論で締めくくられる。驚くべきことに著者はジェンダー論を選考する大学教授で、「男性の生きづらさ」をテーマに研究してきた方である。

DV被害者には「私にも原因があったから」と自責する傾向がある。それを専門家が記事で指摘しないばかりか、「あなたにも非がありましたね」で占めるのは、男性被害者にとってどれほどしんどいことだろうか。

ではなぜ、こんな結論に至ったか。そこには背景に「女の暴力は許されるべき、なぜなら女の暴力は、男のそれに比べて生ぬるいものだから」という意識があるのではないか。

「殴られたって、許してやれよ。女のことなんだから」……それは、女子供として庇護下に置かれようとする意識であり、社会のリーダーとして責任を負った大人として平等を志す姿勢とは逆行している。

元始、太陽であった女性を月に貶める者

この2例だけではない。もうこの数年、多数の、あまりに多数の事例を見た。フェミニズムを名乗る権威ある人々が、女の人権を制限する試みを、何度も見てきた。

「権力はほしいが、責任は負いたくない」なんて主張は、まかり通らない。そして、そんな女性保護主義を取るならば、女を侮蔑するミソジニー集団に、コケにされるのがオチである。

こんな記事が世に出て55回もいいねされているのを見て、恥ずかしくないのか? 記事内でははっきりと、女は保護を求めるだけの存在だとバカにされている。そしてそれを助長しているのは何者か

冒頭のフェミニズム団体による共同宣言を思い出してほしい。あの声明が出た背景は、フェミニストを名乗る人たちが、

・トランスジェンダー、セックスワーカーを差別するグループ
・男性を憎むグループ
・女性が男性「より」優遇されることを望むグループ

これらを、「あなたたちは、フェミニストではない。よそにいってください」と、フェミニズムから切断処理するために発信されたと考えるのが妥当だろう。それくらい、世界中で同じ嵐は吹き荒れているのだ。

そして私は「自分が真のフェミニストだ」と不毛な闘争へ乗り出すくらいなら、リベラルという肩書だけを胸に、自分なりの男女平等を実現していきたいと願ったのである。


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