微小旅行記:高尾山
いつも心の奥底では《ここではないどこか》に惹かれている。陳腐な表現だけれど、そのようにしか言いようがない。知っているすべての場所は《そこ》ではない。これから知るだろうすべての場所もまた。《そこ》では僕も《何者でもない誰か》になって、一切の予定のない開かれた時間をひとりの旅人として通過するのだ。
そんな場所はもちろん論理的に不可能であると知っているけれども、存在しえないものを求めることができるのが人間という生き物であって、そういうわけでとりあえず家を出てみることにした。
街からは離れたい気分だったので、西に向かうことを考えながら Google マップを眺める。
どこでもない場所を求めながら地図で先取りしてしまう滑稽さはもちろん自覚しているけれど、限りある自由時間を無駄にしたくもない。まとまったひとりの時間を取りづらい状況なのだ。
本当は、行き先なんかまったく決めるべきではない。サイコロを振ったように旅をして、道中楽しかろうと酷い目にあおうと魂の糧とする態度が重要なのだ、と思っている。思ってはいるのだけども。
自分はどうも失敗を避けすぎる。精神の領域においてひどい吝嗇家なのだと思う。人一倍疲れやすい体質なのが影響しているのかもしれない。
命題:限りのある自由時間は、本当の意味で自由な時間ではない。
話が脱線しすぎた。今日の行き先の話。
結局、荻窪から中央線に乗ることにした。
新宿から小田急ロマンスカーに乗る案と迷ったのだけど、新宿は人間が多く、人間が多いところが僕は苦手だ。という自明すぎる思考の帰結である。
中央線の西側だと、相模湖とか、もっと先の甲府・山梨とか、わりと好きな土地である。大月で乗り換えて富士山の方へ行ってもよい。
が、今日はあまり時間も取れないことだし、ひとまず高尾駅まで行ってみることにする。
鞄にカメラと文庫本を突っ込んで家を出る。
読書と旅は役割が重複しているのだから、旅先で本など読むはずがないのに、鞄に一冊詰めてしまうのはなぜだろうか。しかも今日の選択は『現代坐禅講義』である。三重に重複している。
中央線高尾行の車内は、想像していたよりも人がいた。平日の昼間だからもっと空いているものと思っていた。
だんだんと減ってゆく乗客を尻目に考えごとに耽るのは、目的地のない電車旅の醍醐味だと思う。
高尾駅で降りるとなにやら景色に見覚えがある。日記を掘り返すと、どうやら1年と少し前に、相模湖へ行った帰りに途中下車したらしい。しかも昨年の自分はあまり気に入ってはいないようだった。高尾駅周辺の散策もありかなと思っていたのだが、それなら違う場所が良い。
中央線に乗り続ける選択肢もあったが、せっかくなので京王線に乗り換えて高尾山口駅まで行ってみることにした。高尾山はまだ一度も訪れたことがなかったはずだ。
そういうわけで、高尾山。
高尾山口駅を出ると、正面に小さな川があり、そのさらに奥に、大きな赤い鳥居と「トリックアート美術館」なる建物がある。
なぜこんな場所に?と思いつつ、少し内容は気になる。しかし、高尾山へ来て最初に行く場所ではない、というような気もする。たぶん、周囲のスポットをある程度観光し終えた人が、「前からここちょっと気になってたんだよね」と満を持して入館するか、あるいは最初からこの美術館目当てでやってくるかのどちらかなんじゃないか。知らないけど。
案内板を確認すると、右手に進むと高尾山、駅の周りには温泉やホテル、神社がある。帰りに温泉に入るのはありかもしれない、と少し気分が上がる。
近かったので氷川神社に一瞬お参りし、それから高尾山の方へ向かった。
川沿いの通りに食事処や土産物屋が並んでおり、よくある観光地という雰囲気だ。きらいではない。
そのへんの喫茶店に入って、考えたり書いたりして、時間が来たら帰る、というのでも別によかったのだが、ここまで来たのならいちおう登山口までは行ってみるか、ということで先へ進む。
するとケーブルカーとリフトの乗り場があった。それならまあ、登るしかないだろう。
どちらも、山の中腹あたりまで連れて行ってくれるらしい。ケーブルカーはちょうど出発したあとだったので、リフトを使ってみる。往復チケットが950円。ちなみに帰りはケーブルカー/リフトどちらを使っても良いようだ。
リフトは鬱蒼とした背の高い針葉樹の森をゆっくりと抜けていく。片道12分。下に安全ネットがあるとはいえ、かなり高い。左手は急な下り坂になっていて、薄暗い緑の中で地面が遠い。じっと見ていると落っこちそうでくらっとくる。
普段は生きても死んでもどっちでもいいや、という考えで生きているわりに、身体はきちんと危険に身構えるのがすこし可笑しい。
ケーブルカーの到着場所はリフト降り場から少し離れたところにあって、その周囲に商業施設がいくつかある。ひときわ目を引く建物が「ビアマウント」で、ここが目玉ですよという雰囲気を発しているが、僕はお酒はあまり嗜まないので、隣の建物2階の「スミカテーブル」という喫茶店に入ってみた。
ちなみにビアマウントは夜景を売りにしているらしい。夜に来るのはありかもしれない。僕は地上の星よりは空の星のほうが好きだけれど。
客は僕一人だった。2面がほとんどガラス張りになっていて、見晴らしはよい。角の席を確保して、アイスティとガトーショコラを頼む。
てっきり、しっとり冷たいタイプのガトーショコラが来るものと思っていたから、ふんわり温かいガトーショコラが出てきて少し驚いた。これはこれで悪くない。
しばらく何をするともなくのんびりしていたら、身体も涼しく休まってきて、おおむね満足してしまった。山頂まで登り切ってみることも考えたが、ここから片道40分はなかなかだ。
そういうわけで、今日はここまで。帰ることにした。
30年生きてきてようやく分かってきたことなのだが、あんまり欲張らないのがお出かけのコツである。
下山にはケーブルカーを使う。こちらは15分おきに出ていて、片道6分。リフトの半分だが、体感ではもっと短かった。
単線だが、中間地点に一部複線化している区間があって、そこで上り車両とすれ違う仕組みになっている。
観光地通りを駅まで戻る。
飲み食いするつもりはなかったのだけれど、フローズン甘酒なる文字列を見かけて試してみることにする。甘酒は好きだし、変わった飲み物も好きだ。
そば団子とセットで540円。
フローズン甘酒は要するに甘酒のかき氷で、なんというか、甘酒の「もろみ」をそのまま食べているような感覚だった。いつの間にか肌寒さを感じるくらい気温が下がってきており、温かいそば団子がなければ身体を冷やしていたかもしれない。あとやたらと蟻が寄ってくる。
時間の都合で温泉はあきらめた。今度は山頂まで登って、ほどよく疲労した身体で入浴することにしよう。とすると季節は冬かな。
行きしの路線を逆向きに乗る。
この1日に見聞きしたことを飴玉を舐めるみたく頭の中で転がしながら、旅行記を書くことを思いつく。旅行記は《ここではないどこか》の話ではじめることになるだろう。
これまた陳腐な見解ではあるけれど、《ここではないどこか》にもっとも近いのは、移動中かもしれない。
写真は X-E4 と MACRO APO-ULTRON / XF16-80mm F4 で撮った。XF16-80mm は便利だけれど、写りに艶が欠けるなと思う。でも設定や撮り方次第で改善はできそうにも感じるから、もうちょっと詰めてみたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?