ベルゴロド・ドニエストロフスキー
【ベルゴロド・ドニエストロフスキー】
ウクライナ南西部、オデッサ州の都市。古代ギリシアの植民都市ティラを起源とするが、数百年間無住のあと、9世紀にスラブ人の小さな砦ベルゴロド(白い城塞都市の意)が建設された。
1.出発
2005年7月
日曜日の午前6時20分、早朝のマルシルートカ(小型の乗り合いバス)を降りてオデッサ駅に到着した。ベルゴロド・ドニエストロフスキーという、何度聞いても覚えられない長い名前の小さな街へ、イリーナ家族と日帰りの小旅行。そこには古い要塞があり、年に一度のお祭りが開かれるということだった。
待ち合わせ時間の6時30分になってもイリーナが現れず、場所を間違えたのではと不安になった。電車は6時40分発車予定。このまま会えなければ今日は一人で美術館に行こうなどと考えていると、イリーナ家族が走ってくるのが見えた。
急かされながらホームを走り抜け、5両ほどの小さな電車に飛び乗った。1両目には人がいっぱいで席がなく、2両目、3両目と続き、やっと4両目で空いている座席が見つかり腰を下ろした。
イリーナに会うのはいつぶりだろう。彼女は各地に旅行に出かけていたため2週間以上会っていなかった。オデッサで一番頼りにしている彼女がいない間に様々なことがあり話すことは山ほどあったはずなのに、久しぶりだったからか言葉がうまく出てこなかった。それでも徐々に話がはずみ、お互いに最近の旅行の話をしあった。
電車はオデッサを出発して1時間半で目的地に到着した。早朝のこの便以外の電車は各駅停車のため、2時間半かかってしまうそうだ。駅を出て人も車もほとんど通らないのどかな道を歩いていると、そこがこの街のメインストリートなのだと教えられた。オデッサの賑やかな街もいいけれど、こういう静かな街にくるとまた心が和む。
イリーナの友人宅に寄り1時間ほど談笑した後、目的地の要塞へ向かった。私は幸運なことに旅の際にいつも天気に恵まれる。その日も雲ひとつない晴れ渡る空。15分ほど歩くと突然目の前に古い城壁が現れた。それが、ベルゴロド・ドニエストロフスキーの要塞だった。
2.要塞
ベルゴロド・ドニエストロフスキーの要塞が見えてきた。外壁をぐるっと周ると、目の前にキラキラと輝く海が現れた。「わぁ、きれいな海!」と自然に声が出てしまったのだが、すかさずイリーナが「あれは海じゃなくてリマンよ」と言った。リマンというのは、海とつながっている塩水湖のことを言うらしい。
要塞の入り口に着き入場料を払おうと思っていると、イリーナとご主人のイゴルがガードの男性となにやらもめ始めた。彼らは時々私の方をちらっと見る。聞こえてくるヤポンスキーというロシア語に、私が日本人だから入場できないのだろうかと不安に思った。するとイリーナがどこかに電話をかけ始めた。何か確認を取っているような、そんな雰囲気だった。すぐに電話は終わり、彼女はガードに何かを伝え入場することとなった。入場料は払わなくていいのだろうか、と疑問に思ったがイリーナ達に急かされ後をついて行った。
要塞の門をくぐってすぐ、イリーナに何か問題があったのかと聞いてみると、彼女は笑ってこう答えた。「あなたを日本のジャーナリストと言ったのよ」と。なんと、私を日本から取材に来たジャーナリストと言い、入場料を全員免除してもらったのだ。そして、ドキュメントを見せろというガードに対し、私が今日ここに取材にくることになっていたという確認の電話をし、彼らにそれをアピールして信じこませたのだ。イリーナが実際に電話をしたのは彼女の父親である。
とにもかくにも入場できた。入り口は少し小高くなっており、なだらかな小さな丘を真っ直ぐに下っていった。目の前には太陽の日差しを浴びたリマンが見え、途中に小さな石碑があった。聞くと、そこには昔教会が建っていたのだそうだ。どこからか大砲を鳴らすような大きな音が響いてきた。
中央の広場に着くと、大勢の人だかりができていた。その日はウクライナ国内のナイト(騎士)のチャンピオンシップが開かれていたのだ。ちょうど大会が始まるところで、運良く試合場の目の前に場所を確保することができた。さんさんと照らし続ける太陽の下、非常に重たそうなナイトの装いをまとい、各地の代表者が現れ試合を始めた。周りの景色と彼らを見ていると、まるで数百年前にタイムスリップをしたかのようだった。
ナイトの戦いは時に激しく、怪我をする人もいた。また、試合の後にお互いに抱き合い友情の印を示す人たちもいた。はっきりしたルールはわからないが、どうやら審判が5,6人おり、お互いにどれだけヒットポイントがあったかを手をあげて指で数えているようだ。そして、何かをきっかけに試合が中断され審判たちが中央に集まり審判会議が始まる。その後、試合が再開されることもあれば、勝者が発表されることもある。このチャンピオンシップでの優勝者はヨーロッパチャンピオンシップに進めるとのことだ。しばらくすると周りの観客も徐々に白熱し始めた。
しばらくナイトたちの試合を見ていたが、30度以上の暑さの中、立ちっぱなしで見学しているのにも疲れてきたので試合場を後にし、要塞を見て周った。要塞には各所に階段があり、上れるようになっている。また、矢を射るための小さな穴が所々にあった。
私たちも要塞の上に上ってみた。リマンがすぐそこに見え、湖から吹いてくる風が気持ちいい。遠くにナイトたちの試合が見えた。
一通り見てまわり、中央の広場を出た。すると、そこでウクライナの民族衣装やナイトの鎧などを試着できるコーナーや、実際に昔使われていたものと同じ弓矢を体験できるコーナーなどがあった。私は矢を射ることにした。1本1グリヴナで2本試した。20メートルほど先に、風船がいくつか取り付けられた丸い的が置かれてあった。私の前に体験していたおじさんが風船を2つも割った。意外に簡単なのかもしれないと思っていると私の番がきた。大きな弓をかまえ、しっかり狙いを定めて射った。しかし、残念ながら矢は大きく上のほうに反れてしまった。
その後しばらく木陰で休み、再びナイトの試合を観戦した後に要塞を離れた。要塞から出ると、その城壁に沿って何軒ものお土産屋が露店を出していた。何世紀も前の古いコインが気になったが、25グリヴナと言われて断念した。日本円にすれば安い買い物かもしれないが、ウクライナでの節約生活において、25グリヴナは貴重だ。コインは記憶に留め、1枚1グリヴナの葉書を4枚買った。露店のおばあさんが、1グリヴナおまけしてくれた。
3.帰路
昼を過ぎ、お腹がすいてきたので街の市場へ買い物に行った。イリーナたちは、トューリクという小さな魚やホームメイドチーズ、そしてトマトを数キロ、私はみかん5個とバナナを2本買った。そして、イリーナの友人宅に戻りみんなでお昼ご飯。私はフルーツを全て食べ、さらにホームメイドチーズをわけてもらった。ちょうどいい塩加減で美味しかった。
お腹がいっぱいになり、イリーナの娘ナスチャもお昼寝タイムとなったので、私は一人で町を散策することにした。ぷらぷらとあてもなく歩いて行くと、要塞のすぐ側まで来ており、前方にリマンが見えてきた。湖水はきらきらと輝き、水浴びをしている犬や湖岸でおしゃべりをしている人々がいた。しばらく湖を眺めた。ナイトの戦いはもう終わっているらしく、要塞も静かに佇んでいるだけだった。
イリーナの友人宅へ戻ると、彼女たちは久しぶりの再会に話が盛り上がっているようだ。私は別室で日本の家族に手紙を書いた。夕方、街を去る時間となった。イリーナはナスチャと二人で数日こちらに残るということで、私はイゴルと二人で駅に向かった。16時50分発の電車に乗るのに、家を出たのは16時30分。彼は早足で歩いて行くが、私の早足では追いつけなく時々走らなければならなかった。
汗だくになりながら、電車の座席に座れたのは発車2分前。今回は、行きも帰りも随分と忙しかった。すぐに電車は出発し、2時間半かけてオデッサまで戻った。イリーナとは仲は良いがイゴルは物静かなため、あるいは二人とも疲れていたためか、会話は少なかった。車窓からひまわり畑を見た記憶が微かにあるが、気づけばすっかり眠りに落ちていた。19時30分、オデッサ駅に到着。