娘の誕生日に子離れについて考える
「お母さんのことが嫌いわけじゃないから、そこは誤解しないで聞いて欲しいんだけど
塾のお迎え、いつになったら止めてくれるの?」
娘にそう言い放たれた月曜日
ことのほかショックが大きい。
私の反応を見越した娘に、誤解しないで聞いて、と言われたにも関わらず。
失恋した中学生男子は、こんな気持ちになったりするんだろうか。
「そんなにお迎えが嫌なら、明日からでも止めてやる!」(←大人気ない)
「いや、だからそういうふうに受け取られると困るんだけど」(←だから違うって言ってる、ごもっとも)
「塾の帰りくらい1人になりたいから」
…なんですって?
いつもバタンと部屋のドアを閉め切って
一人時間を謳歌しているように、母には見える、見えていたよ。
それなのに?
いやいやそんなの危ないし、絶対にダメ!という自分と、まあそういう年齢かなぁ思う自分がせめぎあう。
正解なんて、ないのだろうけれど
確かに、ね
一人の時間を持ちたいという気持ちも
わかる。
家で部屋にいる一人とは違うんだよね
わかる。
でもなんだか、そんな風にはっきり宣言されて寂しかった
彼女を迎えに行った帰り道、何を話すでもないけれど、二人になれる時間がもててなんだか嬉しかったから
…小言、言っちゃったりしていたけど
それにしても
先ほど書き出した娘とのやりとりは、こうして眺めてみるとまるで恋人同士の痴話喧嘩のようだと苦笑いしてしまう。
親愛の情とは、親子でも恋人でも夫婦でも、突き詰めていけば似たようなものなのだろうと思う。
結局夫とも相談し、ルールを決め、それを守ることを約束させ、彼女の14歳の誕生日を節目に塾のお迎えを卒業することにした。
心配だけど、気になるけれど
私たち親子が「自律」と「自立」についての次のステージに立ってきているということなのだろう。
子離れって思いの外、難しいものだったんだ
と、ぼんやり考えた。
そんな一週間。