渓谷を起点とする最近考えていること
はじめに
初日感想を書き終えてから毎朝起きるとTwitterを開いて”旅と渓谷“で検索をかける
カオナシの語彙力になりながらモゾモゾ立ち上がってゆっくり旅人たちの感想を読んでいる
自身の体験が思い出されるというよりも
他人の瞳を借りたかのような気分になって
ああ、なんてすてきな時間なのだろう
幸せすぎる.......となりながら
一生このルーチンで暮らしたいとさえ思ってしまう
料理している時の思考の整理が好きだから、今日はガトーショコラを焼いていた
綺麗に真ん中が凹んでくれて嬉しい〜と思って眺めていると
その窪みとか亀裂とかがだんだん渓谷に見えてくるんですよ.....ガトーショコラってよく粉砂糖を振りかけるじゃないですか.....そうするともう雪景色なんですよね
だからインスタで見たように生クリームをトッピングすることにしたんです
そしたら見た目は渓谷ではなくなったのだけど
生クリームも川から海になっていくみたいで
もうどうやっても思い出すのだな
(※)
初日のnoteで、話の流れであったり
大まかな感想は書いていたので
今回はこの作品を通じて考えることみたいなのをまとめるので全く感想ではなくて
“ただのひとりごと”です
断片的すぎると思う
主に”門“の代わりに感情ぶつけられたツイートのまとめみたいな感じで書けたらな
⚫︎手作りチケット
まずはこの話がしたいな〜と思っていて
いや!ほんとに!なんて素敵なアイデアなんだろ〜と思って!
翌日いっそいでインスタのストーリー機能で作ってバイト先で印刷してもらってほくほくした気持ちで写真撮った
その日の朝読んでいた今村夏子『あひる』に『森の兄妹』って短編が収録されてて
栞にできそうだったから挟んでみた
最近QR増えているし
少しの寂しさがあったから嬉しいな〜
思い出が形に残る
⚫︎5/22(土)20:40
その日は「今日野外で舞台観る予定があるので帰ります!」と言って飛び出し永福町へ向かった
朝の時点では雨予報はなくて、一応防寒着になるかもしれないし〜とか思ってリュックに入れていたレインコートは初日に降って欲しいなと思って買ったものだった
ふくにわに着くと相変わらずアクセス良い!って感想を抱いて受付を済ませる
漏れ聞こえる渓谷の声がなんとも言えない高揚感を味わわせてくれていたのだが
カンスト寸前の高揚感はそのあとすぐに訪れる
雨だ!!!!!!
曇り空を眺めているとスタッフの方がこの後雨の予報でもしかすると大雨になるかもとアナウンスし始めた
慌ててダイソーに駆け込む人を見ながら
なんてナイスな場所にあるのだろう!!と思う
もう一度言っておこう
雨だ!!!!!!
こんなにも雨が降ってきたことを喜んでいるとユタと不思議な仲間たちを思い出すのは多分私だけだったと思う
そういえば日比谷音楽祭当選したので
もし雨が降ったらこのレインコートを着て推しを拝もう
(推しの話もしたいなって思っている)
整理番号が呼ばれ渓谷に足を踏み入れると
初日に来た時よりもずっと増設された椅子が見えた
どこで観るかは迷ったのだがポツッと空いていた前列に座りレインコートを羽織る
前日の経験を元に
レインコートは椅子の背もたれを巻き込んで着ると雨が入り込みにくいという知識を得ながら
雨は次第に降り始めるが
全くと言って良いほど気にならなかった
求めている世界がこちらに歩み寄ってくれる.....
初日も懐かしさと温かさを感じていたけど
2回目はまた違うノスタルジックな気持ちだった
大好きな絵本は何度も繰り返し読んでも新鮮な柔らかさを感じていたことを思いながら
今は読まなくなっていてもしっかり心に残っている言葉や挿絵がこの作品の切符と重なっていくのがわかった
初日に待ち合わせ場所にしたい居心地の良さってツイートしてたんだけど
今度友達に屋上庭園で待ち合わせね!って送ってみようと思う
家の窓から見える建物に屋上があって
そこに人がいるのを見たことはないのだけど
小説とかに出てきそう.....って密かに特徴をメモっているのも思い出した(今度使おう)
今まで感想とかを書く時に
気持ちを“すくってくれる”(掬う・救う)使い分けていたけどこの作品はどちらも使いたいんですよね
分かってくれる優しく温かなものと
それによって生じる安心感と希望が本当に大好きで素敵なおはなしと彼らに触れられて
素敵だと感じてすてきだと言える
そういえば冒頭敬三さんがラジカセガッツリ開きすぎちゃって閉まらない〜ってなってたり多分裏表逆で入れたんだろうなってレコードは聴いているから両面あるって知っているけどカセットテープも両面あるのか〜間違えちゃいそうだな〜と思ったり
ラジカセ欲しい
カセットテープは使わないかもしれないけど
radiko以外でラジオ聴くのも良いかもなって思ったり
初日の後にあったの講義で「これから学ぶことは言ってしまえば“神のデザインの解明”です」ってパワーワードをポツッと呟いた教授がいたのだけど
それが今日の方程式の先にいる神の話に重なってウワァ....!!!!!ってなっていた
そうなんだよな〜
話を知っていても全く受け取り方は違う
だって1週間のうちにどれだけのものに触れていると思う?
なんならマチソワ同じものを観たとしても
同じなんてことはない
あの日は気にならなかった台詞や動きが
今日の私に取ってはブッ刺さるかもしれないし
未来の私を救う宝物になるかもしれない
それにしても旅と渓谷パワーワードとパンチラインの多さが凄まじい
ただこれだけは常々思っていることなのだけど
パンチラインはそれだけを読んで惹かれるものだったとしてもそれは単に興味を持つきっかけに過ぎなくて
前後の内容がその意味を浮き上がらせて自分の過去と今と未来が突き刺してくるものだと私は思っている
だから少しでも惹かれるのなら絶対絶対劇場で観てほしいと思ってしまう
人の感想を読んで観た気にはならないでほしいな〜って
(似たようなことをニュースタイトルや見出しだけで中身を判断する人にも言いたい)
活字じゃないのよ
唯一の現実である役者が虚構の中で吐く言葉として受け取って欲しいと心の底から思ってしまう
この虚構を虚構として観ている人ってどれくらいいるのだろう
最近、ニュースとか見てて
漫画やアニメの虚構を現実と重ねちゃってる人の事件というかそういう類のものを目にすると
なんだか舞台もそういう風に観ている人がいるのかもな〜なんて思う
舞台の楽しみ方は人それぞれだけど
役者の顔を観に行く人だっているだろうし逆もいるだろうし
ただ私はどうしても虚構を現実の世界で観ることが好きだし
虚構は虚構として観ている
ただその虚構は時に良くも悪くも人の人生を狂わせるものでもあるよなとも卒論を進めながら思う
『旅と渓谷』は特にアクセスの良さがまた虚構と現実のちょうど境な感じがあって良すぎるんだよな......って思っていて
帰り道に街をふらふら歩くことができないから階段を降りるとすぐ目の前に現実という改札が見えるてくる
そこにハッとさせられながらも
ポケットの中身をチラと見てぐっと一歩を踏み出せる
⚫︎雨と絵本
雨=悲しい、寂しい
みたいな固定概念よくドラマの演出などで使われるけど
それ以外の雨に対しての感情を色々教えてくれたのが絵本や児童書だったなと思い出していた
雨が降った日は可愛い傘が差せるとかお母さんが迎えに来てくれるとか
試合で負けた悔し涙と汗を誤魔化し流してくれるものでもあるとか
中学の卒業式で答辞を担当したのだけど
雨の日verを作れって言われたのが嫌だったのとかも(別に泣いてたら雨降るわけじゃないしとかいきがってたな〜って今は思う)
『旅と渓谷』を観たことによって雨に対する新しい感情が生まれた
すてきな雨だった
雨だけではなくて
既存の概念を別の角度で見る力や
本当に些細な傷を癒すことばとかが詰まっているのが絵本や児童書だと思っていて
そういうものは
短い中にギュッと詰め込まれた意味と
温かさで包んだ哲学が含まれていて
何度読んでも感じ方が違うし親から子へ受け継ぎたくもなるような壮大な身近さがある
これは、お話を知って
生と死って壮大だなって漠然とした感想を抱きながらも
生まれたから私はいるのであってそしていつかは死ぬのだと考え
大きな流れの中にいる小さな私の重なり合いを感じて改めて”生きる“に触れた気がする
ってのと同じ感じ
⚫︎川に映る1LDK
心は満たされても身体は正直な物で22時も過ぎると流石にお腹が空いていた
“適当”に入ったすき家は(これが近所のところもそうなっているのか分からないけど)セルフサービスの機械化が進んでいてハイテク
牛丼を食べながら店内に流れるラジオお便り風な思い出エピソードが流れているのを聞き
最初の人が言ったからなのかもしれないが
全員が「ごちそうさまでした!」と言って出かけて行くのが心地よかった
私はやっぱり”日常のことば“が好きだな
そう思いながら私もごちそうさまを言い、身も心も満たされて
そりゃ家に帰れるわけがなかった
Googleマップを頼りに川を眺めて
水面に映る1LDKを見つめた
「海に行きたいな〜」
と言いながら
カメラのレンズを向けて何度かシャッターをきる
”言語化できないあれこれに対して
写真を撮ることで可視化しようとする行為
自己理解を深めようとする動作
前はそれが逃げているみたいで嫌だったのだけど
今はそれもいいなと思える“
(※流浪の月の感想書いた時のnoteから引用)
そう思えるようになってからより写真を撮るようになった
断片的な光景の中に自分の考えを見つけられる気がして
写真気に入ったのでヘッダーにした
あと、雨とか川の流れを連想させる写真があって
友人に撮ってもらった物なのだけど
今とてもその気分だから初めてアイコンを変えた
(色は未だに悩んでる)
モノクロ好きなんだけど
この写真そのままの方が綺麗なんだよな〜って
今のところインスタは左にしてる
インスタを写真日記とか言って使っているのだけどTwitterと違って写真のこだわりがあるのでアイコンの色が違うのもいいかもしれん
(メモ)
黒に溶かして
白に逃げる
レンズ覗きながら川を見てあの世界はポラロイドとかフィルムに焼きたいなって思ったし
目に焼き付けた景色があまりにも美しくて涙が出た
ここで涙が出た理由を書けることが嬉しい
抱いた感情がちゃんと言葉になって私の中に残る!
初めて舞台を観た日から、母は「楽しかった」だけの感想を認めなかった
その気持ちが今はよく分かる
当時は未就学児だったので楽しいものは楽しいのだって思ったりしながらも
必死に焼き付けた楽しいの理由を言葉にしていたな
感情は言葉にしてより自分の物にできる気がする
そもそも写真は
小学生の時にポスターとか工作系の夏休みの宿題の中に写真コンテストも含まれていて1番楽そうだと思い撮影した1枚が全国に行ってしまったことが起源になる
そのあと中高と触れてはこなかったが
バイト代を貯めて買ったのは一眼レフだった
人から褒められるものは他にもあったし
写真はスマホでも十分取れる時代だった
それでもあの時撮った一枚は
私ではなく被写体となった祖父が誉められているような気持ちがして
それがすごくすごく嬉しかった
言葉も音もないものが
切り取る世界に
切り取られなかった部分を魅せる力があるなんて!という気持ちだった
それを今こうやって
自分に向き合う方法としても使えていることが嬉しい
誰かに習うわけでも被写体募集をすることもないけど
ありがたいことに切り取らせてくれる友人が多い
友人がその写真を見て知らない自分を知ってくれたらいいな〜って思うし
アイコンとかになっていると
この人の1番良い顔をレンズ越しに見たのは私!!!って気持ちにもなる
あーーーこれからもっと
色んな人に出会って
会話と一緒に写真も撮らせてほしい
あなたの知らないあなたを見せる自信があるから
人と出会うことが本当に好き
私は人間が好きなんだな〜って実感できるし
私が生きて見られる景色は限られているからこそ
経験できないものを沢山見せてほしい
最近特に人との対話が減っちゃった
(言い方が悪いかもだけど)呼んだら来てくれるというか
行きたい場所に着いてきてくれてうちにも沢山来てくれて
私は電話がそこまで好きではないけれどよくかけてくる友達がいるのだけど
彼女は私とは正反対で
私がしないことを沢山してて
見たことない景色を見せてくれる人
海で一晩中語ったり、旅行したり、待ち合わせに毎回遅れてきたり
最近イギリスに行ったのでしばらく直接会うことができない
その間を埋める人を探すのは失礼かもしれないけど
この機会に色々な人に出会えるんじゃないかな〜とも思う
⚫︎創作意欲について
2回目を観ても継続して”良いと羨ましいが一体となった感情“を抱く
一人で悶々と考えていたことを作品として昇華してくれる感があって
よい作品を観たら必ずしも創作意欲が湧くわけではないのだけど
じわじわと創りたい生み出したいという思いが強まっていっている
(下にツイート貼っておく)
前のnoteにも書いたのだけど
”死“について考えていたことが多くて
それでも語れるわけでもなくて
自身の中にあったものが作品と出会って対話してそれがどうしようもなく楽しくて
もしかしたら私は
こういうことがしたくて創作をしているのかもと気付いた
私が小説を書き始めたきっかけは(これもnoteに書いているからざっと)コロナ禍に初めて味わう”暇“という感情と
先輩が朗読劇の二次創作読みたい〜と言ってきたタイミングが一致して
たまたまそれっぽく書けたことにある
去年雨が降っていたから雨の話を書いて
その話の簡易的なPVみたいなのも作ったな〜
その前までは実際に人に会って対話して
とにかくマシンガントークって言われて
ずーーっと創作の代わりに聞いてくれている人がいたんだなって思った
もちろん創作してみて、対話よりも得られるものとか昇華されてくものはあるので、きっかけがあって良かったなと思っている
『鶴かもしれない』を観た時は
写真を撮りたいというか人間をこれでもかと飾り立ててから全て溶かすところまで収めたい欲求があったけど
衣装を作りたくなるときもあれば
DIYしたくなるときもある
この意欲を何にぶつけようか
思い浮かぶものが沢山ある
今からとってもワクワクしている!
⚫︎旅がしたい
コロナ禍以前の私はひたすらに旅が好きで
1人でも誰かとでもとにかく旅がしたかった
ここでめちゃくちゃ旅について話したくなってきたな
長くなりそうだから大学1年生の時に絞って
思い出深い旅としては
授業で知り合った別の学科の人と食事にすら行っていないのに、共通の趣味と友人がいるからという理由で知り合ってから4ヶ月で沖縄に行ったのは、自分でも面白い思い出だなと思っている
これが本当に楽しかったから余計に
ラカージュを初めて観た時からニューハーフショーを生で観るのだって決めていたのでフラっとバンコクに飛んで、前日予約したツアーで同じように1人で来ていた方にお昼をご馳走してもらったのも良かったし
上海でくまモンのグラスでお酒を飲んだこととかシンガポールで人生初のリバーサイドで酒を飲んでジンにハマったのに日本では飲酒できない年齢だったこととか韓国でタクシーの運転手に連れて行かれた焼肉が死ぬほど美味かったこととか香港で飲んだミルクティーが忘れられないこととか
海外も色々あるけど
日本全国旅したいな〜とか思って
長期休暇中、毎週のように夜行バス乗ってた期間があって
お金もそんなないからってのもあって毎回ドミトリー泊まって
初めて会う人と話したり
いつもは朝ごはん食べないんだけど
一緒に食べたりするの良かったな
今これだけコンパクトにしようと思い出しても溢れてくるくらい私は旅が好きだった
それでも行けなくなってしまった現実を
悲しいものとして受け入れたくはなくて
”行きたい“という気持ちを
別の楽しいに変えることで心のバランスをとっていた
すっかり忘れようとしていた欲望が、渓谷の旅を通じてまた”行きたい“に変わりつつある
いや、もう“行く”になっている
私は旅が好きだ
目的はあってもなくてもいい
無計画に電車に乗って
目の前に座った人と同じ駅で降りることもまたしたい
私はそうやって
作品を通じて自分のいつかの感情にリンクさせる
それがたまらなく好きだし
今回思い起こされた旅への欲望は今の私に必要なものだ
(メモ)
読書はどこでもドアだけど
観劇は旅行だ
期間的に北海道に行けないのだけど
富良野は特に行きたかったな
小学生の時に富良野に行って
ラベンダー畑を見たり工作みたいな体験をしたり凄く楽しかったけど
1番は泊まっていたホテルで”小人のお家があるんですよ“と言われて本当に小人の家々を見た時!
きれいな空が広がる夜でオレンジの灯る小さい家がいっぱいあって【お願い】って書かれた看板にときめいたから
『旅と渓谷』が全国を巡るならそれに続いて行きたいと思う
⚫︎感想を読みながら
今回めちゃくちゃ良いなって思ったのが
私が毎朝ルーチンにしたいと思うほどの“いい”感想が読めること
自分の感想を吐き出した後に読むと
グワァーーーーーってやつとか転がりまくっててなんでこんな客席少ないのにいっぱいいるの!!!どうして!!!という感嘆符多めな感情になる
キャパじゃないんだよな〜って改めて
私は私の感想を大切にしたいと思っているし
自分の瞳で見た世界は誰のものでもなく私のものだけど
他人の瞳を通じて見せてもらえる(見せ合えるだったらいいな)世界も景色も大好き......
『空鉄砲』の時は本当にエゴの塊で
“どうか一緒に死んでくれ”って叫んでいたけど
それも根っこの部分にはあなたが観た景色を少し教えてほしいって気持ちがちゃんとあって
それに正解も何もなくて
死ななくてもいいし死んでもいいしなんなら生きてもよくて
あの時すごくTwitterの存在に感謝していたな
私は別に共感されたくてnoteを書いているわけではなくて
それは最初の方のnoteとかを読み返すと「はじめに」で書いているのだけど
“自分のために書いている”
勿論世の中に放出しているから誰かしらの目に触れることはあるだろうと思ってはいるけど
あくまで自分のために書いている
私が書いたものを読んで自分の感想と比べるのは良いのだけど悲観的になられても少し困ってしまう
私の感想は私のものなので
それと比べて自分の感想を測らないでほしいなって
褒めてくれるのは嬉しいけれど
私が出会いたいのは肯定や共感だけではないのだから
だからこそ
他人が自分自身のために書いている感想が好きだし
生の声っていうのかな
その人の人生(それは全てが“本物”でなくても良いんだよね、そもそも顔も本名も知らない人が書いていて、SNSは表面的なものしかわからない時もあるのだから)がほんの少しでも乗っている
その作品を起点として始まった物語を知りたいなとも思う
最近はその点で“いい”感想にであえている最高
この前の面接で、どういう舞台が好きなのかって聞かれて
ジャンルの話もしたけど会話の流れ的に
”帰り道に少し振り返って、劇場と自分が地続きであることを感じさせられる舞台
劇場に行くこと(舞台を観ること)ではなく帰りに受け取ったものをどう使っていくか考えるのが楽しい舞台が好き“って答えた
もう少し上手く説明出来たら良かったな〜と思う
(選考は通ってたから良しとする)
おわりに
名残門を我が家に
どんな形でも良いから
昨日の時点では初日の”門“を再現してみようかと思ってた
部屋のインテリアには決してそぐわないけど
それがいいだろう?くらいな気持ちで
イルミネーションじゃん?とか思いながら
でもそういうのじゃなくて
チケットみたいに栞でもいいなあとか
文字を栞にしてるのあったなって思ったり
(ピアスにもそういうのあるけど大ぶりなのはしないので諦め)
お守りみたいな物でもいいななんて
色々思いを巡らせながら
まあ何かしらの落とし所が見つかるまで
SNSが門になってくれるな〜って
今朝も呟きながら思ったりした
18:30にはYouTubeを開いて全力待機をしなくてはならないけれど、こういう風に最近考えていることをまとめるのいいな〜色々なところ(SNSだけじゃなくてその辺の紙とかスマホのメモとかスケジュール帳と言いながら9割ノートになってるやつとか)に書いてしまうからまとめるのいい
これだけ書いても小指の爪くらいしか私を見せていないけれど
今度から定期的にやってみることにする
そうだ
オーバーオール着たい
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