20231016
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人間の慣れに関する機能の問題だと思うんだけどここ最近、ある特定の意図したパーティにばかり出演するとか、一定期間内に集中しちゃうのって自分にとってはあまり良くないなと感じる。
そもそもの向き不向きはあると思うけども、自分みたいにデカいパーティも遊びに行くし身内でワイワイみたいなのも好きだし、研究発表みたいな一癖二癖もあるイベントも好きな人間からすると、出演パーティの傾向や意図するものが偏ると思考まで傾倒しちゃうというか。せっかく声かけて貰って出演するんだから盛り上げないと呼ばれた意味がないじゃん的な思考に染まる、ないしは傾倒しがちになるというか…。
普段そこにない色を差すとか風を吹き込むとか、プレーヤー単位で意図してパーティコンセプトからあえてズラしたことをやるならまだしも、基本的には沿ったことをやってどうやってもにじみ出る何かを感じてほしいタイプの人間なので、頭のモードが切り替わってないと極端な話「自分馴染めてねーな」とか「空気読めてねえよ俺」とか思ってしまう。
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のびのびやってください、というオーダーに関して本当にそう思っている気持ちと、とはいえある程度雰囲気を読んで対応してくれるのだろうという腕前・技術に対する信用から出てくるフレーズなんだと思うが最近自分の中でこれってどうよ?という気持ちになってきた。
このフレーズを使う人が悪!とかそういう話ではなくて(何なら自分も余裕で人に言い放つ)、「意図した役割でのパフォーマンスをお互いが合意した上で出来ないとオーガナイザー、プレーヤーともにしっくり来ず終わっちゃう」という一種の事前コミュニケーションエラーにより望まない結果になる事を防ぐ必要もあるのでは?という感じ。しかもこれっていろんな引出がある人ほど悩むんじゃないかと思う。
今は特に自分がよく遊びに行く界隈では専門プレーヤーよりもマルチプレーヤーの方が評価されやすい雰囲気もあったりして、そういう面では余計プレッシャーがあるような気がする。
でもこれって難しくて、結局そういう意図したパーティ構築ってある程度の地力があるお客さんからしたら安心感はあるのかもしれないけど面白みには欠けるんじゃないかと思う。まあこれもどちらを重視するかという前提の話にはなるんだけども。
ブッキング、タイムテーブルの構築等が大前提にあるにせよ、それをオーガナイザーのある種"作品"として細かなオーダーを入れるもひとつの形、"差し”を入れて伸るか反るかにその日1日を賭けるのもひとつの形(それを任されるキーマンはたまったもんじゃないと思うけども…)
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まあともかく、こうして結論もなく自分の考えは垂れ流したけど、結局だからと言ってこれから変える事ってあんまりない気がする。
自分が作る側の立場なら望む形が頭にきちんと描いてこうした形にしたいと強く思えばある程度のオーダーはするだろうし、不確定要素を差し込んで色味とする狙いがあるならそうする。
プレーヤーとしては、どうだろう。すべてをひっくり返して自分の世界観に引き込めるようなあふれんばかりの個性か、どんな状況でも対応できる地力があればこんなこと考えなくても良いんだけど実際そのどちらかを兼ね備えているプレーヤーって少ない訳で…。やれることをやる、って言うと面白みに欠けるけど結局真摯に向き合って積み重ねられるものってそういうことしかない気がするんだよな。もっと言えば自分にとっての誤りは人にとっての誤りとは限らないというのもポイントで、そこにも捕らわれない発想と胆力ってのは必要かもしれんね。
結局のところどうやったって結果的にパーティにハマる、客にウケるが絶対的に正義という点に関して異論はあまりないが結局自分はDJという行為に単なる盛り上げとしてのパーツではなく"表現"の意図を大なり小なり意義として感じていて、それが無いプレーヤーに対しては個人的にあまり興味がわかないし自分がプレーするときもそれがありがたいことに現状では一定の評価を受けたり価値を感じてもらえているんだと思う。