どこかへ 2006年1月のサンディエゴ
アメリカ西海岸の最南端、サンディエゴの北部の La Jolla(ラホヤ)というところにベンチャー企業が集まっているエリアがあり、そこにあった会社を訪問しました。2006年1月のことです。
LAXまで飛行機で行って、そこから車で移動しました。
この時はコンタックスT3にコダックのポジフィルムを詰めて出かけました。
この辺りはUC SanDiego(カリフォルニア州立大学サンディエゴ校)の近くで、世界有数の研究所もあり、特にライフサイエンス系のベンチャーが集積してクラスターを作っています。
そこは全米オープンゴルフも開催されるトーリーパインズ ゴルフコースでも有名です。パブリックのゴルフコースで、海に沿って作られています。プレイしたことはありませんが。
コースの名前はそこに多く生えているトーリーパイン(Torry pine, 松)に由来しています。葉は長く、松ぼっくりは巨大です。その辺を歩くと、こんな松ぼっくりがゴロゴロ転がっていて、壮観です。
ホテルはLa JollaのHiltonでした。このホテルはトーリーパインズ に隣接していて、プールの向こうにはゴルフコースが見えます。
このホテルの周囲にはレストランのようなものはあまりありませんでした。どうせ車で移動するならとダウンタウンまで移動して夕景を眺め、食事をとりました。
サンディエゴは海に面した街で、海軍のある街でもあります。あのトップガンで知られるミラマー(Miramar)はLa Jollaの東、ダウンタウンの北にあります。
サンディエゴの日差しは冬でも強く、夕方の太陽はビルの壁に木々の濃い影を作ります。日没近くの海は、複雑な色を見せてくれました。
1月の末の先方の会社との交渉はその後も継続することになったのですが、この最初の交渉も数日続きました。
この時の打ち合わせは午前中とランチを挟んでの2時間ほどだけ、集中して議論するにはこのくらいが限界でしょうか。会議室にはコーヒーと緑茶とケーキやスナックが常備されてました。
午後の早い時間には解放されたので、ちょうどトーリーパインズで開催されていたビュイックインビテーショナルの二日目を少しだけ観戦しました。
この日のリーダーはBrett Quigley、1969年生まれのアメリカ人。出場していたTiger Woodsはその日はスコアメイクに苦しんでいたそうです。僕は顔を見ることができませんでしたが、「タイガーはカートに乗ってバナナを食べてたよ」と同行した同僚に教えてもらいました。僕たちが観戦できなかった最終日にタイガーはスコアを伸ばし、プレーオフの2ホール目にオラハボルを下して優勝しました。この頃のタイガーは強かった。
この時ゴルフ観戦できたのは1時間くらい、夜も同行したメンバーと契約内容について議論して準備し、翌日の交渉に臨んでいました。その交渉の甲斐あってか、その後この会社とは契約を結んで、一緒に事業に取り組むことになりました。
この年は僕の息子の中学入試の年で、1月後半に一つ、2月は1日から数日続く受験スケジュールでした。ちょうどそれに重なったので、僕としても心配でしたし、妻からは「こんな大事な時に出張だなんて」と多少のクレームもありましたが、息子にとってうるさい父親がいなかったことが功を奏したか、受験はうまくいきました。たしか帰国した日に第一志望の合格発表があったと覚えています。良かった。