できない文系院生の悲惨な末路(7)
一心不乱に(研究ではない)「勉強」をしなければならないはずのMくんは己の体裁ばかりを気にし,腰を据えて勉強しなかったため,はたから見るとまったく進歩しないまま修士課程の2年目を迎えた.1年間,院生カースト最下層に甘んじていたMくんであったが,研究室に後輩が入ってきた.通常は,新しく入ってくるM1よりも1年余分に学んでいるはずなのでMくんは院生カースト最下層から抜け出せると思った.十両は無理でも序二段にはなれるだろうと・・・
しかし,残念ながらMくんには厳しい現実が待っていた.新しく研究室に入ってきたJくんとTくんはポテンシャル的に既にMくんを凌駕していた.JくはKくんと同じく指導教員の学部ゼミから飛び級で入学,Tくんは理系の大学を卒業していた.もちろん,2人の母校はMくんの母校よりもずっと偏差値の高い大学を卒業している.もちろん,2人は自分の学歴を自慢したりなどという品のないことは一切しない.Mくんが一方的に気にしているのだ.繰り返しになるがMくんの学歴コンプレックは半端でない.あるとき,出身大学ではなく「出身高校」の話になった.Mくんの母校である高校もその高校がある県では上位の進学校であるので,Mくんは出身大学のコンプレックから解き放たれ,マウントをとりにかかった.
「いやぁ,僕,高校は△△高校卒業しているんですけど・・云々」
としかし,ここでもMくんは絶望の淵に落とされることになる.旧帝大とは言え地方の大学の大学院であったため同じ研究室の先輩の院生もその大学がある県の出身者が多かった.ただ,大学院生にもなると「〇〇高校出身」なんて言ったところで論文が書けるわけでもないし,そもそも10年ぐらい前の話である.どうでもいいといのが正直な気持ちである.さて,Mくんがマウントをとるために満を持して持ち出した自慢の出身校であったが,残念ながらこれがイタイ結果を招いてしまう.ゼミに所属していた院生は多くは大学院のある県の高校を卒業していた.その件は学区制が敷かれており,第■学区にある中学生は原則そこに行かなければならなかった.Mくんの母校も決して悪くはないのだが,Mくんの学区には藩校に由来をもつ高校が学区に君臨しており,Mくんが卒業した高校はそのトップ校に届かない子たちが行く2番手校であった.
いざ,高校の話が始まると,どうやらTくんは,Mくんの隣の学区ではトップの高校であったし,Jくんも,学区トップの高校の卒業だった.筆者も一応,Tくんと同じ高校の出身であるが,Tくんも筆者もその高校が自宅から近いと理由だけで受験している.トップ校とは言え,しょせんは公立の高校受験,突破できないとかありえないのである.
他の院生に聞いてみると,県内の高校卒業者はM君以外すべてその学区のトップ校の卒業であったし,県外の高校でも名前は知られている高校の出身であった.ちょっと残酷な言い方をするとこれらの高校からMくんの出身大学を第1志望にする人なんて皆無であり,そこに進学することは受験の敗者的な認定を受けるということであった.Mくんは出身大学ではマウントが取れないと思い,高校の話に持って行ったのだが,これまで全員Mくんの高校よりも上の高校であり,マウント取りは見事に失敗する.仮に△△高校が学区内のトップ校よりも近ければ,「自宅から近いので」と言い訳することができるが,その学区でのトップ校は,Mくんの自宅と△△高校の途中にあるため,「近いから△△高校に行きました」という言い訳すらできない.こうして,2年目の院生生活もカースト最下層から抜け出せなかった.