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東京五輪開会式の演出騒動に思うこと:日本の組織とクリエイティビティ

普段はゴシップニュースの類を見てもあまり心が動かないタイプの興ざめ人間なのですが、今回は結構気持ちが揺らいでいます。東京五輪開会式の演出に関する、組織委員会・電通・そしてMIKIKOさん(及び他の多くのクリエイター)の間で起きたとされる、一連の騒動に関してです。

この報道に先立って、佐々木宏さんによる女性タレントの容姿侮辱案に関する報道もあり、そちらに関しても「発想がやべえし、そもそも面白くも楽しくもねえし…」と引き潮の如くひいてはいたんですが、ダイバーシティに関する感度が欠如している人が沢山いる事は想像に難くないし、またアイディア出しの段階のものが拡散してしまった事に過敏に反応する違和感も少しあったので、「さもありなん」という気持ちも正直ありました。

でも、その後の続報で報じられた、開会式演出を巡るゴタゴタ(未だになんて表現したらいいのか分かしません)に関してはスルーできませんでした。


僕はPerfumeが大好きです。音楽、振り付け、舞台演出、衣装、アートワーク、そしてPerfume3人のパフォーマンス。Perfumeという箱に、クリエイター達が自身のクリエイティビティをたっぷりと注ぎ込んで、それらが有機的に繋がって、一つの研ぎ澄まされた芸術となる。そんな、凛とした奇跡を体現し続ける3人。僕は単なるPerfumeオタクでしかないですが、本当に、本当にPerfumeという存在を誇らしく思っています。そして、MIKIKOさんは、そんなPerfumeらしさのエネルギーを創り続けるクリエイターとして、とても尊敬しています。

そんなMIKIKOさんは、2016年のリオオリンピックの閉会式における、フラッグハンドオーバーセレモニーの企画・演出を、椎名林檎さんらのクリエイターと共に手掛けられました。未だ見られていない方は、以下のリンクから是非ご覧下さい。たったの8分間ですが、本当に素晴らしいのひと言です。僕もこの記事を書くにあたって見直しましたが、なんだかよく分からない感情で泣けてしまいました(多分、東京五輪本番ではこういうものはもう見れないんだろうという悲しさと悔しさも相まって…)

もともとオリンピックというものに興味が無い僕は、東京五輪に関しても大した意見は持っていませんでした。オリンピックに文字通り命を懸けて取り組んでいるアスリートの方たちの事は尊重されないといけないし、一方で経済面でオリンピックに期待している人達もいるだろうし、はたまた前回の東京五輪の「輝き」をもう一度!とか思っている懐古厨世代の方もいるだろうし…。僕個人が判断するには、オリンピックは色んな人の利害が絡みすぎで、単純に自分の想像力の範囲を超えていると思っていました。

でも、リオ五輪のこの8分間を見て、僕の気持ちは変わりました。きっとオリンピックは日本と世界を改めて繋げる場で、かつ日本の凛とした強さとか美しさを伝えられる場で、そんなエネルギーに満ちたオリンピックになりそう!と無邪気に思わせてくれました。この8分間の映像、何度も何度も見ました。クリエイティビティに富んだ創作物は、人の気持ちをこんなにも動かすことを改めて感じさせられました。こんなオリンピックに対して冷めている人間の僕にさえ、オリンピックにほんのり期待をする気持ちを与えてくれました。


今回文春で報じられている、MIKIKOさんが開会式の演出責任者から「排除」させられたという事とその経緯に関して、どこまでが真実なのかは分からないし、当事者間でも立場によって現実の見え方は違うと思うので、特定の誰かを軽々しく批判する事は出来ません。ただ、ずっとMIKIKOさんの仕事を見てきて、彼女の作品には嘘はない、そして彼女の言葉にも嘘はないと、僕自身は感じています。

どうして、人の真摯なクリエイティビティが壊される事が起きてしまったのか。人のモチベーション・想いが蔑ろにされるマネジメントがされてしまったのか。全く当事者でもないのに、やりどころのない苛立ちと悔しさを感じています。利害関係の衝突、ビジネスとクリエイティブの対立、上意下達の「空気感」、既得権益、日和見主義、組織としてのビジョンの欠如…。外からは見えないけど、数えきれない程の組織的綻びがきっと多くあったのかと想像します。

文春の記事の中の話なので本当かは定かではないですが、MIKIKOさんは今回の一連の騒動に関して、以下の様に述べているとのことです。

「またこのやり方を繰り返していることの怖さを私は訴えていかないと本当に日本は終わってしまう」

「こんな問題は、私たちの世代で浄化したい」

例えこれがMIKIKOさんの言葉では無かったとしても、僕はこの言葉を大事にしたいと思います。とか言うと「お前オリンピックの開会式でも企画するつもりなんか」とか言われそうですが、そうではなくても、多分色んな組織の色んなレベルで似たような問題は起きていると思うんです。つまりは、人のやる気やクリエイティビティをいとも簡単に削いでしまう仕組みや組織。ある特定の個人を批判して一旦改善したところで、また似た別の人が同じ問題を起こす、その繰り返し。漠然としている話ではりますが、その仕組みが問題である事をちゃんと自覚する事が、前に進むための一歩になるのかなと思います。

今回の件を踏まえて、日本という国をしっかり誇れるように、良いものをちゃんと良いと称えそれが実現されるような世の中にしたいという青臭い想いが改めて出てきたので、その熱が冷めない内にこの文章をしたためました。

にしても、文春は本当に凄いな…電通やオリンピック批判になるような報道は他の大手メディアではおそらく出来ないし、文春にしか出来ない仕事だったと思う。文春の社会的意義を(初めて)感じました。

オリンピックの開会式、僕はどんな気持ちで見る事になるのでしょうか。まあこれも、本当に東京五輪が開催されればの話ですが…

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