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出雲とヤマト6 出雲の二つの王家
前回の続き
https://note.com/tohokami_life/n/n4c4cd22581ec
出雲は二王制を採用していた。
初代の王 大名持 八耳王と稲田姫には
古事記では大己貴命 稲田姫は櫛稲田姫
2人の王子がいた。
その2人の王子を東西王家として、管轄地をわけた。
![](https://assets.st-note.com/img/1702159111159-63wHqlIlb7.jpg)
東王家は富家(東出雲)
西王家は郷戸家(西出雲)
そして、主王は大名持、副王は少名彦という
役職名で呼ばれた。
両家の当主のうち、年長者が大名持、若い方が少名彦になった。
古事記では少名彦は、小人であるが
実際には、小さい人間でなく若い殿という意味で、彦は王子を意味した。
東西王家の特徴
西王家は斐伊川からの砂鉄を採集する仕事
東王家は花仙山からメノウ「碧玉」の原石を採集する仕事を担当。
![](https://assets.st-note.com/img/1702159111188-3sNztDGQE8.jpg)
東王家のメノウから勾玉が作られて
玉造湯神社には、櫛明玉「玉祖命」が祀られた。
この神様の、子孫はやがて、富家の分家から出て忌部氏となる。
出雲王国時代は、富家の后や姫が、姫巫女として王家祭りを主催し
その祭りを助けるのが忌部氏で、玉石の採集と玉作りを担当した。
出雲王国時代は玉の首飾りを付けるのが豪族の証であった。
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