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追悼:藤子不二雄A先生~愛…しりそめし頃の僕らの思い出と共に

藤子不二雄A先生、いや我孫子先生…心からご冥福をお祈り申し上げます。

>漫画家の江口寿史氏はツイッターで、「藤子不二雄A先生。F先生と再会してるかな」(Yahoo!ニュースより)。

この一文だけで、ちょっとグッときてしまいました。最近涙もろくて…長谷川誠です(ちなみに加齢と共に涙もろくなるのは老化らしい…笑)

藤本先生(F先生)がお亡くなりになった際、いつかは我孫子先生も…と思っていましたが、何て言うんでしょうか。おじさん臭い表現を許してもらえるのならば、ある種の時代が終わったように感じます。本当に藤子不二雄が完結したような、ロス感を感じております。

我孫子先生の『まんが道』により、トキワ荘という伝説のアパートの存在を知ったのは小学生の頃でした。NHKの銀河テレビ小説で放送されていた実写ドラマ版のビデオ録画を親にお願いし、何度も何度も見ていました。何故かドラマの主題歌を海パン姿で歌っていた夏のシーンが鮮やかに思い出されます。今思えば、ちょっとアレな子供だったような気もしますが…。

藤本先生が、少し(S)不思議(F)な世界を突き詰めていったのに対し、我孫子先生は人間の愚かさや生々しさを突き詰めておられたように思います。

そう言えば、小さい頃は太い木の枝を見つけた際の鉄板ネタは『プロゴルファー猿』真似でしたよねぇ…。布を被ればミスターX…。体が痒い時には『怪物くん』のアニメ主題歌を歌い…ファミコン版の『忍者ハットリくん』ではハットリくんの父親がチクワに混ぜてダンベルを投げることに衝撃を受け…。我孫子先生の作品に対する思い出は湯水のごとく湧きあがってきます。

TBSの夜番組「ギミア・ぶれいく」でアニメ版『笑ゥせぇるすまん』と出会い、「そうか我孫子先生は劇画タッチだし、『魔太郎がくる!!』的な作品を描かれたいんだなぁ」とボンヤリ思ったことも思い出されます

我孫子先生作品と言えば、人間の愚かさを先生が描いているからか(笑)、版権使用がパチンコ業界に許可されることも多く、大人になってからもお世話になったこともいい思い出です。初代スロット『笑ゥせぇるすまん』は面白かったよなぁ…スロット『プロゴルファー猿』のボーナス中に流れた主題歌に盛り上がった記憶も…

先生、愚かな私を楽しませてくれて本当にありがとう御座いました。

是非とも我孫子先生の記念ミュージアムも作っていただきたい。是非とも行かせていただきたい。藤本先生の記念ミュージアムもまだ訪ねられていませんので、我孫子先生、藤本先生、両名の記念ミュージアムを訪問し、最終目的地は豊島区立トキワ荘マンガミュージアム!そんな夢のような旅を、いつか実現したいと思います。

合掌。

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