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当麻の記憶#2 神社とスキー場の昔話

当麻神社鳥居の向かい側、宮前橋の横に商店の名残がある建物があります。ここに居を構えているのは中富實さん(昭和13年2月2日生)、恵子さん(昭和12年7月7日生)ご夫婦です。
この場所で商いを始めたのは、恵子さんのお父さん。お店を建てる前は地区の会館があり、恵子さんが小学生の時に土地を購入し、住居を構えたそうです。始めは住居の一部で、たばこと少数のお菓子の販売から始まり、少しずつ改築を繰り返し、昭和45年頃に現在の建物で「サンマートなかとみ」としてスタートしました。店先には恵子さんや恵子さんの姉妹が立ち、實さんは注文や配達を担当。食料品、お酒、文房具、たばこなどを取り扱っていました。

現在の中富さんの住宅
当時の中富商店
サンマートなかとみ時代

当麻神社や当麻中学校があるエリアにお住いの中富さん。それらにまつわるお話を伺いました。
当麻神社が旧神社跡(現在も中央1区に町指定文化財としてその名残が残っています)から今の場所に移ったのは昭和32年7月8日のこと。当麻町史では午後8時に約200人の人が新社殿に向かい、道中は多くの村民で埋め尽くされていたと記されています。恵子さんもその記憶が鮮明に残っており、白衣を着て燈明をかざした人たちが笛や太鼓を鳴らしながらも静々と歩いていたと話してくれました。

中央1区にあったころの当麻神社
現在の神社


当麻中学校が今の場所に建築されたのは昭和27年のこと。その前は当麻小学校の奥に校舎がありました。新校舎への引っ越しの時、自動車などない時代ですから机や自分の荷物は生徒一人一人が持ち運んだそうです。道中に流れる当麻川で机を洗い、きれいに磨いてから新校舎へ運び込んだのだとか。


当麻中学校に向かう道路の昔と今

實さんからは当麻山スキー場の思い出を教えていただきました。子どもの頃、当麻山のスキー場は現在の緑郷方面に向かった斜面ではなく、市街方面
(西側)の斜面を使っていたそうです。ここにはジャンプ場があったそうで、子どもの頃、ジャンプ台整地のために支障になる木を伐る作業を手伝った記憶があるそうです。町史によるとジャンプ場は昭和26年に整備され20メートル級のジャンプ台が備わっていたようです。實さんはそれほど高いジャンプ台ではなかったが、急斜面で両脇も木に囲まれていたから幅が狭かったと記憶を辿っていました。完成した当初は第1回村民スキー大会が盛大に行われるなど大々的にこけら落としが行われましたが、積雪の悪さとあまりに急斜面だったためにその後はあまり利用されませんでした。實さんはジャンプの選手として学校から選抜され、上川や札幌の大会に出場していたそうです。当麻山の麓、現在の総合グラウンドや北海道の池がある場所にはばん馬場もあったそうです。
宮前橋を流れる当麻川は今よりも水量が多く、雪解けの時期はあふれるくらいの水が流れていたそうです。堤防もずっと低く、恵子さんの妹が川に流されたこともあったそうです。川では子どもたちが泳いだり、冬は凍った川面でスケートも楽しんでいたそうです。

当麻川が流れる宮前橋。川は子どもたちの格好の遊び場だったようです