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おしどり夫婦

招き入れられた空間にはフィルムカメラが所狭しと並び、床には今でも現役だというビンテージ感漂うミシンが数台鎮座している。壁に掛けられた振り子時計の雰囲気も相まって、昭和生まれの自分にとってはどことなく懐かしさを感じる。家主である夫が他界してから7年間、夫にとって特別だったこの空間をそのまま残す奥さんは、ゆっくりと夫の話を始めた。
      
 樺太からの引き揚げ者だった夫の家族は、湧別に移り住み、そこで夫は馬具職人の道を目指した。始めは見習いのため給料は支給されなかったそうだ。26歳の時に当麻に移住し、自身の店を構えた。もちろん店舗を建てる貯えなど無いため間借り。しかし時代は馬から自動車へ移りつつあった。商売を始めたのは良いが、馬具屋だけでは生計を立てることができず、並行して田植え靴や運動用品の行商も行った。職人気質で人と話すのが苦手だったためあまりうまくいかなかったという。トラック運転手の仕事もした。やっと
の思いで購入した中古のトラックは故障が多く全く使い物にならなかった。お金の工面にはいつも苦労していたと奥さんは話す。その後、テントを販売する業者とつながりを持てたことで、技術を生かし、テントの製造・補修をしながら、店頭では運動用品や靴などを販売する業種に何とか落ち着いたという。
 奥さんとの馴れ初めは「お見合い」。一緒に住むまでの間に顔を合わせた
のはたったの3回だった。「店を手伝ってほしい」 という夫の願いを受け、嫁いだ日から今日までほとんど休みなくミシンを踏み続けている。
 夫は物を集めることが好きだった。あげると言われた物は何でももらってきた。びっしりと並べられた古いカメラも知り合いから譲り受けたことがきっかけで集めだしたという。撮影することが好きだったわけでも、カメラという機械に興味があったわけでもないらしい。
      
 「お金はほとんど残さないで死んじゃったから…。でも好きなことやって幸せだったんじゃないかな」と奥さんは目を細める。
 借金して何とか持つことができた現在の店舗兼住宅。生活の歴史を重ねてきた相応の古さは感じるが、器用だった夫の手掛けたリフォームや装飾は大切にされてきたことを物語っている。“もう歳だから何をするのにもノロいんだけどねぇ”と話す奥さんは、店主がいない今も店を開ける理由を教えてくれた。「苦労しながらも夫婦で守ってきた大切な場所だからね。私が頑張って守らないといけないと思って…」

 この記事を出すにあたって“敢えて個人名は出さないでほしい”と言われた。希少価値の高いものが残っているわけではないが、この場所はできるだけ現状のままそっとしておきたいそうだ。
 取材の終わりに旦那さんが残した古いカメラのレンズを使用して、思い出が残る場所と奥さんを撮影させていただいた(下写真)。オシドリ夫婦が、笑顔で仲良く並んでいるようだった。

オリンパス G.Zuiko Auto-s 40mm/F1.4をオリンパスOM-D EM-1に装着して撮影