9.11『虫の知らせ』ー残された大きな丸い穴と金属臭
今から23年前の9月11日朝、アメリカで4機の旅客機がハイジャックされ、日本人24人を含む2,977人が死亡、25,000人以上が負傷するという世界を震撼させるテロ事件が発生した。初めにアメリカン航空11便とユナイテッド航空175便の2機がワールドトレードセンター(世界貿易センタービル)に突撃、続いてワシントン郊外にある国防総省(ペンタゴン)、さらにコロンビア特別地区に向けた飛行機もペンシルヴェニア州シャンクスヴィルの野原に墜落した。
事件当時筆者がテレビを観ていると緊急速報が流れた。アメリカで一機の飛行機がビルに衝突し、さらにもう一機が衝突。そのうち衝突映像が映し出され、さらに二機の飛行機が墜落、計四機が墜落した。一体何が起きているのだろうか。その異様な事態に筆者の頭は混乱し、テロップに表示された「11便」の墜落を「11機」の墜落と見間違えてしまうほどだった。知り合いに電話をして「これは事実なのか?」ということを確認をし、ようやく事実だと認識することができた。
テロ当日
2001年4月にインターンシップ生としてアメリカに来たKさんは当時ペンタゴンから4駅ほどの場所にアメリカ人のルームメイトと住んでいた。その日の朝も日課であるジョギングをしていると、フロントヤードに子猫くらいの生き物を発見した。リスか何かと思って見に行くと大きい毛虫だった。その毛虫がなんという虫なのか気になったKさんだったが、まだスマホもない時代、その疑問を解明するには家のパソコンで調べるしか術がなかった。家に帰ってネットで調べると、「Hickory horned devil(Citheronia regalis)」という北アメリカに生息するママユガ科の蛾だということが分かった。
「後で考えると、その後に起こった事件は虫の知らせだったのかもしれない、なんて思いました」
ネットで調べるといっても当時のグーグルは昨今のように検索ワードを打ち込んだら目的の情報が一発で沢山出てくるというほど発達していなかった。Kさんがその虫の情報に辿り着くまでには博物館のサイトに行き、そこから探し出す必要があった。虫の情報を調べたために家を出る時間が遅くなってしまったKさんは、ペンタゴンで契約社員で働きながらパイロットの学校に通っているルームメイトに、インターンシップ先まで車で送ってもらうことにした。
Kさん一行を乗せた車がKさんの勤務先方面に向かって走っていると、ルームメイト宛てに勤務先から一本の電話が入った。ルームメイトは電話の相手に幾度か相槌をうち、電話を終えるとKさんにこう言った。
「アパートに帰ろう」
唐突にそう言われたKさんは「え、でも私の仕事が・・」と言うと、「多分あなたの仕事も今日はないから」とルームメイトに言われた。やむなく二人はアパートに戻ることにした。
電話があったのはニューヨークに飛行機が落ちた直後で、電話の内容は、ペンタゴンも危ないから今日は近づかない方がいい。自宅待機していてください、という趣旨の内容だった。
アパートに戻る途中、車内のラジオではニューヨークでの墜落のニュースが流れていた。当時のKさんのリスニング力では具体的に何が起きたのかを理解するには不十分だったが、緊迫した雰囲気は伝わって来た。ルームメイトも関係者に電話するなどして狼狽している様子だった。
「アパートに戻ってテレビをつけると、ニューヨークの墜落事故の様子が映っていたのでようやく事態を理解しました。2ちゃんねるでは、日本人がアスキーアートでツインタワーから人がどんどん飛び終わる絵が投稿されていて、そこからしばらく2ちゃんねるを見なくなりましたね」
TVのニュースでは、ワシントンモニュメント近くに多数の軍用機が警備をし始めたため、ワシントンモニュメントも狙われているという噂が流れていた。そして間もなくしてペンタゴンに飛行機が落ちた。
「テレビで献血を呼びかけ始めると、ルームメイトは『ドネーションに行ってくる』と言って、献血に向かいました。その行動力と決断の早さは、日本にはないなと思いました」
「始めてアメリカが侵略され、プライドの象徴をああいう形で壊されたのはトラウマになっているんだと思います。怒りも覚えていると思います。ただ、ある程度学のある人は、なぜああなったかという経緯を知っているので、もちろんトラウマにはなっているんだけど、人間ってしょうがないなと思っている印象を受けます。ただ、初めて空襲を受けたわけですし、ショックだったのは分かりました。というのは、マイケルムーア監督が後に発表した『華氏119(原題Fahrenheit 9/11)』という映画をアメリカ人の旦那と観ていた時、旦那を含めた旦那の家族も映画館で泣いていたからです」
後にKさんと結婚したアメリカ人の旦那さんは、当時ワシントンD.C.に入れず、自宅待機だったが渋滞で戻ることもできず、その間ラジオでずっと事件の状況を聞いていたという。
「ツインタワーは資本主義の象徴、ペンタゴンは(世界の警察たる)アメリカ軍の象徴として、そこを攻撃してメンタルを痛めつけるという目的もあったんじゃないかなと思います」
もし日本で東京タワーや皇居に他国の飛行機が追突して来たとしても、東京タワーや皇居を神格化している日本人は希少なため、日本を攻撃されたことに対する怒りや悲しみを覚えることはあっても、アメリカ人が9.11で受けた時の感情のようにはならないだろう。
「私自身もニューヨークは住んだことがない地域ではありましたが、テレビで人がどんどん死んでいくのを見て泣きましたからね。でも、実際に飛行機が墜落したことよりも、事件の跡地の方が実感が湧きました。毎日通るハイウェイから、ペンタゴンに丸い大きな穴が開いているのが見えるんです。金属臭のようなものも少ししてました。それを見ると『あぁやっぱり堕ちたんだなぁ』って思うんですよ」
テロ後
「テロの後は、外国人はなるべく外に出ないでと言われました。私はまだアジア人だったのでそうでもありませんが、特にインド人などは中東の人に見られるので、パスポートなど自分の身分が分かるものを携帯して外出してくださいと言われました。しばらく中東に関わる映画や音楽も禁止されていました。ただ私が通っていた地下音楽クラブでは、逆に反発して中東の音楽かけてましたが。ラッキーなことに、私の周りはリベラルで、人種や性別による差別を嫌悪する人が多かったので、差別にあっているところを身近では見ることはありませんでしたが、中東の人がリンチされた話や警察から不当逮捕されるという話はしょっちゅう聞きました。あと、中東に関係ないインド出身の方が、レストランに行っても無視されるという話もありました。これは、私が米国を離れる2015年までずっとニュースで聞いていました。残念ですね」
テロ事件以降、イスラム教徒への差別が世界各地で目立つようになった。イスラム教徒の人達が謎の理由で飛行機を降ろされる、搭乗を拒否されるという事例が多発し、直接テロ攻撃にあっていない日本でさえ、イスラム教徒=テロリストという間違った認識を持つものが増えた。
また、空港や機内で実施される安全対策は大幅に強化されるようになった。ライターの使用が全面的に禁止され、液体の持ち込みは禁止になり、国際便ではX線の身体検査では靴を脱がなければならなくなった。コックピットは乗客が操作できないようにロックされるようになった。
米国政府はこの事件をイスラム過激派テロ組織アルカイダによる犯行と断定した。そしてこの事件を契機として、アフガニスタン戦争が勃発した。
テロリスト達も駒として利用されていた。イスラム教徒のテロではなく、アメリカ軍とワシントンDCの国防総省が計画した。当時のジョージ・W・ブッシュ政権内のイスラエルのスパイが、あらかじめ仕掛けておいた爆発物とミサイルで攻撃したのではないか。などという憶測や陰謀論なども多く出ている。真実は分からない。
ただ、事実としてあるのは、ならなくてもいいはずの多くの命が犠牲になり、さらに多くの人の身体や心を傷つけたということだ。その傷痕が癒えずに今も苦しんでいるも多くいる。
今なお、世界各地では紛争が起きている。その理由は様々である。