バイクと野生
これは恐らく百万人以上の人に百万回以上は言われている言葉だが、「オートバイに乗ると風になれる」。
自転車と同じように乗った人の身体がむき出しなのに、めちゃくちゃスピードが出るのが良い。風が全部来る。
大きい橋を渡るときは、車道の空気は綺麗でもなんでもないはずなのにやたらと空気が澄んで、視界が開けて、つい深呼吸をしたくなる。この時の身にまとわりつく風は「爽快感」の具現だ。というか自分が「爽快感」になる。
そんな風に考えつつ渡る橋の向こうにはタワーマンションが何本も建っている。地上から見たその窓ひとつひとつは小さくて、夜になるとその窓ひとつひとつに明かりが灯り、その中には人が一人以上住んでいて、更にそのほとんどの人達が各種SNSのアカウントを持っていて、それを眺めて今まさに一喜一憂している人もいたりいなかったり……というちゃちな人の営みを想像するとなんかゾッとする。
乗っている乗り物によって街の見え方は全然違う。電車やバスの中から見る高層マンションの灯りには感動してしまうことがあるのに、バイクに乗っているとなぜかヒいてしまう。天に伸び、直線的な造形でスンッと無味無臭を装いつつも、そこは生活が営まれる場、歴然とした「巣」であるというアンバランスな事実が気色悪い、インチキ臭いものとして目に映る。ホールデン・コールフィールドですか?
一方、河の下、橋の下の方、水辺や木の陰、夜は真っ暗で何も見えないような空間、および地面の中には、ひっそり暮らしている鳥や虫やモグラとかがいて、ザワザワ言う草の根元で目を凝らして獲物を狙っていたり、樹上の巣でぬくぬく寝ていたりするのだろうと考えると、そちらの方が何か楽しそうな気がしてきてしまう。見た目通り、味も匂いもするだろう。こっちのほうが「本当」っぽい。
タワマンより橋の下の茂みに惹かれるのも、全部バイクのせい。バイクの時は、「風」思考。高層ビルの合間を吹き抜けてスーパーの袋を運ぶよりは、地上で河の草を揺らす方が気持ちが良い。
野生! この生活に野生をもっと~~!
などと考えながら家に帰ってくると、庭の巣穴からモグラが顔を出して
「お前に野生が耐えられるのか? 俺たちモグラは十二時間何も食べないと死ぬ」
と言って穴に帰って行った。辛い。
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