思い出の店、魚好
まあまあ日が経ってしまった事もあり
トピックはビンビンに思い出せるが、感情の部分が、かなり危うい。
だけど、報告書を書いている訳でも無し
自由だ!フリーダム!
(僕の大好きな友人のまねっこ)
祖父さんの四十九日法要と片付けで鳥取に来た二日目、一日遅れで妹がやってきた。
これまた良く出来た妹で、実に要領よく即戦力となり、家が片付いてゆく。
兄貴といえば、物思いにふけってしまい、最終的にはサボり出す始末。
ひとしきり片付け(と物思い)を終えた頃、夜は近所の飲み屋に出向く事になっていた。
魚が好き、と書いて、魚好(ぎょこう)
よく祖父さんと飲みに来ていた店だ。
魚好はマスターが一人で切り盛りしていて、L字カウンターだけの、こじんまりとした店だ。
毎年1月2日は、父親は高校の部活動の同窓会。
それに合わせて祖父さんと孫の僕も外に出れば、母親がちょっと休息できるかね、みたいなノリで、魚好に行くのが恒例となっていた。
初めて入ったのは、アシスタントを辞めた後だから、23歳の正月になる。
マスターや常連のお客さんから「こげなじじくさいとこで悪いが」など、自虐をされるのだけど、その頃からどっぷり大好物だった。
そんな、僕と祖父さんの大切な思い出、魚好
とりあえず料理はいつも通り、お任せ
この他にも煮物や、焼き魚なんかをつまんだ。
ひとしきり喉を潤したところで、芋の湯割りを頼むと、マスターが気を利かせてくれて「おじいちゃんが使ってたグラスで作ったげるね」と、祖父さんのマイグラスで湯割りを飲んだ。
魚好のマスターと、祖父さんの思い出話なんかをゆっくり楽しんで夜が更けてゆく。
その中で、結構笑ったエピソードが一つある。
祖父さんは家族が集まると、自信満々の顔付きで刺身包丁と出刃包丁を棚から出して来ては
「よーお、切れるで」と、嬉しそうに笑うのだ。
てっきり毎回祖父さんが一生懸命に研いでると思っていたのだが、どうやら影の立役者は魚好のマスターだったらしい。
「孫らが帰ってくるけぇ、よぉ研いでごせ」と、祖父さんが魚好に持ち込んでは、マスターが研いでいてくれたみたいだ。
うんうん、目に浮かぶ。
でも祖父さん、さも自分が研いだかのように誇らしげだったよな。
「これ、◯っちゃん(マスターのこと)!そげなこと、バラすなや!」なんて、お空から怒りそうだ。
僕と祖父さんの思い出の店、魚好にて。