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鳥取のおばあちゃん
だいぶ間隔が空いてしまった
ぼくの尊敬して止まないフォークシンガーがnoteを始めた。ぼくの中のチャランポランな彼のイメージが、がらんがらんと音を立ててぶっ壊れるかのような文章に、また惚れ直したりするのだ。
昨年、鳥取のおじいちゃんを亡くして
色々書きたいことがあれど、フェイスブックやらでツラツラと垂れ流すのは、人によっちゃ、ともすれば興味のない話
オナニーは部屋に篭り、こっそりとするものなのだ。
という事で、わざわざリンクをクリックしてまで読みたい!って人にだけ、見てもらえたら良いやと思い、始めたこの遊び。
当初の目標の、じいちゃんロスを乗り越えるため、は、もう大丈夫かな。歌も作ったし。
ここからは、先に話したぼくの尊敬して止まないフォークシンガーの日記を見てたら、触発されて、また僕も色々書いてみようかと思った。
その前に、たらたら続いた鳥取シリーズで、おばあちゃんの話を最後に。
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鳥取のおばあちゃん
今からもう10年以上前に大腿骨の骨折をしてしまい、その頃からじいちゃんの家の近所の施設で暮らしている。
うちの家族は、わりかし親戚で集まるのが好きなタチで、正月は鳥取で過ごすことが多かったんだけど、施設暮らしをしているおばあちゃんも、正月には外泊届を出して、みんなで魚や肉を食べていた。
僕らが集まらない時だって、じいちゃんは良く顔を見せに行ってたみたいだ。
あとはじいちゃんお手製の牛すじカレー。ばあちゃんが噛み切れるように、柔らかく柔らかく煮込んだ牛すじカレー。これがおばあちゃんの大好物だった。
そして世の中はコロナ騒ぎ。
陽性者の少なさのトップグループである鳥取県は、とにかく県外からの観光客に厳しく、とりわけ高齢者施設においては、県内はおろか身内でさえ、なかなかの厳しさでガードされていた。
そんなで、僕らもずいぶんおばあちゃんには会えてなかったけれど、去年じいちゃんの四十九日で鳥取へ行った際に、ちょうど陽性者の数が落ち着いてた頃合いってのもあり、マスク着用&屋外&フィルム越し、で、おばあちゃんに会うことが出来た。
一つ、心配ごとがあった。
実はおばあちゃんには、おじいちゃんが死んじゃった話をしていない。
というのも、当初、余命2ヶ月かな、という感じで話を聞かされた時は、何とかおばあちゃんに会わせてあげたいね、孫ら(僕ら)にも会わせてあげたいね、いっそずっと我慢してたお酒も飲んでもらおうか、みたいな話をして
不安ながらも、前向きでいられたのだけど
2日後、急に死んじゃうもんだから、色々な予定が狂っちゃったのだ。
結論、おばあちゃんには知らせずにおこう。
まだ会わせてあげられるなら、会わせてあげたかった、けれど今さら「実はじいちゃんが死んじゃった」なんて話をするよりも、しない、をうちの家族は選んだ。
ただ、コロナ騒ぎの中も、窓越しに週に一度は顔を見せに行ってたじいちゃんだ。
流石に1ヶ月以上も顔を出さんと、おばあちゃんも不思議に思うんじゃなかろーか、その時に僕たちは、上手く誤魔化せるのだろーか、と会いに行った。
「昨日は哲也さん(じいちゃんの名前)が来てくれて、今日はたっちゃん(父ちゃんのこと)たちが来てくれたで」
と嬉しそうに笑うおばあちゃん。
これは、きっと、そーゆうメルヘンな話ではなく
そう、おばあちゃんはもう数年前から、記憶がボヤボヤしている。
きっと何で皆んなに中々会えないのかも、なんでマスクをさせられているのかも、説明してもすぐに忘れてしまうみたいで、頭の中ではのんびりとした時間が流れていそうだ。
前に四十九日、鳥取に来て良かった
と話をしたと思うけれど、それがこれ。
急遽おばあちゃんに会える事が決まったもんだから、急いで大して伸びてない髭を剃った。マスクをするってのに。
対話は入れ替わり性で、僕の番
「ともくん、太ったんじゃないか」
「お互い様だよ、おばあちゃん」
おじいちゃん、おばあちゃんは丸っとなって
元気だったよ。