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本とカメラの話②
来るべきダウンに備えて買った荒木経惟の「写真への旅」が面白かったよ、って話の続き。
ハマるハマらないはあれど
写真とすごく向き合えるんじゃないだろうか。
‥僕はどんな目線で言ってるんだろうか
と、この部分何度も書き直してる。
だけど、そもそも、だ。
このnoteというサービスを始めてみたキッカケは「じいちゃんの急逝」という辛い出来事を
何かの形でアウトソースしたかったからだけど
実は前からフツフツと検討していた理由の一つに、Facebookでツラツラ長文を書くのがタルくなったからである。
(今んとこnoteに書いたものをコピペ転載してる)
なんかいきなり脱線したけど、書き切ります。
と、書いてみたら脱線し過ぎて大惨事
カメラの話をします。
この話はまた今度。
そう、カメラというか、写真の話。
本の中には宝物の様な言葉が沢山出てくるのだけど、その中で特に僕が感動した言葉。
(抜粋は面倒なのでニュアンスでいきます)
写真は面接
なんて事かと言うと、面接、つまりは正面勝負。眼と眼の正面勝負をしろ、って事を言ってるんですね。
写真を撮るのに隠し撮り気味に撮ったりせずに、ファインダーを人に向けて、ファインダーの中で"肉弾戦"ならぬ"肉眼戦"をしろって事らしい。
(これ、本の中に書いてありますよ、さむーい僕のダジャレじゃなく
もっと言っちゃえば、景色なんか老人になってから撮ればいい、人を撮れ!とまで書いてるのです。
少し昔話をします。
僕が昔まだ写真家を目指していた頃、仕事用の写真と、個人的なライフワーク的な写真と、それぞれのスクラップを作ってました。
ライフワーク的な写真は、毎年テーマを決めて、年に一度開催される写真家の登竜門的なコンペに出すわけで、細かなテーマは別にして、大きな括りとしては人を撮るのが好きでした。
だけど、この人を撮るという行為。
本当に難しかった。
僕は人見知りだし、緊張するとドモってしまうし、見知らぬ人とのコミニケーション能力というものが無い。
だから良く使った手段としては
リコーのGRをF4〜5.6ぐらいで設定して
手のひらで包み込む様にして
街の中で息を潜めて盗撮をしまくっていた。
あまりにも単調なので、何度か思い切ってカメラを向けてみたものの、当時戦場としていた場所が場所だったため、みなまで言いませんが怖い思いもした。
その点、身内は気楽なもんだったなぁ。と思い、昔の写真を振り返ってみたら
身内の写真は、ポワーンとあったかいのだ。
かたや街で盗撮した写真たちは、ドヨーンとつめたいのだ。
なるほどなぁ、なんて思っていたら
無性に人を撮りたくなり
ただ、バチバチにモデルナ副反応中だったので、街を出歩く元気はなく、とりあえず身内からウォーミングアップだべ、と。
ばあちゃんを撮りました。
(ばあちゃん、まさか撮られるなんて思ってなくて、ラフ過ぎる格好だったのに、ごめんよ)
今さらもう一度写真家を目指したい、とか
そんな志が燃え上っちゃってるわけじゃなくて。
今撮れる写真を撮りたくなったのだ。
まだ10代だった頃に足を踏み入れて
辛い思いを沢山した結果が
そこそこに安定した今の生活
そこそこ上手く写真を撮れる
僕だって数年間遊んでたわけじゃないから
良い写真は撮れるはずなのだ。
上手に撮れて当たり前である。
でも、もっと根っこの写真をやりたくなった。
もう焦る必要なんてないのだから
のほほんと今を撮ってやるのだ。