根は張らず、狩猟採集型で生きていく
漁師といえば、カニやマグロを専門とする漁師は、1年に3ヶ月〜半年ほど遠洋漁業を行い、年収分を稼ぐと言われている。
僕はこういうお金の稼ぎ方に昔から憧れがある。
実際、遠洋漁業を生業としている漁師の方々はそれほど楽な暮らしではないと思うけれど、短期集中で一定期間を生き延びるために必要な分のお金を稼ぎ、余った時間をのんびり過ごすというやり方は、僕にとって理想的だ。
ちょうど、アリとキリギリスの間を行くようなスタイルと言えるのかもしれない。
また、なるべく働きたくないという怠惰な性格に加え、僕は極度の飽き性のため、同じ仕事をずっと続けることができないという性質もこの考えに影響を及ぼしている。
最初はどんな仕事も新鮮味があるため、わりと面白がって意欲的に取り組むことができるけれど、中身が知れてそつなくこなせるようになってくると、その仕事に色彩を感じなくなり、「やっている」というより「やらされている」という気持ちが強くなり、一気にモチベーションが下がってくる。
お金を稼いで懐を満たすことよりも、自分の中の知識や経験を満たすことの方にインセンティブの比重があるようで、見返りがもはやお金だけしか残っていないと感じられる頃には、仕事に向き合う僕の目は死んでいる。
最初は全くうまくやれなかったことが、段々とできるようになってく過程に楽しみを感じる。
空白を余白に変えていく作業、全く知らない世界へとダイブして、暗闇がだんだん明るくなっていく感じを眺めるのが好きなのだ。
そういう自分の性質を知ってからは、なるべく色味が残っているうちにその仕事を離れ、別の場所へと移ることにしている。
その方が雇用主や同じ職場の人たち、お客さんに対しても迷惑をかけなくて済む。
ただ、この飛び石的な仕事の回し方だと、矢継ぎ早に新しい仕事を見つけなければならない。
そこにストレスを感じるのが嫌なので、日々生活をする上でのお金の燃焼効率を下げると共に、お金を稼ぐための間口を広げ、稼ぐ時には先々の分までどかっとまとめて稼ぐスタイルを追っている。
お金の稼ぎ方を「食いぶちの確保」という切り口で捉えた時に、僕は大きく分けて3つの型があると考えている。
①田畑を耕し金を実らせ収穫をする「農耕型」
②農耕型に仕えて役割をこなし、報酬として金を貰う「農奴型」
③金のある所に出向いて収集する「狩猟採集型」
①はいわゆる会社や店の経営者で、②は①の元で働く従業員やアルバイト、③は投資家やフリーランスが近いと感じている。
2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、そして今般のコロナパンデミックを経て改めて思うのは、③をベースとしつつ、時折①や②にも移行できる余白のある稼ぎ方をしている人は、適応力があり、強く、この先も生き残っていきやすいだろうということ。
熊本地震以降、目の前の状況に合わせて柔軟にピボットしながら生き方を変えていく人々のことを、「地面に根を張らず、根無し草のように生きている人」という意味で「根無人」と呼び、リスペクトしている。そして、どちらかと言えば僕自身もそちら側の住人だという自負がある。
お金が必要な時だけ集中して稼いだり、社会の潮目を読んで、多くのお金が流れていそうな場所を見つけたら柄杓を持って出向いて行って掬って帰ってくる、といった狩猟採集型の稼ぎ方をする根無人的な生き方が、今の自分にははまっていて、とても具合がいいのだ。
ただ、コロナパンデミックに乗じてマスクを転売にかけたりするような稼ぎ方は、根無人的だし狩猟採集型の稼ぎ方に近いと思う反面、僕自身の美学には反するため、稼げると分かっていてもやらない。
モラルを保ちつつ狩猟採集型の稼ぎ方をして、余した時間をのんびりと過ごすスタイルが、今のところ自分としてはベストだ。
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