見出し画像

LanLanRu映画紀行|美女ありき

舞台:1786-1815年/イギリス

大学の受験日前日、今更じたばたしたって仕方ないやと、ホテルのテレビをつけたらやっていたのが「美女ありき」だった。トラファルガーの海戦で活躍したイギリス海軍提督、ホレーショ・ネルソンとハミルトン夫人の不倫の恋を描いたモノクロ映画。見るともなく見ていたら、次の日の試験でトラファルガーの海戦についての問題が出た。無事大学にも合格できたので、幸運の思い出の映画だ。

ハミルトン夫人の不倫の恋を描いた「美女ありき」

1941年公開/アレクサンダー・コルダー監督作品
ヴィヴィアン・リーが美しい。ネルソン提督とエマ=ハミルトンの歴史上有名なスキャンダルを描いたイギリス映画。原題は「That Hamilton Woman」なのだが、「美女ありき」というタイトルが哀しい。今は落ちぶれたハミルトン夫人が過ぎ去った遠い日々、ネルソンとの幸せな思い出を問われるままに物語る。

エマ・ハミルトンについて

エマ・ハミルトンは、実際美貌の愛らしい女性であったようだ。画家のジョージ・ロムニーが惚れ込んで彼女の肖像画をたくさん描いているので、その印象を知ることができる。
もともと鍛冶屋の娘だったところを、家政婦や家庭教師などをしているうちに貴族男性の愛人になり、社交界で必要な知識を身に着けていったようだ。自ら「アティテュード」(Attitudes)と呼んで披露していた見世物も人気を呼んだ。ギリシャ神話のメデイアからエジプトの女王クレオパトラまで、多くの古典的な題材をポーズや踊り、演技を取り混ぜて表現した彼女の演技は、多くの貴族や芸術家を魅了して、ファッションアイコンとしての地位を確立していった。

エマ・ハミルトン 『図説イングランド海軍の歴史』より引用 p462


エマがネルソンと出会ったのは、すでにエマがナポリのイギリス公使、ウィリアム・ハミルトンと結婚した後のことである。ネルソンはアブキール湾の戦いでナポレオン海軍を破ったあとナポリに赴き、傷を癒すためにハミルトン邸に滞在したのだった。ネルソンには本国に妻がいたし、エマはイギリス大使夫人だから、二人の関係はおよそ世間に認められるものではない。上流階級からは顰蹙を買い、新聞やゴシップの格好のネタにもなった。
それでも周囲は比較的寛容で、ネルソンが戦死をするまでの数年間、二人はロンドンの屋敷でしばらく幸福に暮らした。エマは娘のホレーシアも出産する。しかしネルソン戦死後は彼女達のことを気に掛ける者もなく、エマは夫のハミルトンの遺産もたちまち使い果たしてしまって、1815年に異郷のカレーで野垂れ死にする最期となった。

ネルソン提督について

一方ホレーショ・ネルソンといえば、アメリカ独立戦争・ナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍提督だ。1794年に右目を、1797年に右腕を失ったので、隻眼隻手の英雄として知られている。
当時のイギリス海軍に優れた提督は幾らもいたが、ネルソンは別格だった。
1789年ナイルアブキール湾)の海戦でエジプト遠征中のナポレオン海軍を奇襲作戦で破って名声を上げ、1805年のトラファルガーの海戦ではフランス・スペイン連合艦隊に対して圧倒的勝利を収めた。しかし自らは海戦の最中に銃弾を受けて戦死、ナポレオンのイギリス本土侵攻を防いだ功績によって国葬となり、今はセント・ポール大聖堂に葬られている。
性格は細心周到でありながら、いざ戦闘開始となると大胆不敵。上官の命令も詭弁を弄して平気で無視する。
例えば1801年のコペンハーゲンの海戦。このくだりは映画でも出てくるが、「交戦を中止せよ」という司令長官の通信をネルソンは知らぬ振り。わざわざ見えない右目に望遠鏡をあてて「何イ、艦隊信号だと。私には本当に何も見えんぞ」とうそぶきながら交戦を続けさせた。結果デンマーク艦隊に圧勝。イングランド本国はもちろん、敵側のデンマーク皇太子まで賞賛の親書を送ったというから、司令長官はやりきれなかっただろう。

「本当に何も見えんぞ」 『図説イングランド海軍の歴史』より引用 p428

トラファルガーの海戦について

他に機会もないだろうから、ネルソン提督が命を落としたトラファルガーの海戦についてはもう少し詳しく見ておきたい。

そもそもどうしてネルソンがナポレオンと闘うことになったのか。フランス革命後、国民の支持により皇帝となったナポレオンであるが、革命の理念を全ヨーロッパに広めるために、ナポレオン戦争を引き起こした。イギリスは対仏大同盟を結成して海上封鎖を行い、フランスの大陸支配を阻止しようとする。それに対してナポレオンはフランス・スペインの連合艦隊を編成。イギリス上陸作戦を実施して圧力を加えようとした。

1805年10月21日、スペインのカディス港の南、トラファルガー岬沖で、ネルソン指揮下のイギリス艦隊はピエール・ヴィルヌーヴ率いるフランス・スペイン連合艦隊を捕捉した。ネルソン提督のイギリス艦隊は「ヴィクトリー」を旗艦とする27隻。一方フランス・スペイン連合艦隊は「ビューサントル」を旗艦とする33隻。数で勝る連合艦隊であったが、ネルソン立案の戦法、ネルソン・タッチで隊列が分断されたうえ、実は士気や錬度が低く、艦載砲の射速も劣っていたという。開戦の折に、兵士に対してネルソンが’ England expects every man to do his duty. ’(イギリスは各人がその本分を尽くすことを期待する)と呼びかけたことは有名。

5時間にわたる混戦の末、連合艦隊は撃沈1隻、捕獲破壊18隻、戦死4,000、捕虜7,000という被害を受け、ヴィルヌーヴ提督も捕虜となった。一方イギリス艦隊はネルソンを失ったものの、喪失艦0、戦死400、戦傷1,200という被害で済んだ。圧倒的勝利である。以降フランス海軍が立ち直ることはなかった。

トラファルガーの海戦は結果的にナポレオンのイギリス本土侵攻の野心を挫いたが、それ以上に制海権の行方を決定付けたことに意義があるだろう。以降イギリスは世界規模で海上優位に立ち、当時世界最大の植民地大国、商業大国に発展する。圧倒的な工業力と海軍力を背景に他の諸国を圧倒して、およそ70年間ものパクス・ブリタニカを享受することとなるのである。
トラファルガーの戦勝を記念して、ロンドン、ナショナルギャラリー前、トラファルガー広場の中央には、今もネルソン記念柱が立っている。

瀕死のネルソン 『図説イングランド海軍の歴史』より引用 p455

さいごに

実はこの映画、主演のヴィヴィアン・リーとローレンス・オリヴィエも実際に不倫の末に再婚しているので、リアリティのあるキャスティングが話題となった。そんなことも考えながら見ると、さらに感慨深いものがあるのだけれど、映画としては、二人が互いに惹かれていってしまう必然が、説得力をもって丁寧に描かれているので、失ってしまった愛の美しさと哀しさだけが後に残る。あるいはそれは、ローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リーの二人の名優の演技ゆえかもしれない。
トラファルガーの海戦、特にネルソン提督の臨終の場面などは、今に残る絵画の様子をまるごと再現したようなシーンになっていて、歴史を目で見ているような気分になったことを追記しておきたい。



〈参考文献〉
・小林幸雄 著『図説イングランド海軍の歴史』(原書房, 2016)
・『世界史用語集』(山川出版社, 2014)全国歴史教育研究協議会 編


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?