LanLanRu映画紀行|戦火の馬
舞台:20世紀前半 / イギリス・フランス・ドイツ
最近、戦争映画をいくつか見ている。第一次世界大戦、第二次世界大戦と、戦争の描かれ方は様々だが、そのなかで一つ、異色の作品がある。
馬が主人公の物語「戦火の馬」
2011年公開/スティーヴン・スピルバーグ監督作品
この話、主人公は馬だ。額にダイヤ形の白斑を持った、サラブレッドの美しい仔馬。脚先には白い靴下のような模様が刻まれている。すらりと均整のとれた体つきは、本来なら乗馬向きだが、これにうっかり惚れ込んでしまったのが、貧しい小作農のテッド・ナラコットで、意地になって競売で競り落としたので、この仔馬は農耕馬として育てられることになってしまった。
育てたのは、テッドの息子のアルバートだ。この馬をジョーイと名付けて、根気よく大切に育てた。鋤を引かせて荒地を耕すことも覚えさせたが、後にこのことが戦地で働くジョーイを救うことになる。
ジョーイの見た戦争
こうして農場で大切に育てられてきたジョーイだったが、第一次世界大戦が始まると、軍馬として騎馬隊に売られてしまうことになる。それからというもの、ジョーイは戦火の馬として戦場を渡り歩き、あらゆる戦争の悲惨を見ることになるのだった。
最初はイギリス軍の騎馬として、ドイツ軍に捕えられてからは、救急馬車や大砲を引く運搬用の馬として使われて、やっとの思いで戦闘中に逃げ出すものの、最前線の無人地帯で有刺鉄線に絡ってしまい、どちらの陣地にも行けず立ち往生……。
戦地を転々とする中で、ジョーイは戦争の中で生きる人々の、様々な悲しみを目の当たりにする。アルバートからジョーイを買ったニコルズ大尉は機関銃に倒れたし、幼い少年兵の兄弟と共に軍を脱走したこともあった。土地を戦場にされたフランスの農民の嘆きも見てきた。人間ならば、敵味方の区別もあろうが、ジョーイにとってはイギリスもドイツも国境もないだろう。馬の目を通して戦争を見ると、戦争は訳もわからぬ、悲惨で愚かなものとして映るだけだ。
けれども一方で、戦争の片隅では、ジョーイに対して優しさや愛を垣間見せる人間もいる。無人地帯で動けなくなってしまったジョーイのもとに、イギリス、ドイツ、双方の塹壕から兵が歩み寄って、救出を試みるシーンは印象的だった。戦争を起こした人間の愚かさも、一方では人間の優しさや悲しみも、馬の目でこだわりなく映し出してしまう。そんな映画なのである。
第一次世界大戦と馬
第一次世界大戦は人もたくさん死んだが、馬もたくさん死んだ。
当時まだヨーロッパで主流だった騎兵の騎馬が必要だったのもあっただろうが、それ以外にも物資の補充や、部隊の移動、重い兵器の展開など、つまり運搬に馬が使用されていたのだ。車で運べばいいではないかと思うが、当時は自動車やトラクターなど、まだ発明されたばかりで珍しかった。それで動力源として、馬が大量に必要とされたので、イギリスやフランスは、世界中の植民地や同盟国から馬を輸入して、何千何万という馬を戦争につぎ込んだのだった。
ところが馬というのは、もともと繊細な動物だという。草原で肉食獣に狩られていた草食動物なので、周囲の変化に敏感だし、大きな音はストレスになる。銃撃や砲弾の音の鳴り響く戦場なんて、馬には最悪の環境だろう。それに馬にとって骨折は命取りだ。脚を折ってしまった馬は弱っていくだけなので、安楽死させるしかない。第一次世界大戦では、毒ガスや砲撃、また病気や疲労で多くの馬が死んでいった。一説にはイギリスでは48万4000頭の馬が命を落としたという。
更にひどい話もある。戦争が終わった後のことだ。生き残った馬たちをどうするか、という問題があった。本国に戻したいが輸送費がない。それで一部の馬は、そのままフランスで食用にされたということだ。仕方なかったのかもしれないが、なんともやりきれない話である。
さいごに
『戦火の馬』は、1982年にイギリスで発表された、もとはマイケル・モーパーゴの小説だ。2007年には舞台化もされた。日本の文楽にも影響を受けたという、等身大の馬のパペットの造形や躍動感が素晴らしいと評判なので、本当はまず舞台で観たかったが、生憎その幸運に恵まれずにいる。
その舞台を見て感動した映画プロデューサー、キャスリーン・ケネディとフランク・マーシャルの夫妻がスピルバーグ監督と共に作ったのが、2011年公開の映画「戦火の馬」だ。
スピルバーグ監督といえば、その代表作は「未知との遭遇」「E.T.」「ジュラシックパーク」「ジョーズ」など、人と未知の生命体の接触を描いてきた監督だ。「戦火の馬」においても、人間と馬との異種間の交流が描かれている点で、地続きの作品といえるだろう。実際、インタビュー記事など読んでいると、スピルバーグ監督としては、第一世界大戦の戦争映画としてよりも、馬と人との緊張感あるコミュニケーションを描きたかった節がある。
だから、この映画では、ジョーイは自ら語らない。マイケル・モーパーゴの原作では、ジョーイが「私」として物語を紡いでいくが、映画の方では馬と人とが信頼関係を築いていったり、一方的に労働を強いる様子を客観的に見せている。ジョーイの感情は想像するしかなく、つくづく、馬と人間の関係を考えさせる作品になっている。
だから、この映画の関連作品を探すのならば、以下の二つを挙げたいと思う。
・『銀の匙Silver Spoon』(荒川弘、2011-2019年)
・『百姓貴族』(荒川弘、2006年-)
どちらも、酪農農家出身で、農業高校に通っていた漫画家、荒川弘の実感のこもった漫画である。人のために育てられる経済動物と人間の関わりを、コミカルかつ丁寧に描いている。
余談:戦場の馬から生まれた『ドリトル先生』
そういえばもう一つ、「戦火の馬」の映画を見ながら思い出したのは、『ドリトル先生』のお話だ。動物の言葉を解する動物の名医、ドリトル先生のわくわくする冒険の物語を書いたのは、イギリス出身のヒュー・ロフティングだが、この話が生まれたのも、第一次世界大戦がきっかけだった。
彼が第一次世界大戦に志願兵として従軍した折、動けなくなった軍用馬が銃殺される光景を目撃したらしい。心を痛めたヒュー・ロフティングは、2人の子供に宛てた手紙にジョン・ドリトル先生の物語を書いて送った。これが後に『ドリトル先生』のシリーズの原型となる。
『ドリトル先生のサーカス』では、年取った廃馬たちの隠居用に「休養牧場」を年賦で買ってあげるドリトル先生のお話があるが、この物語の生まれた背景を知ると、そんなところにヒュー・ロフティングの想いがこもっているように感じるのである。
〈参考文献〉
・『英雄になった動物たち: 胸をゆさぶる100の物語』(草思社,2003)
クレア・ボールディング著/白川部 君江 訳
・『ドリトル先生アフリカゆき ドリトル先生物語全集(1)』
(岩波書店,2000)
ロフティング著/井伏 鱒二 訳
・『ドリトル先生のサーカス ドリトル先生物語全集(4)』
(岩波書店,2000)
ロフティング著/井伏 鱒二 訳
・「『戦火の馬』スティーヴン・スピルバーグ監督 単独インタビュー」
(シネマトゥデイ、2012.2.23)
https://www.cinematoday.jp/interview/A0003188#google_vignette
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?