迷いしかないです… 〜似たような経験持っている人いますか?〜(1)
はじめに
はじめまして、古谷透梧です。
僕は今、大阪暮らしの大学1年生です。ただ、大阪に来たのは最近。出身は静岡なんですけどね。高校卒業までの18年間、ずっと静岡暮らしでした。
コロナで大学の授業が全面オンラインになってしまい、なかなか思うように友達ができませんが、少しずつながら仲良くなっている人もいます。
さて、突然ですが僕のことをここでお話させて頂きたいと思います。いい加減「お前誰だ!?」と思う方も多いかもしれませんので(笑)
実は…
実は自分、発達障害持ちなんです。
発達障害と言われると、学習障害、ADHD、自閉症スペクトラム…などを思い浮かべるのではないでしょうか。
僕が持つ発達障害…それは上のどれにも当てはまりません。いや、当てはまらないというよりかは、上のうちどれなのか、明確にはわからないということでしょう。
というのも…僕が抱えるのはいわゆる「特定不能の発達障害」なんです。それがわかったのは…小学生になる前だったかな。だから…12年ぐらい前だと思います。
母親に連れられてやってきたのは、静岡にあるこども病院。そこで発達障害を告げられるのです。
そして、当時は小学生になる直前だった…それを踏まえ、進学先の小学校に関するお話をされたのでした。「特別支援学校に進学で、その中で上位にいるか?それとも普通に小学校に通って、(言い方は悪いが)そこで落ちこぼれになるか…」というお話。「特定不能の発達障害」僕は発達障害を抱えるも、「普通の人」には限りなく近い状態だったのです。だから「特定不能」とされたのかもしれないんですけどね。
昔はこういう発達障害があっても、なかなか理解されず「障害は言い訳」「親の育て方が悪い」とか言われてしまう風潮だったと思います。当時はそういう昔の良くない風潮はなくなりつつあったのかな?
親は僕が普通に小学校に進むことを選んだのでした。恐らく、これは僕のことをしっかり考えてくれていたからこその決断だったに違いありません。
しかし…小学校に入学してから…僕の暗黒期が始まります。
壮絶なイジメ…友達と呼べる人がいなくなる
小学校に入学。1年生の時は全然普通にやれてた記憶があります。友達…については、そこまで深くは考えてなかったかもしれないけど。
2年生になり…この1年からもさらに楽しいだろうと当時の僕は思っていました。
しかし…このタイミングでイジメが始まるのです。
当時の僕は、人より繊細な性格でした。イジメといっても最初は軽いイジリとかちょっかいだったのかな?だから、別に気にしていなかった。しかし、ここからエライことになります。
それはやがてイジメとなって、エスカレートしてしまいます。最初の方の軽いイジリやちょっかいに思わず不快なリアクションをとったのです。「嫌なことは嫌」と正直に言った方がいいだろう、と考えてのことです。それが逆に相手を不快にさせたのか…イジメとなるきっかけになったのでした。
初めは一人、出席番号が前の男子に始まり、やがて数人で僕をいじめるようになりました。しかも…不快なリアクションをとれば、ますます相手を怒らせるという恐怖が少しずつ芽生え、周りのクラスメイトや担任の先生にも相談できずにいたのです。
幸い、幼稚園から一緒の人も近くにおり、それがあって担任の先生も気づいたのでしょう。当時の担任の先生も止めに入り、何とか一件落着…
とはならなかったのです。いじめるようになり、そして先生が止めに入る、の繰り返し。これが続きます。
3年生になると、いじめてくる人が増えた気がします。恐らく、2年生でのイジメによって少しずつ周囲に不信感を抱き始めたのでしょう。当時はその不信感は目立つ程ではなかったと思いますが…。
いじめられ、先生が止めに入る、の繰り返し。それがまた一年間続きます。
4年生になると…別の学校から異動してきた若い男の先生が担任になったからなのか、幼稚園の頃からの知り合いと違うクラスになったせいか、またイジメがエスカレート。
しかも、その時の出席番号一つ前の人こそが、2年生の時に僕をいじめていた男子だったのです。それもあってか、男子数人にいじめられるハメに…。
いじめの内容は…あまり思い出したくはないですが、叩かれたり、ど突かれたり、暴言浴びせられたり、不快な発言されたり、だったかな…。ずっとそんな感じだったかと。
そして、信用できる人はいなくなった
5年生になるタイミングで、2年生から4年生になると、クラスメイトによるイジメは、一旦やみます。
しかし…それはまだ次の悪夢の始まりに過ぎなかったのです。5年生の担任も別の学校から移動してきた男の先生だったのですが、この時の先生は、僕の苦手なタイプの先生だったのです。
やけに熱い人だな、とか思ったのですが…いわゆる「体育会系」の先生だったのでしょうか。僕のような人間にきつく当たるようになるのです。当たり前のことができないだけで馬鹿にする、みんなの前で突然怒り出すことがある…などなど。「当たり前のことができないだけで」って、「当たり前のことができるのは当たり前じゃ?」と考える人もいるかもしれません。
しかし、先述のように僕は発達障害持ちなのです。普通の人に近いとはいえ、その集団に劣ってしまう部分はあります。だからこそ、その先生の態度に不快に感じることがあったのでした。もしかしたら、そう感じたのは当時のクラスの中で僕だけだったのかもしれません。
ミスをした時に、皆の前で怒られたり、馬鹿にされたり、叩かれたりしたこともありました。
また、運動会の時はヤケに練習がキツかった記憶があります。もしかしたら皆さんの中にもその記憶がある人がいるかもしれません。
応援練習は「もう一回やれ」「全然声出てない」と、もはや「小学校の担任」としての範疇を超えていたようにも思えます。
しかも、この事態は5年生の1年だけで終わるものではありません。6年生も、同じ担任で2年連続ということになったのです。したがって、この悪夢は2年間続くことになったのでした。
おわりに
ようやく小学校卒業。寂しいという気持ちは微塵もなく、「やっと離れられるぜ、ざまぁみろ」という気持ちがあったようにも思えます。これで悪夢から解放される、という安心感からなのでしょうか。
これで、「迷いしかないです… 〜似たような経験持っている人いますか?〜」第1章を終わります。
次回、第2章・中学時代から再びお話します。
もし皆さんに似たような経験を持つ人がいらっしゃれば、ぜひ共有させて頂きたいです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
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