帰属貴族
ごきげんよう。Togoです。
ずっと不思議に思っていたことがあるのでそのことについて話そうと思う。
私はとにかく何かに帰属意識を持つことが嫌いだ。
大きい括りで何かに属することは許容できるが、仲良い友達、グループなどの小さな仲間意識やじゃれあいは許容することができない。
なぜなら第一に自分の可能性を捨ててしまっているからだ。過ごしたくない時間を全員が妥協し合って過ごす。みんな窮屈なのだ。誰も得をしない。時間がもったいない。
もっと自由にすれば良いのに、と個人的に思う。日本人は(あまり一括りにしたくはないが)世間体を気にする人があまりにも多すぎる。
百歩譲って、いや千歩譲ってその強固な帰属意識を許容できたとしても、そこに属さない人への対応は許容できない。
仲が良い人を作るというのは同時に仲がそれほど良くない人を作るということだと『個人的に』思う。つまり差別の始まりである。だから私は全員に平等に接するし、仲が良い人も作らない。もちろん、魅力的な人とは話したいと思うがそれは固定されたものではなく私の中では流動的なものである。
昨今では黒人差別、アジア人差別など沢山ニュースで取り上げられているが、その時点で差別している側(本当に差別しているかは置いておくとして)と差別されている側のどちらかに多少なりとも帰属意識を持つ。それが更なる差別の一因になっている気がしてしょうがない。
そもそも国という存在がある時点で帰属意識はあるもので、差別がなくなることはない。同様にいじめもなくならない。
親友などと言ってる奴はさっさと目を覚すべきだ。
あくまで自由を求めている私個人の意見です。
以上。