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丸くなる

数年ぶりに親友と会った。いや、数年は盛ったかもしれない。何より今日は芸術大学の卒展に行った。1年前は彼女の卒展を観に行ったので1年も経っていないということになる。そう思えば1年、つまり365日、はとても時間的に長いものだなとも思う。

話は逸れたが、とにかくその親友と会い焼肉に行った。彼女は社会の荒波に揉まれているからなのか、睡眠不足からなのか、どことなく元気が無さそうであった。話しているうちに週4ぐらいで会っていた数年前を思い出したのか、元気そうにしていたのでさほど気にはならなくなった。

最近起こった身の回りのあれこれを一通り話し、過去の話もした。私はあまり思い出話などは好きな類ではないが、彼女と話すそれは自分の中で相当大切なものだったらしく楽しかった。一緒に何回も飲み明かした話や、King Gnuの『白日』を急にセッションした動画の話だとか、彼女がベロベロになるまで酔って家まで送り届ける途中に嗚咽音もなく急に大雨のような音が聞こえた話だとか。しかもこの時はコロナウイルスの影響でマスクもしていた気がする。よく考えたらすごい状況だ。

しきりに彼女が私に対して『丸くなったね』と言った。すかさず私は『太った?おれ?』と聞いたが、どうやら外見の話ではなかったらしい。よく話を聞いてみるといわゆる性格のことだった。一年しか経っていないのに、しかも頻繁に電話もしていたのにそんなに変わったのだろうか。彼女が東京へと帰った後もこの言葉が歯に挟まった肉のようにこびりついていた。

主観的にはこの一年丸くなったと思わない。何も変わっていないわけではないが、少なくとも形式上の社会復帰は成し遂げたものの事実上の社会復帰はできていないし、、何より病状は1年前に比べて悪くなっている。その証拠に服用している薬も病院に行くたびに増えている。では、どこが丸くなったのだろうか。ここまで考えたところで一つの答えの手がかりが見つかる。作曲だ。そういえば楽曲提供を本格的に始めたのも最近のことだった。気付かないうちに社会との接点が生まれ、多少の角が削り取られたのかもしれない。

でもまだ完全な球体になるまでには時間がかかるなと同時に思う。今日読んでいた小説に書かれていた内容を引用するならば、『自分には就職する動機がない』からだ。どうにか自分が生きることに対して折り合いをつけようと理由を探しているが、それは今のところごみ屋敷の掃除ぐらい難しい。と、そんなことを思いながら日々を過ごしている。

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