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毒を抜かれる時間

 商売をしていたときは配達が毎日深夜にまで及んだので、月~金の夜10時から放送していた荻上チキさんの『Session 22』を聴いていた。
 
 テーマを時事問題に限らず幅広く取り上げ、そしてそれぞれを深く掘り下げる。それに加えてコメントの荻上さんのはっきりした物言い(当たり前のことを言っているだけで、他のキャスターがぼやかしすぎなのだけど)。、他のラジオ番組とは一線も二線も画した面白さに溢れていた。商売をやめて、その時間にラジオを聴かなくなってからも、「聴き逃し」で追っていた。
 
 その番組が昨年秋に、夕方の時間帯に移動した。番組としては、昇格である。リスナーの数も圧倒的に増えるだろう。でもぼくはそのとき、イヤな予感がした。
 
 その予感は、分かるだろう。「このラジオ番組のこれまでの面白さが、消えてしまうのではないか!?」というものだ。スポンサーも変わるし、放送局の裏方も入れ替わる。そうなると、さまざまな部分で、これまでの「毒」の部分が消えてしまうのではないか、と思ったのだ。テレビ番組だって、深夜帯で面白かったものがゴールデンタイムでその魅力が飛んだという例がいくらでもある。
 
 でも、ラジオだ。ニュースに特集と、やることは変わらないし、夜10時台の放送を思い出しても、夕方に削らなければならないところはないと言えた。まぁ、大丈夫だろうと、ぼくはひとり、その不安を払った。
 
 しかしここまで半年ほど聴いて、やはりあのイヤな予感は当たってしまったようだ。コロナで、内容を固くせざるを得ないという状況もあるだろう。でもやはり、さまざまな部分で深夜帯とちがっているように感じる。
 
 まず、荻上さんのコメントがおとなしくなったように感じる。固いスポンサーになり、けっこう夕方のディレクターから「抑えてくれ」という指示がでているのではないか。あの、見事な機転を効かした言い回しが減っている。
 そしてまた、おとなしいゲストが増えた。「メインセッション」という、ひとつのテーマを1時間程度語っていくコーナーでは、ゲスト出演者の色合いによって面白さが変わってくる。喋りが闊達なゲストだと、荻上さんの相槌も活き、相乗効果を生む。しかしこの夕方になってから、とてもお行儀のいいゲストばかりが続く。選定基準が変わったのだろうな、と思わざるを得ない。
 
 なお、ラジオショッピングが入ってしまったのは、夕方のラジオ番組ならではのご愛嬌だろう。いやむしろ、ぼくは買ったことはないが、このラジオの通販コーナーはけっこう好きだ。あの社員たちのプロフェッショナルを感じるのが好きなのだ。急がず、慌てず、時間内に伝えたいことをきっちり伝える。そしてまた、余計な接続詞や言葉のもたつきはなし。国会にいる連中に、いつも彼ら通販の人たちの喋りを見習ってほしいと思っている。通販の人たちの『時間』は会社の金だが、国会議員たちの『時間』は税金だ。「えー」も「まぁ」もやめてほしい。
 
 『Session』が毒を抜かれた大きな要因はスポンサーだろうが、ライバルが現れたことも、つまらなく感じる一つの原因ではないか。あの深夜帯の荻上さんのときのようにポンポンと言葉を操る男が最近出てきたのだ。
 
 それはラジオでなくポッドキャストだが、今は『Session』もポッドキャストで聴いているので、ぼくにとっては舞台が並ぶことになる。その、現在の荻上さん以上に言葉が滑らかなのは、神田大介という男で、朝日新聞のポッドキャストを担当している。彼が出たことによって、『Session』がよりつまらなく感じるのだ。
 
 皮肉なことに、『Session』ではこの朝日新聞ポッドキャストを取り上げて紹介した。ぼくは、この1ヶ月の紹介期間で知ったのではなく、その前から知っていたのだが、これは『Session』にとってよくないな、と聴いていて思った。敵に、塩だけでなくアジシオ、クレイジーソルトのおまけまで付けて送ったようなものになってしまったからだ。ポッドキャストだけを聴く者にとっては、今、『Session』の看板コーナー「メインセッション」などより朝日新聞「ニュースの現場から」の方がよっぽど面白い。
 
 こういう文章では、よく、「荻上さんにも頑張ってほしいものだ」などと締めることがよく見られるが、スポンサーやディレクターの意向があったとしたら頑張りようがない。夕方という毒を抜かれる時間では、やりようがないだろう。
 愛着ある番組で悲しいが、これはこれ、としてリスナーのぼくが折り合いをつけるしかないのだろう。

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砥城 佳太流@元豚モツ業者
駄文ですが、奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。