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次男小学校卒業〜全力でやり切ったからいつ卒業したっていい〜
昨日、うちの次男が小学校を卒業した!
コロナウィルスの影響で保護者参加なし。
先生と生徒だけの卒業式となった。
イベント好きなわたしとしてはもちろん卒業式に参加したかったど、卒業式がなくなってしまうよりかは良いと思っていたのでそこまで「参加したかった!」とまでは思っていない。
当人が参加して小学校の区切りができればよい!
それにうちの次男はきっとこんなにも学校に全力で関わったこどもなんてそうそういないってくらい全力で小学校をやり切った。だから、わたしはいつ卒業になってもいいっておもっていたんだな。
遡ること6年前
次男が小学校に入学したときのこと。次男はウキウキして小学校へとむかった。
保育園のお友達がたくさん通っていて、うちの学童の仲間たちも多く通っている小学校。
誰と一緒のクラスになるんだろう。
心躍らせ学校に着いた。
クラス表を見て次男が発した言葉が…
これいじめだ。
そう。
誰一人として仲間とも友達とも一緒のクラスになれずに大半が同じクラスでまとまり、自分だけが一人違うクラスだったのだ。
その事実を知って6歳の子どもがそう言い放ったのだった。
次男はわたしにとても似ている。
感受性が豊かで賢い。
自分の思い通りにならないと気が済まないし、
やりたいと思ったことはやらずにはいられない。
頑固で自分よりも強い相手だろうが食ってかかる。
周りに合わせることが苦手で自分の気持ちをうまく伝えることができない。
自分の決めたルールは絶対。
空気が読めない。
落ち着いていられずにすぐにどこかに行ってしまう。そんなところはそっくりだ。
ちなみにわたしは7歳の時に「どうせ人は死ぬのになぜ生きないといけないんだろう?」と考えてしまい、その答えを見つけるまでかなりもがき苦しむこともあるめんどくさい子どもだった。
そして、次男は考えた!
そうだ!このクラスは嫌だから友達や仲間がたくさんいる隣のクラスになろう!
そう思った次男は自分と椅子と机を隣のクラスへと運び、朝の会から帰りの会までずっと隣のクラスで授業を受ける日々が始まった。
最初は先生も「入学したてだから柔軟な対応を」て思っていたがこの手のタイプに柔軟な対応をとったら悪化するだけだ。結局、先生から泣きの電話が入り、「もうずっと隣のクラスで授業を受けている状態です」と言われた。
だから、教えた。
「この子に柔軟な対応を取るのはやめてください。ダメなものはダメ。良いものは良い。最初にきちんと教えればそのルールに従いますが、そのルールをこのときは良い、このときはダメとすると分からなくなり、自分の都合の良い方に解釈し、あの時はいいって言ったじゃんと状況はさらに悪化します。なので、申し訳ないですが良し悪しの判別はきっちりご指導いただけますでしょうか。」と。
その後、この手の揉め事で何度となく電話が来て呼び出しされてを繰り返される。。。
本当に1年の担任の先生とは合わなかった。
そして、次男にわたしはいった。
毎日隣のクラスで授業を受けてどうだった?仲間になれた?
次男:なれなかった。
そうだよね。
なれないんだよ。
一度決まってしまったことはどう頑張ったって自分の思い通りにできないことってあるんだよ。それを嫌だって言ったって、変えられないものは変えられないんだよ。だったら、決められたところで楽しむしかないじゃん。今いる友達はもう友達、知らないクラスメイトと仲良くなって友達になったら友達が今よりもっともっと増えるよ。すごくない?!先生が嫌いなら先生の良いところを見つければいいんだよ。するとね。嫌いが好きじゃないにかわって。更に良いところを見つけると好きでも嫌いでもないになる。更に好きなところを見つけるとその人が少し好きかもってなって、どんどんと好きにかわっていくもんなんだよ。だから、ちょっとやってみな。
そういうと次男は次の日から自分のクラスへと戻って授業を受けるようになった。
ただ、座っているのも苦痛だったからトイレ、体育館、保健室、用務員室など授業中にいろんなところに行っていたらしい。
だから、今度は「なぜ勝手にどこかにいってはいけないか?!」というのを話したり、授業中にやることが終わると勝手に本を読んだり、立ち歩いたりするというので座って授業を楽しむコツも教えたりした。
外でやる朝会では大の字になり空を見上げ始めることもあり、小6の男子5.6人に「きもい」「うざい」「きえろ」「ばか!」と詰られても次男はひとりで立ち向かいいった言葉が「なに?オレにけんかうってるの?」て言っていた。これはわたしが目撃していたので事実。しかし、周りにいた自分の仲間たちがその時に笑っていて(多分、次男は強いから大丈夫と思ってのことだと思う)その後、いきなり泣き出した。なんでいきなり?今になっってこわくなったのか?と思ったら「仲間なのに助けもせずに笑っているのはひどい。あれは仲間じゃない。」そう言って泣き出したのだった。
この子は本当に感受性が豊かだなって思った。
この素敵なところをきっちり育てていきたいなとも思った。
何度先生に呼び出しされたかわからない。
学年主任も特別支援の先生も校長先生だって校門前でわたしを捕まえて話をしようと躍起になっていた。
そう。
うちの次男が変わっているからと通所や別クラスをなんどとなく勧められていたのだった。
きっとわたしも今の時代だったらはじかれ対象に確実になっていたんだろうな〜。
なんせ「この子はおかしいです。精神科に一度、連れて行ってください。」と担任に言われたことがあるくらいだからな(笑)
けど、変わっている自分のおかげで次男にいつかこういう時が来るってことはわかっていた。
だから、わたしは小さい時からずっと勉強を教え続けてきたのである。
小学校に上がって1番ネックなのは理解力が遅い、授業を聞かないと学力がつかない。
そうすると自ずと違うクラスを勧める良い口実となってしまう。
更に社会性が乏しく、クラスの進行に害があると尚更、ほかのクラスに勧められる確率がグンと上がる。
わたしは別に通所や別クラスが悪いと言っているわけではない。
ただ適材適所があって本当に行かないといけない人はそこに通えばいいが多少無理をして、努力をしてついていけるならば絶対に普通級に行った方が良い。絶対に!
親の負担が大きく、子ども自身にだって負担が大きく何度となくぶつかり合った。
自殺してやる!って7才の時に言われたことも親を殺す子の気持ちがわかったと11歳の時にいわれたことすらある。そして、学校にも「別クラスの方が…」って何度も言われたけど、それでもこの子の将来を考えたら今妥協して、自分の思い通りになる環境下にいかせたら取り返しのつかないことになる。最初が肝心!
だから、勉強ができないからと別クラスに入れさせる隙など絶対に与えないためにも勉強は3歳の時からやっていたし、1年で3年生の勉強を毎日コツコツ積み重ねてやっていたお陰で出来る様になり、勉強ができないからと理由をつけられることはなかった。クラスの友達にもなんで授業ちゃんと受けてないし、塾にも行ってないのに頭いいの?と聞かれるくらいで実はやんちゃだけど頭の良いキャラが5年生くらいまで続いていた。それでも毎日のようにわたしを捕まえては勧めようとする校長先生にわたしはいった。
では、聞きますけど。
あなた方先生はうちの子の将来を考えて別クラスや通所を勧めてくれてるのですか。この子はこうだときめたらガンとゆずらなし、それがルールとなる。先生方がいう気持ちよく学校を過ごしてほしいという想いのためにこの子のやることがなんでも許される環境下にいってしまったら将来大人になった時に社会性は欠如し、周りのルールに合わせることが出来ず、進学、就職するのが難しい状況になった時にあなた方は責任とってくれるんですか?わたしは今を気持ちよく過ごしてほしいなんてさらさら思っていない。わたしも人に合わせるのが、空気を読んでルールに沿って動くことが難しくって学生時代本当に苦しかった。けど、その苦しさがあったからこと今、こんなにも成長することができている。気持ち良い環境下だけでは人は育ちません。あと3年待ってください。きっとこの子は変わります。今は空気は読めないしルールもわかっていないけど、3年で社会性とルールを理解し、周りの人と同様にうごけるようになります。更にこの子の良いところももっと成長してきっとその良いところが生かされて、クラスにとって良き存在になると思いますから、3年待ってください。」
というと先生たちはなにも言わなくなった。私たちみたいなタイプは自分の時計が少々南国時間で遅いの。みんなが普通出来るだろうってことがなかなか成長してないだけなのよ。けど、長い目でみてくれれば絶対に成長するし、理解だってできるの。だから、自分たちの時計で私たちを決めつけたりしないで欲しい。
こうして小学校生活の幕があき、超問題児として小1時代を送るのでした。
小2では大好きな先生が担任となり、メキメキと成長していく次男。多少の問題行動はあるものの担任の先生が上手いこと手綱を引いてくれたから授業中いなくなったりはだんだんと減っていった。学校のイベントなんかも率先して参加するようになった。
小3の時は新任の先生となり、いろんなイザコザも前に書いたがあったんだけど、それでも今でもあの先生にはお世話になったからなっていうくらい大好きな先生となっている。このころから学校のルールや暗黙の了解ルール(空気を読むこと)を理解するようになっていった。**
小4で劇的に変わった!まず問題行動がなくなった。学校に積極的に参加し、クラブ活動始めてなのになんと副部長になり、責任をもって動くようになっていった。学校で無理させる場面や便りにする場面もあり頑張りすぎておうちでしわ寄せが来てないですか?って学校の先生に心配されるくらい。
小5も担任変わらずで相性がバッチリ良かったのでほんとメキメキと成長していった。クラスを盛り上げるムードメーカーだけでなく、まとめたりもして代表で何かをすることが多くなったし、2年続けて応援団に入り、小6になったら応援団長になると目標を決めがんばっていたっけ。
小6になり応援団長になると決めていたのに友達のために2年間頑張っていた応援団長を諦め、応援団すら希望しなかった。わたし的にはかなりショックな出来事で本人にしてみても後から聞くと泣いてしまうくらいの決断だったらしい。しかし、そのお陰で友達も立ち直ったがあっさりと裏ぎられ本人的には一年が無駄だったと言っていた。しかし、わたしは小1の時に自己中でで自分のやりたい放題やっていた超問題児が2年間築き上げてきたものを捨て誰かのためにやってあげられる人間に育ったことは大きな成長だとわたしは思う。欲を言えばお互い笑顔になれる方法を見つけられていたらもっと良いとは思うが今はまだこれでいい!そんなにすぐに成長しなくてもいいから。楽しみが減るからさ。
うちの次男は先生とたくさんぶつかり怒られたが、褒められたし、信頼されたし、なくてはならない存在になれた。
友達とたくさん喧嘩し、仲直りして、絆を作り、クラスで学年で学校でなくてはならない存在になった。
そんな次男にいつも聞いていたことがある。
今一番がんばっていることは何?
わたしはなんでもいいから「自分はこれを1番がんばっている」というものが一つあり、自他共に認めるがんばったものが一つあればよしとしているのでいつも子どもたちに問う。
すると間髪入れずに次男は答える。
学校!!
そうだろうよ。
学校の先生もわたしもあなたは誰よりも学校をやり尽くしたと思うよ。だから、わたしはいつ卒業してもいい。あなたは本当によくがんばったから。ただ、最後のけじめとして保護者が参加できなかったとしても卒業式だけはやってほしいと切に願っていた。
で、3月19日にめでたく卒業を迎えることができました。本当に本当によく頑張りました。袴を着る!と本人たっての希望で初めはピンクにするといわれて、どこぞの成人式のやんちゃ小僧と同じだからやだなとも思ったけど(笑)
結局、赤に決めて、割腹がいいので誰よりも似合っていて、赤だから誰よりも目立っていました。前日からわたしは動画を見まくり、練習をして、初めは間違って着させていた箇所が何個もあったけど、本番はなんとか最後まで着崩れることなく着せることができました。
最高に忘れられない卒業式。
中学は新しい友達に新しい学校でまたゼロスタートになるが、また次男らしく大いに中学校を楽しんでほしい。そして、良い意味でみんなを巻き込んで最高に成長していってほしい。
これからも全力前進!がんばれ次男!!いつだって全力で応援するよ!!!
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