20230709
超デメキンなのである。
もう何に描いたのかも忘れたし原本も残っていない。描いた記憶もあんまりない。
かなり気に入っているがこの状態が完成形。もし線画抽出とかしてちゃんと絵にしてグッズとかにしたら、あ~ららの終わり。カス
思考を単純に紙にペッてしただけの絵だからのよさがある。それが美点だし致命的でもある。
このnoteみたいなもんですわな
つって笑
めっちゃ面白い
これがウケてないのはおかしい
しかし、樽一杯のワインにスプーン一杯の泥を入れると…という有名なたとえ話と、試験管に入れたヒヨコをすりつぶし「失われたのは何か。」と問うインターネットで擦られてる画像の両方を知ってることを前提にしているし、知っていたとしても上記ツイートを見てすぐ思い出せるとは考えにくい
こういうオモシロが結局一番おもろい 自分の知識で構成し、自分だけウケてるような文だけが…
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ツイートを全然しなくなった。最近Twitterの動向がおかしいからとかじゃなく、多分去年くらいから、明らかにツイートの数が減った。ツイートするのが好きじゃなくなったタイミングがあったんだと思う。
他SNSも積極的に使おうとしていない理由でもある。普通にSNS疲れというか、この手のSNSを十代から使い続けているし、そもそも飽きた感がある。
久しぶりに脳内垂れ流しの文章が書きたくなったからnoteにぶん投げてるが、意外とスラスラ書けた。
内心って別に他人に積極的に見せても楽しくないなという自意識の期間に入ったようだ。
読むのにワンクッションいるし、だらだら長文にしても構わないnoteは気楽でいい。
結局絵を貼るか、なんの脈絡も無くネタツイするくらいしかしなくなってしまった。
ツイートはなんか嫌になっちゃったけど、その時の気分とか忘れるものだから、書き残したほうが後で楽しいので残しておきたい。
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自分の部屋が散らかっていてだるいのだが、塊魂のステージだと思ったら面白くなってきた。
クソステではある。
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ニンテンドーDSiの、小ささ
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安部公房の本を読み返しているが、安部公房は本当に的確でユーモラスな比喩の気持ちよさが好きだ。
『驚愕がおそってくるまでには、数秒の間があった。その数秒には、まるで電気をおびた白紙のような、息づく静けさが込められていた。』-無関係な死
「気づいたら部屋に見知らぬ死体があった」という内容の短編のほぼ出だしなのだが、びっくりして、緊張して、静かだった(頭が真っ白になったときの、精神的な静けさだと思う)という比喩に、電気をおびた白紙のような、かぁ~たまんねえな、おい!
人生のどこだか忘れたけど、確かに静電気で机にへばりついたりする扱いにくい白紙を相手にしたような記憶があるし、それは喧騒の中ではなく、紙をめくる音がうるさく感じられるような静かな場所だったような気がしてくる。
そしてその場所はなにか埃っぽい、息のしづらいような場所で、その謎の記憶の中の息のしづらい感覚が、知らん死体と向き合う主人公とリンクしてお話の中に引き込まれる。
めっちゃいいよな~
この比喩を思いついたのはどんなときだったのだろう。「いま、電気をおびた白紙みたいに静かだな~」と思ってその感覚をメモして、この短編を書く際に引っ張ってきたんだろうか。でもこんな、意識の谷底みたいなシチュエーションに自覚的になれるものか?一番記憶に残らない日の出来事のように思える。いや、それが自覚できるから歴史に残る作家なのかもしれないが…
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チョコベビーが食べたい。あれをザーッと「飲む」感覚は板チョコでは味わえない。ちょっと高いんだよね。主に容器代だろ!と思ってしまうと買うのにハードルができる。子供の頃、親がアポロは買ってくれるけどチョコベビーは渋い顔したのが凄くよくわかる。
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