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再会の旅②

10年くらいぶりの、大学の仲間達との再会。
「変わってないね〜」、と言い合いながらも
私はやっぱり心の中で小さなさざ波が起きているのを感じていた。
男友達3名は結婚し、子どもがいる。家族を作っている。私からみれば、パーソナリティは変わらずとも、生活のあり方はだいぶ変わっているようにも思う。自分中心ではなく、家族と仕事を中心とした生活。時間の使い方。
女友達はバリバリ働いて、独身を楽しんでいる。習い事したり、海外旅行に行ったり、推しを追求したり。話しをきくだけでも色々興味深い。

私はというと、大学で頭使って勉強したことが
今の仕事にはとくに生かされず
身体と感情(フィーリング)をつかう仕事で
お給料だって平凡だし。
大卒で勉強頑張った仲間達との働き方や生活とは、少し逸脱してしまった。
だけどこの仕事は好き。好きな仕事をすることができた。

それから、大学生の時期は人生で一番、自分のこと、将来のこと、泥沼にハマったように悩みしかなかった。明治時代の文豪並に、自分の存在やら人との関係やら社会のあり方やら、悩みまくり、斜に構えていたし、要するに暗かった。
男友達3人もやっぱり沢山悩んでいたし、沢山斜に構えていて、暗くて、でもゆずれない我があって、そういうところで私も気が合って沢山話して安心していたんだと思う。

だけど今は、彼らはそういう個人の存在やら将来何をするかレベルの悩みからは脱出していた。(そう見えた)私もだいぶ脱出している。

すると、ぐっとのめり込むような会話がもう
しなくてよくなっていた。軽い感じの楽しい話題。軽い感じの興味ある話題。それだけでよくなっていた。
つまり、私と彼らを共鳴させていた
不安・悩みというものが変わってしまって
会話が、言葉が軽やかになった。
その重たい響きがほしいか?というと欲しくないのかもしれない。ないほうが軽やかで幸せだと思うから…。だけど何か物足りないような気がする。

それの感じが、ざわつきに、さざ波に感じられたのかな?

………

ところで男性達は(男性性は)守るべき存在ができると愛や優しさや強さを発揮して
幸せの土台を確かなものにしていくために 
頑張れる存在なのだな、と改めて思った。

私といえば、人生が固められていくのを
必死で回避しているようなところがある。
私は固められたものからの自由や解放のエネルギーが好き。水のような、柔らかくして洗い流して壊していくような…。

だから、結婚や家族をつくることはしなかったけれど、お金もバリバリ稼いでいるわけじゃないけど…今の私はけっこう幸せだし、自分のことも周りの人のことも好きでいられる。表面からは見えにくいし、言葉にもしづらいけれど、ちゃんと愛をもって、愛を発して暮らせていて、それだって私が時間をかけて作ってきた価値のある暮らしだと思う。
と、さざ波の中で足場がぐらぐらしながら、改めて自分を肯定し、足場を確保!

とは言っても、10年経っても、生活が変わっても、会うことができる友達は本当にありがたい。
強力なご縁で結ばれているに違いない。
だって、飛行機から、広大な土地を眺めて
日本がこんなに広くて沢山の人が住んでいて
その中で同じ年代に生まれて、集まって、ダークな時代を一緒に支え合って過ごしたことが、奇跡のように思う。そして、多くの人は連絡先も分からなくなり、会えなくなるのに、また会うことができたのも、やっぱり奇跡✕奇跡。ミラクルありがたいことだ。

感謝と幸せな気持ちをお土産に
この力を循環させていこうと思います。






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