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ありあまる富〜吾唯足るを知る(守破離)

僕が20歳くらいから好きな言葉の一つですが、当時と今では捉え方が変わってます。

慎ましやかに生きる(守)

20代の頃は、子供も生まれたばかりで収入も少なくあらゆる事を我慢して生きる。結婚して子供を持つ道を選んだものは日々精進して、我慢を繰り返しながら慎ましやだけど幸福な生涯を歩む。
そんなふうに考えていました。

吾唯足るを知るへの疑問(破)

果たして本当にこれでいいのだろうか?
現状を受け入れて、我慢して、やりたい事もできず、行きたい場所にも行けず。ただ同じような日々を生きて一生過ごす。本当にこれで後悔しないだろうか?
そう思って、自分の信じた道を行こう、しっかり稼いでやりたい事をなんでもやろう。なんでもできる自分になろう。
 
そう考えて独立して、ある程度稼げるようになって、なんでも自分一人でも挑戦できるように色々と準備しました。
 
結局はどれだけ準備しても、一人でできることには限界があり、物が増えすぎたせいで身動きが取れなくなり、幸せとは程遠い現実を突きつけられたのです。

吾唯足るを知るの真意(離)

真剣に守って知識を得て
破る事で体感しました。
 
そこで、この経験を糧にもう一度
この言葉の解釈について考えてみることにしました。
 
守っていたころの慎ましやかな自分。
破っていたころの傲慢な自分
 
自分自身の体感した事を踏まえて
吾唯足るを知るについて
考える時間を取りました。
 
そのなかで、老子の言葉に
「知足者富」というものがあり
 
関係あるのでは?と思い調べてみました。
 
諸説あるようですが、この言葉が語源になった説もあるとのこと。
 
ここからの流れを説明すると長くなるので結論をいいます。
 
吾唯足るを知るというのは
 
貧しくとも生きてることに感謝しなさい。くらいの自虐的なものではないということ。

最小で最大の結果を引き出すための言葉と考えた方がいいかもしれない。

幸せや富を得るための知識もチカラも道具もすでにあるという事なんだと。
 
今あるもので、何ができるかを考える力を磨く。
 
あれがないからできない。
これが邪魔でうごけない。
 
言い訳を考えるのではなく、
今何ができるかを考える。
 
そう解釈して生きるようになって
楽になり。目標にむけて行動し続けやすくなりました。

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