
【器の話をしよう】
「器用」「不器用」という言葉があります。
私が初めてその言葉を知ったのは、小学生の時に一辺が7cmほどの折り紙で鶴を作り、児童館のお姉さんに「器用だね」と褒められた時です。その際の「器用」とは手先の器用さ、つまり細かい作業をうまくできることを表すものです。
それ以外にも、ネットで辞書を引けば、「器用」とは要領が良いことを指したりするそうです。反対に「不器用」とは要領が悪い、または全体的にコツを掴むのが早くなかったり、不得意なことが多い場合に使う印象があります。
そして私がこれらのことばに感じる最大の違和感とは、それらを人それぞれが使いたいように使っているように見える点です。特に「不器用」ということばを、自分を形容する際に使う場合、何かとても自己愛的なものを感じます。ここでいう自己愛とは、最近よく言われている「自分を愛そう」的なものではなく、エゴによる、自分を守りたい欲求のようなものを感じるのです。ただ単に自分を「不器用だな」と認識することと、人に対して「私は不器用なんだよ」と伝えることでは、何となくニュアンスが違うような気がするのです。
また、「不器用」とひとくちに言っても様々なものがあります。例えば、得意と思えるものが少なく、いつも新しいことを習得するのには時間がかかる「不器用」なAさんがいます。そんな人が「あの人は『器用』で良いな」と羨むようなBさんは、得意なことが多く何でもできてしまうがゆえに、自分が本当に好きなことを見つけるのが難しい「不器用」な人かもしれません。「器用」に人の機微に気づいて動けるCさんは、自分の要求を伝えるのが苦手な「不器用」さんかもしれません。
書いていて気づきましたが、「あの人は器用でいいな」という言葉に、「自分とは違う」と線引きをする感じがあり、私はそれを好まないのかもしれません。
以前に書いた「陰キャ/陽キャ」の話にも通ずる話ですが、他人に対し安易に線引きをする傾向が好きになれないのかもしれません。人間を多角的に捉え、二者択一的なジャッジをなるべくせずに生きていけたらいいのにと思います。
皆さんは自分のことを器用/不器用などと認識していますか?
周りにいる「器用」そうな人の、不器用な面を見つけてみるのも面白いかもしれません。
[追記 2025/1/21]
とどのつまりは私が勝手に器用と思われることが多く、それに対する寂しさを感じていたのかもしれません。上に書いたように器用か不器用かというのは多面的なことで、基準も曖昧なものではありますが、私はどちらかというと器用な人間に分類されるのかもしれません。器用なりに色々失敗していくしかないのかもしれない。