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私が宮古島に行った本当の理由
よく聞かれる。
「なんで宮古島に行こうと思ったの?」
私はよく答える。
「いや〜クズ男に沼っちゃって。抜け出すために来たんですよね」
実はこの回答は50%である。
いや、ほんの10%かもしれない。
残り90%の気持ちをつれづれと。
「あ、私このままだと○ぬかも」
大袈裟ではなく本当にそう思った。
物質的にではなく、精神的に。
そう思ったときには既にエイブルに退去の連絡をしていた。
行き先は決めず、6月末で退職し地元から出ることだけを決めた。
私を生かしてくれるのはこの人しかいないと思っていた。
だからたとえ確証がついても
自分の健康が害されたとしても
周りから何と言われようとも
離れられなかった。
‘‘解放感’’
彼に惹かれた理由を考えたときに決まって出てくるキーワード。
(離れられないくらい執着するほど望んだ感覚)
しかし、あるときふと気づいたことがあった。
「私が彼という存在を通して得たいものは‘‘解放感’’であって、似たような感覚を得られるのならば、彼という存在はもはや必要ないのではないか。」
この気づきが果たして本当かどうか。
私が宮古島に行くと決意したのは、この仮説を検証したかったから。
これから書くのは約3ヶ月半にわたる仮説検証の結果発表。
「月ってこんなに明るいんだ」
やはり自然の力は偉大だった。
宮古島に来て初めての満月の日
街灯さえ必要ないと感じさせる月の明るさに思わずため息をこぼした。
満月が与えてくれるパワーを全身で受け取った。
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そしてある日は透き通りすぎた海に、
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ある日は満天の星空に、
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ある日は海辺の夕焼けに、
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心を大きく動かされた。
徐々に身体のなかの細胞が生まれ変わるような感覚があった。
そのことを私は人に説明するときに「解毒作用」と呼んでいる。
私は何かによって毒されていたんだと偉大なる自然が気づかせた。
自然からエネルギーを感じ受け取ることは解放感への第一歩だった。
「休日は家で寝るな、外へ出よう」
心に余裕があること。
自分が楽しんでいるとそれが相手(お客さま)に伝わる
だから休日は家で寝るな。外へ出て、宮古島を楽しもう
そういった本質的なことを教えてくれる職場に恵まれた。
(もちろん家でのんびり過ごすのは未だに好きだけど、これを機に外に出るのも良いなあと改めて)
夏の繁忙期にも関わらず、
振り返って楽しかったと思えるのは
毎日を楽しんでいる人たちと一緒に過ごしてきたことが大きい。
内地で「お茶しよう」と誘われるのと同じようなテンションで、
「シュノーケルしよう」
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「サッカーしよう」
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「ビーチル(‘‘ビーチでチル’’の略語)しよう」
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と誘い誘われる宮古島。
「奥ゆかしさとか我慢とか、嫌だ」
日本では美徳とされているものが、いまの私にはフィットしない。
そして次第に湧き上がってきた欲求。
‘‘もっと自己表現がしたい’’
この欲求を深ぼってみると三段階に分けられることに気がついた。
自分の内側と深く繋がる
風を浴びながら外でヨガをしてみたい。
かねてからの願望を実現させてみたところ
ヨガは自分のさまざまな感情に気づかせてくれること、
自分と繋がる時間を与えてくれることが分かった。
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精油はいまの心の状態を教えてくれる。
精油は自分の精神状況に響く。
このときの私はベルガモットとフランキンセンスが響いた。
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外側へ表現する
眠らせていたinstagramを使うようになった。
出来事で感じたことをストーリーに、
アルバムのように写真を投稿している。
でも綺麗に見せたり、統一感を出したりするのは苦手。
誰か教えてください。。
自分を見ることにした。
私ってこんな表情しているんだ、という気づき。
もどかしいけど少し嬉しい。
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他者と繋がる
自分が自分らしく生きて
それに共鳴する人と出会い繋がることができたら
どんな相乗効果が生まれるだろう。
私の定義する‘‘解放感’’とは、この3つが掛け合わさったものなのかもしれない。
「思い切って宮古島に来たのはある種の防衛本能かもしれませんね」
危機感から始まった保身活動であるが、
その先に待っていたのは自分自身を救いあげる努力の始まりだった。
でも、それは私にとって多くの出会いや繋がりをもたらしてくれた最高のギフトである。
〈結論〉
宮古島での滞在期間を通して分かったこと
私が望んでいた解放感は自ら創り出すことができる。
でも、いまはまだその過程
もっとやってみたいことがたくさんあるし、
その先に叶えてみたい未来がある。
だからいまは過程を楽しもうと思う。
大切なことを忘れずに、素直に生きていきたいと思う。
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