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だれかの作ったごはん

仕事を終えてちょっと軽くゾンビになった状態で下に降りていったら、そこで思いがけず出来立てのご飯に迎えられる時。これは人生の中でかなり幸福な場面なんじゃないかと思う。

料理の内容は問わない。3分で作ったものでも、腕によりをかけたものでも、ある意味この幸福感に違いはない。ゾンビは一気に目覚め、生を取り戻す。この世に呼び戻される。ただいま!

主婦になってしまうと、悲しいかな、ゾンビを復活させる側に回ることが自然と多くなる。それはそれで楽しいことではあるけれども、「ああ、誰かの作ったご飯を食べたいよう」と時々私の中の子供が大きな声を上げる。

義実家とはいえ、久しぶりに子供に戻らせてもらっている今日この頃、何度かこの幸福体験をさせていただいた。長い階段を降りた後に、食器を並べる手元が見えた時、「あれ?それ私にですか?もしかして、私のご飯ですか?」と、平静を装いつつもすごく舞い上がってしまう。犬じゃなくてよかった、きっとちぎれんばかりにふったしっぽで、私の気持ちはバレバレだ。

だれかの作ったご飯っていいな、だれかが自分の時間に合わせて何も言わずに当たり前にご飯を用意してくれるって、なんて幸福なことなんだろう。そして、これを幸福なことなんだって気づけたのも、ゾンビ蘇生側に回ったおかげだからか。だから、いいのか。私の日常はあれで。

話はちょっとそれるが、食卓には毎度必ずと言っていいほどフランスパンとチーズが数種類登場する。二人が定年後だからというのもあるだろうが、本当にフランスではパンとチーズを食べているんだなぁと、とてもフランス人との結婚8年目の人のものとは思えない感想を頭の中で繰り返している。
また、こんなに美味しいのに、こんなに幸福なのに、見事に消化に苦戦している自分の胃腸を思うと、私は日本人なんだなぁ、というこれまたシンプルな感慨にひたっていたりもする。結局どこにいてもメイドインジャパンの胃袋を体の中にぶら下げて生きているんだな。


休みもそろそろ終わり、白米の日々が戻ってくる。私の日常。家族のためにせっせとひたすらご飯を作る日々。たまに日本食続きになると夫がそっと別のものを食べるのを悲しく思っていたが、これからはメイドインフランスの胃袋をもうちょっと尊重してあげようかな、と思う。

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