ルクセンブルグのパッタイとクロアチアの寿司
寝る前に食べ物のことをよく考える。今いちばん食べたいものは何か、何をどう料理して食べるのが一番美味しいか、明日なにを作るか。もちろん、今まで食べた中でいちばん美味しかったものはなんだろうと、ふと思いを巡らすことがある。三つ星レストランや、母の味などは置いておいて、なぜか浮かぶのはこれ、ルクセンブルグのパッタイとクロアチアの寿司、なのである。
ベルギーに住んでいた頃、私はそれはそれはひどく孤独だった。毎日毎日曇りで寒くて、今日がいつの間にか始まっては終わっていて、昨日と変わりばえのない今日、今日と変わりようのない明日が延々と続いていく。自分で選んできたという事実に否応無く向き合わされる、修行のような毎日。2年も住んでいたのに明るい思い出はほとんどなく、美食で有名なベルギーのはずがいちばん気に入って通いつめていたのは、すぐ隣国、ルクセンブルグにあるタイ料理屋だった。タイ料理なんてそれまで食べたことなかったのに取り憑かれたように、まるでこの世のレストランはここ以外みんな閉店してしまったみたいに通っていた。
その暗黒の二年間とは対照的に、イギリスに越してきてからバカンスで訪れたクロアチアはたくさんの光と真っ青で透明な海の、明るくて鮮やかな思い出。たった3泊4日で人生は、毎日はこうも変わるものかと感動したのを覚えている。食事はどれも新鮮な魚介をふんだんに使ってとても美味しかったのだけれど、日本人の私にはどれもしょっぱすぎた。そこで件の寿司、となるわけである。まさかクロアチアで食べたお寿司が、クロアチアで食べた料理の中でではなく、「人生で」でいちばん美味しいお寿司になるなんて、我ながら笑ってしまう。いや、寿司なんだから、本場の日本でさっさともっといいもの食べなよ、と。
でもその反面、きっとこれは私の冒険の証で、このへんてこな組み合わせが続く限り、私は大丈夫ではないだろうか、とも思うのだ。ベルギーでの生活が苦しくて、苦しくて、祖国に近い味を素晴らしいレベルで提供してくれる店に癒しを見出した。人生が新しくなるような鮮明な体験をくれたクロアチアで、馴染んでいたはずの寿司までもが新しいものとして、素晴らしい景色とともに胃袋に記憶された。
スペインの生ハムだったり、インドのカレー、フランスのチーズ、いわゆる「本場」でものを堪能し、舌を肥やすことは大いに豊かなことだ。できる限り旅をして、思いつく限りのお皿を空っぽにしていきたい。でも、同時にルクセンブルグのパッタイとクロアチアの寿司なんてものを人生で一番美味しかった、と大真面目で語れる人生を生きていきたい。冒険が続いている、ということだから。
話は変わるが、現在イギリスで一緒に暮らしている3歳の娘に一番好きな料理はと問うと、「うまかっちゃん(とんこつインスタントーラーメン)」と返ってくる。人生という概念を彼女はまだ理解できてないだろうが、紛れもなくこれが彼女の人生で一番美味しかったものだろう。イギリスの豚骨ラーメン。ルクセンブルグのパッタイとクロアチアの寿司と並んで、なかなか彼女の人生も面白く始まっているなぁと、自身の料理の腕をあげなければと焦りつつも、悪くなく思っている私なのである。
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