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宗教で戦争が起きるのはなぜか教えてほしい

愛や平和や幸せを訴える宗教同士でなぜ争うことになるのか、すごく不思議だ。

以前、行きつけのバーのマスターに、宗教と政治と野球の話は飲み屋でNGだと言われたことがある。理由は、もめるからだ。

アルコールとうまく付き合えてないなあこの人は、と思うことは、自分も含めて少なくはない。酔いは人のナルシシズム作動スイッチを押す。ナルシシズムという性質は誰にでも、たぶん備わっていて、それが発動するとややこしい。要するに、泥酔しながら陶酔しているというのはすごく残念な状態だということだ。

泥酔陶酔なタイミングで、宗教、政治、野球のような味付け濃いめの話が始まると、黙っていられず、自分の"答え"を相手に押し付け合ってしまう。「お前の話は間違っているから、俺の話をちゃんと聞きなさいよ。聞いて従いなさいよ」と。このように仕上がった酔っ払いが2人もいたら、そりゃケンカになる。

ほんとに安易で浅はかな考えではある。

だけど、こういうことが意外と宗教で戦争が起こる原因の一部なんだと思う。宗教で戦争がなくならない理由は、人間の性質の中でも、案外単純な部分が起因してるんじゃないだろうか。

人に危害がなければ、僕は基本的に誰が何をどう考えて行動しようが無関心だし、そこに自分の思想を介入させる気も全くない。だからこそ、逆にこっちがどう考えようとほっといてくれよとも思うわけで。

皆が皆そうとは言わないけど、熱心な宗教家は、愛だ平和だという言葉を飛び道具に、やたら幸せになれると攻撃(勧誘)してくる。

やめて欲しい。ほんとに。ただの迷惑だし、少なくとも僕の幸せはそんなところでは見つからない。近いところに熱心な宗教家がいたらほんと大変だ。

神とか仏とか教祖的な人に導かれるよりも、自分の意思を大事にしたい。好きか嫌いかを決めることができる方が、ずっとずっと幸せなんだから。頼むからほっといて、一生のお願い。

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