㉚ 第3章「躍進、躍進 大東映 われらが東映」
第5節「大衆娯楽主義 三人の個性派俳優」
進藤英太郎、薄田研二、山形勲などが演じた大ワルは現実に存在しているような悪役でしたが、東映娯楽版で描かれるファンタジー世界の敵役は怪人的であり、変な愛嬌を持った悪役を演じる二人の個性的俳優がいました。一人は戦前に怪優として子供たちの人気を集めた団徳麿、もう一人は娯楽版の大ワル吉田義夫です。今回はこの二人と、数々の老人役で個性を発揮した俳優加藤嘉、三人の個性派俳優をご紹介いたします。
団徳麿(だん とくまろ)
1920年代、『カリガリ博士』(独)、『吸血鬼ノスフェラトゥ』(独)、『オペラの怪人』(米)など、気味の悪い怪人を主役に据えた無声映画が世界中で人気を博し、日本でも公開されると特殊メイクで作られた怪人たちは大変な話題を集めました。1930年代に入ると有名な怪人ドラキュラやフランケンシュタインも登場します。
1935年公開ユニヴァーサル社『フランケンシュタインの花嫁』広告
海外の怪人たちに対抗するべく、日本映画界でもメーキャップに独自の工夫をこらし次々と怪人キャラクターを演じることで人気を呼んだ太秦の俳優がいました。団徳麿(だん とくまろ)です。
団徳麿・1940年日活『風雲将棋谷』荒井良平監督・龍王太郎役
若くして旅回り一座の興行を経験した団は、1924年に東亜キネマ等持院撮影所(京都市北区)に入所、1926年、『夢現三百年往来』に太田黒黄吉(おおたぐろ・こうきち)の名で初主演します。
日本初海外合作映画 1926年東亜『武士道』K・H・ハイランド監督&賀古残夢監督
1926年東亜『夢限三百年往来』松屋春翠監督・太田黒黄吉主演
団徳麿と改名した後、「ダントク」と略称で呼ばれる東亜の看板スターになると、様々な怪人作りに没頭していきました。『オペラの怪人』のファントム役や『ノートルダムのせむし男』(米)のカジモド役を務めた米国の怪奇スターになぞらえて「和製ロン・チェイニー」と称され、一つの作品で何役も演じることも珍しくありませんでした。
1927年『剣難女難』石田民三監督・大月玄蕃役
1928年には、東亜、マキノ、日活の三社が競作した林不忘(ふぼう)原作『新版大岡政談 鈴川源十郎の巻』の東亜版に丹下左膳、山椒の豆太郎、得院兼光、大猿と四役で出演。未完成に終わったマキノ嵐寛寿郎版を除くと、団徳麿が最初の丹下左膳俳優です。
1928年東亜『新版大岡政談 鈴川源十郎の巻』広瀬五郎監督・丹下左膳
ただ、「七剣聖」大河内伝次郎を左膳に据え、マキノ、東亜に少し遅れて公開された日活版が大ヒット、シリーズ化します。そして大河内トーキー版での「シェイは丹下、名はシャゼン」のセリフが人気を集め、以降、「丹下左膳と言えば大河内」と言われるようになったのでした。
団が主演の『夕凪城の怪火』広瀬五郎監督では一人で四役を演じたばかりではなく、脚本も手がけました。
1929年東亜『夕凪城の怪火』広瀬五郎監督・一人三役+鉄仮面
1929年東亜『仇討浄瑠璃坂』石田民三監督・輕部伊織役(右)
東亜『怪人隼』上月央監督・隼役
団は東亜キネマで多くの主役を演じた後、1930年に大阪の帝国キネマに移籍しますが、東大阪の撮影所が火災で焼失するといった不運に見舞われ京都に移ります。その後、帝キネが改編した新興キネマを出たり入ったりしながら、月形プロ、千恵プロ、右太プロ、嵐寛プロ、マキノトーキーなど独立プロから呼ばれて次々と印象に残る独自キャラクターの足跡を残しました。
1930年帝キネ『女讐夜話』新居重明監督・斎藤主馬役チラシ
1930年帝キネ『時代の反抗児』志波西果監督・太田黒健
1931年月形プロ『舶来文明街』冬島泰三監督・月形龍之介主演・江藤礼輔役
1933年右太プロ『幽霊行列』古野英二監督・片岡千恵蔵主演・幽鬼の殿役
1935年新興『忠次売出す』伊丹万作監督・与三松役
1935年新興『新納鶴千代』伊藤大輔監督・阪東妻三郎主演・戸波六平太役
1935年嵐寛プロ『活人剣 荒木又右衛門』マキノ正博監督・竹内玄舟役
1936年マキノトーキー『切られお富』マキノ正博監督・こうもり安役
1936年マキノトーキー『忍術猛獣国探検』牧野陶六(正博)監督・猿飛佐助役主演
1936年マキノトーキー『刀を抜いて』マキノ正博監督・沢庵和尚役
マキノトーキー解散後、日活に移り、嵐寛寿郎主演『鞍馬天狗』シリーズで黒姫の吉兵衛役など数多くの作品に脇役として出演し、1942年松竹に移籍しました。
1938年日活『鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻』マキノ正博監督・黒姫の吉兵衛役
1941年日活『山岳武士』松田定次監督・謎の老人役
1941年日活『右門捕物帖 幽霊水芸師』菅沼完二監督・弥之吉役
1942年松竹『鳥居強右衛門』内田吐夢監督・穴山梅雪役
戦後は、京都の自宅に近かった東映に入社。1954年、子供向け東映娯楽版が始まると、多くの作品に特異なキャラクターとして工夫を凝らし出演を続けます。1958年に始まった東映初のテレビ時代劇『風小僧』では、娘婿の五味勝之介(龍太郎)がレギュラー出演した第1部に続く第2部から、重要な上月左門役を演じ、子供たちに愛されました。
1949年東映『獄門島』松田定次監督
1954年東映『笛吹童子』萩原遼監督・インドの預言者役
1955年東映『紅孔雀』萩原遼監督・剛雲役
1955年東映『百面童子』小沢茂弘監督・太郎丸役
1955年東映『椿説弓張月』丸根賛太郎監督・禍役
1956年『水戸黄門漫遊記 怪力類人猿』伊賀山正徳監督・類人猿役
1959年東映テレビ『風小僧』仲木睦監督・上月左門役
1960年東映テレビ『白馬童子』仲木睦監督・三船九左衛門役
1963年東映『伊賀の影丸』小野登監督・甲賀のくも丸役
「砂ゴム」と呼ぶ、自らゴムを削って粉状に加工したものを顔に張り付けた上に化粧を施す。前歯を抜いて、義歯やふくみ綿を使って全く違った顔をつくる。太秦の怪優・団徳麿は、日本映画界特殊メイクの元祖であり、太秦が生み出した美の反逆者、異端のヒーローでした。
吉田義夫
娯楽版で悪役ながら子供たちの人気を集めた俳優吉田義夫は、京都市立絵画専門学校そして研究科を卒業後、法隆寺の壁画模写技官として壁画の模写に従事、戦後は下鴨中学、立命館高校の美術講師として働きながら京都の様々な劇団に所属し演劇活動を行っていました。
1951年、宝プロ『剣難女難』加藤泰監督で映画デビュー、1954年東映の専属になると娯楽版に異形の悪役として次々と出演し、子供たちにインパクトを与えます。
吉田が東映娯楽版で演じた様々な個性的人物をご覧ください。
1954年娯楽版『笛吹童子』萩原遼監督・堂三役
1954年娯楽版『竜虎八天狗』丸根賛太郎監督・鉄牛舎鼓役
1954年娯楽版『紅孔雀』萩原遼監督・網の長者役
1955年娯楽版『百面童子』小沢茂弘監督・ばてれん坊役
1955年娯楽版『夕焼け童子』小沢茂弘監督・登舎庄五郎役
1955年娯楽版『椿説弓張月』丸根賛太郎監督・八丁磔の紀平治役
1956年娯楽版『異国物語 ヒマラヤの魔王』河野寿一監督・バサン役
1956年娯楽版『孫悟空』佐伯清監督・金角役
1956年娯楽版『風雲黒潮丸』深田金之助監督・ルシアノ役
1956年娯楽版『新諸国物語 七つの誓い』佐々木康監督・オンゴ役
1958年娯楽版『少年猿飛佐助』河野寿一監督・夜霧の源助役
1959年娯楽版『里見八犬伝』内出好吉監督・蟇田権頭役
1961年娯楽版『新黄金孔雀城 七人の騎士』山下耕作監督・雲切玄蕃役
吉田は娯楽版だけではなく、オールスター映画や大人向け時代劇でも中堅悪役として多くの作品に出演しました。
1955年『薩摩飛脚』河野寿一監督・まむしの利兵衛役
1957年『水戸黄門』佐々木康監督・根田八郎太役
1959年『紅顔の密使』加藤泰監督・悪路王役
1963年にフリーになると大映『大怪獣ガメラ』『妖怪百物語』『ガメラ対深海怪獣ジグラ 』、松竹『男はつらいよ』シリーズ準レギュラー、東宝『ゴジラ対ヘドラ』『金環蝕』など各社で活躍、テレビにも進出してNET『悪魔くん』メフィスト役などコミカルで印象深い役を演じ人気を集めました。
加藤嘉(かとう よし)
松竹野村芳太郎監督の名作『砂の器』で印象に残る老人役を演じた加藤嘉は、若い時分から老け役として数多くの舞台で活躍していました。
慶應義塾大学高等部在学中、中学の先輩の徳大寺伸が立ち上げたアマチュア劇団に参加し、目をけがしたことなどによって1年で慶応を中退します。1934年に東京宝塚劇場の専属俳優募集に合格しましたが、その後社会主義に目覚め反戦劇や新劇に共鳴、宝塚を離れて新築地劇団付属研究所に入所して本格的に演劇活動に取り組みました。そして23才の時から老け役として度々舞台に立つようになりました。
戦後1948年、松竹『わが生涯の輝ける日』吉村公三郎監督に出演してから映画界でも活動をはじめ、1950年には大スター山田五十鈴と結婚し注目を浴びます。
1951年『旗本退屈男 唐人街の鬼』中川信夫監督・曾我内記役
三年間の山田との結婚生活で映画の魅力に目覚めた加藤は映画に積極的に出演し、1956年から60年まで東映と専属契約を結び生涯で180本以上の東映作品に参加しました。その後はフリーとなり、存在感のある脇役として活躍されました。
1953年『ひめゆりの塔』今井正監督・佐々木軍医長役
1953年『加賀騒動』佐伯清監督・奥村長左衛門役
1956年『赤穂浪士 天の巻 地の巻』松田定次監督・小野寺十内役
1956年『異国物語 ヒマラヤの魔王』河野寿一監督・桜谷弥兵衛役
1957年『さけぶ雷鳥』内出好吉監督・青池光親役
1958年『江戸の花笠』萩原遼監督・馬場陣内役
1959年『忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻』松田定次監督・荘田下総守役
1963年『武士道残酷物語』今井正監督・堀高啓役
1965年『飢餓海峡』内田吐夢監督・八重の父長左衛門役
1970年『昭和残侠伝 死んで貰います』マキノ雅弘監督・花田清吉役
団徳麿、吉田義夫、加藤嘉。三人の個性派俳優は、与えられた役に対し真摯に向き合い、工夫を凝らして役作りを行うことで東映時代劇の黄金期に貢献しました。