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120.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第9節「プロデューサー黒澤満 東映ニューアクション ②東映セントラルフィルムからセントラル・アーツ」
4.東映セントラルフィルム、独立プロ作品全国配給に貢献
1980年11月11日、東映ビデオは映画、テレビ制作子会社セントラル・アーツを設立、元日活撮影所長で東映ビデオの嘱託プロデューサー黒沢満が社長に就任します。
これまで黒澤の映画を製作配給してきた東映セントラルフィルムは、セントラル・アーツ設立後、部長の中西晃を中心に独立プロ作品を積極的に配給、東映シネマサーキット(TCC)チェーンを利用して全国公開して行きました。
12月、横山博人監督の自主映画、江藤潤主演『純』をTCCチェーンに配給します。
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この映画は、東映東京撮影所(東撮)助監督だった横山博人が、東撮を退社、中島貞夫の仲介にて原作者の倉本聰から了承を得て、配給も決まっていない中で、自ら製作資金を調達し、自身で脚本、演出して完成していた作品でした。
カンヌ国際映画祭に出品され高い評価を得た後、各国映画祭で上映されたことでひそかな話題を呼んでおり、日本の名画座でのスポット公開には行列ができましたが、全国公開には至らず、横山が東映にオファーし、東映セントラルフィルムの配給にて公開となります。
12月20日に、TCCチェーンを中心に全国で小規模公開ながら大ヒットしました。
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5月には東映セントラルフィルムは小栗康平監督『泥の河』(田村高廣主演)を配給します。
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この映画は、木村元保の木村プロダクションが宮本輝の原作を新人の小栗康平監督で自主製作した作品で、試写を見て感動した岡田が上映権を買い上げ、5月、TCCチェーンにて全国公開しました。
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この作品は1981年度キネマ旬報第1位に選出されるなど、各種映画賞を受賞し、高い評価を得ます。
この年東映セントラルフィルムは、他にニッポン放送との共同製作の『無力の王』(1981年8月・石黒健治監督・高樹澪主演)、国際映画社・葦プロダクション製作のアニメ映画『宇宙戦士バルディオス』(1981年12月)を配給しました。
翌1982年2月には、若松プロダクション製作、内田裕也主演『水のないプール』(若松孝二監督)を配給公開します。
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実際に起こった事件をヒントに作られたこの映画は、大ヒットしました。
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3月に公開した石井聰亙監督のダイナマイトプロダクションが製作した陣内孝則主演『爆裂都市 BURST CITY』も話題を呼びます。
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12月には時代に先駆け、松浦康治監督監督『薔薇と海と太陽と』『薔薇の星座』『白い牡鹿たち』の薔薇族映画3本立てを配給、TCCチェーンにて全国公開しました。
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これまでにも男性同性愛がテーマの一般映画はありましたが、成人映画である薔薇族映画の全国公開は初めての試みであり、大ヒットします。
東映セントラルフィルムは、横山博人が監督した『卍』(樋口可南子、高瀬春奈主演)、獅子プロの向井が監督作した『四畳半色の濡衣』(美保純主演)をそれぞれのプロダクションと共同製作し、1983年2月に配給、TCCチェーンにて全国公開しました。
また、4月にはシンガーソングライターのイルカが企画製作したアニメ映画『ノエルの不思議な冒険』を配給します。
イルカは『なごり雪』大ヒットの後、イラストレーター、絵本作家としても活躍しており、この映画の原作、音楽、そして声優を務めました。
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5月、長門裕之の人間プロダクションが製作した黒木和雄監督『泪橋』(渡瀬恒彦主演)を配給、シネマスクウェアとうきゅうで公開します。
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そして10月、俳優の金子正次が命をかけて脚本を書き、製作主演した川島透監督『竜二』を配給、全国公開します。
東映ファンの金子が自己資金をかき集め作ったヤクザ映画は、東映セントラルフィルムでの配給が決まった後、8月の湯布院映画祭でのプレミア試写会にて絶賛され話題を呼んでいました。
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新宿東映ホール2にてロードショー公開すると大ヒットします。しかし、29日び公開初日に劇場前で倒れた金子はそのまま入院し、公開中の11月5日、松田優作などが見守る中、息を引き取りました。
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12月にはスティック・インターナショナルと若松プロが木俣堯喬監督で共同製作した谷崎潤一郎原作『鍵 THE KEY』(松尾嘉代主演)を配給、新宿東映ホール1他で公開しました。
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この後東映セントラルフィルムは、1984年5月、角川映画の『晴れ、ときどき殺人』(井筒和幸監督・渡辺典子主演)/『湯殿山麓呪い村』(池田敏春監督・永島敏行主演)、9月、東映と高原プロ共同製作『高原に列車が走った』(佐伯治監督・美保純主演)、1985年1月、東映セントラルフィルム製作『魔の刻』(降旗康男監督・岩下志麻主演)、6月、角川映画『友よ静かに眠れ』(崔洋一監督・藤竜也主演)/『結婚案内ミステリー』(松永好訓監督・渡辺典子主演)などを配給します。
そして、1985年7月、東映ビデオ製作『愛しのベティ 魔物語』/東北新社製作『アモン・サーガ』の2本立てアニメ映画を配給した後、1986年2月に2本のポルノ映画を配給して業務を修了しました。
東映セントラルフィルムは、1978年から1986年までの9年間に共同製作も合わせ18本の映画を製作し、自社作品も含め独立プロ作品も合わせ39本を配給しています。
その他に向井寛のプロダクション(ユニバース→獅子プロダクション→三誠商事)等に発注して製作したピンク映画172本を配給しました。
その中には、滝田洋二郎の監督デビュー作『痴漢女教師』など数本の滝田作品も含まれています。
『純』『泥の河』『竜二』など、独立プロを配給面で支援した東映セントラルフィルムは、次世代映画人材の育成に貢献した会社でした。
5.黒澤社長セントラル・アーツ始動
一方、1980年11月、セントラル・アーツの社長に就任した黒澤満は、この会社でまずはテレビドラマの制作を進めて行きました。
初作品は、コメディタッチの探偵物加山雄三主演『キャンパスアクション 探偵同盟』(1981/1/8~3/26)。1981年1月からフジテレビ系で放映されます。
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この作品は、『遊戯シリーズ』と同じく、黒澤満、伊地知啓のプロデューサーチームに紫垣達郎が加わり、メインライター丸山昇一、メイン監督村川透、にっかつ撮影所にて撮影されました。
第2作として、草刈正雄、藤竜也主演『プロハンター』(1981/4/7~ 9/22)の放映が4月からNTV系にて始まります。
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草刈と藤のかっこいいバディが、クリエーションが歌う主題歌「ロンリー・ハート」とともに人気を集めました。
続いてフジ系にて加山主演『愛のホットライン』(1981/5/14~9/24)が始まります。
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このシリーズの後は、1981年12月、翌年1月放映のNTV系『火曜サスペンス』2作の2時間物を制作しました。
6.セントラル・アーツ映画製作へ、『ビー・バップ・ハイスクール』大ヒット
セントラル・アーツの名前が登場した初めての映画は、東映と角川春樹事務所が共同製作し1982年4月に東映洋画にて配給公開した『化石の荒野』(長谷部安春監督)でした。
エンドテロップには「制作協力 セントラルアーツ」と表示されています。
次にセントラル・アーツは日本テレビとの共同で『俺っちのウェディング』(根岸吉太郎監督・時任三郎主演)を製作、GWに松竹の配給で公開しました。
そして、『蘇える金狼』以来角川春樹の信頼を得ていた黒澤は、この後セントラル・アーツとして1983年7月公開『探偵物語』(根岸吉太郎監督・薬師丸ひろ子主演)、1984年5月公開『晴れ、ときどき殺人』(井筒和幸監督・渡辺典子主演)『湯殿山麓呪い村』(池田敏春監督・永島敏行主演)、10月公開『いつか誰かが殺される』(崔洋一監督・渡辺典子主演)、12月公開『Wの悲劇』(澤井信一郎監督・薬師丸ひろ子主演)、1985年6月公開『友よ、静かに瞑れ』(崔洋一監督・藤竜也主演)、9月公開『早春物語』(澤井信一郎監督・原田知世主演)など、角川映画に次々と制作(製作)協力して行きます。
東映と角川の提携解消後、黒澤のセントラル・アーツは、1981年から所属俳優となった松田優作を主役にサンダンス・カンパニー古澤利夫が企画した『それから』(1985年11月公開森田芳光監督)に製作協力しました。
続いて同じサンダンス・カンパニー企画の『野蛮人のように』(1985年12月公開川島透脚本監督・薬師丸ひろ子主演)に製作協力したセントラル・アーツは、同時上映作品として『ビー・バップ・ハイスクール』を製作します。
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この作品は、講談社の『ヤングマガジン』連載中のきうちかずひろによる大ヒット漫画を映画化するべく、当時ディレクターズ・カンパニー副社長兼ウィングス・ジャパン社長の長谷川安弘が東映に持ち込んだ企画でした。
製作を担当した黒澤は、日活でロマンポルノ作品を手がけていた那須博之を監督、夫人の那須真知子を脚本に起用。技斗を、全盛期の日活アクションを支えた技斗師高瀬将敏の息子で高瀬道場主宰・高瀬将嗣に任せます。
そして9月の製作発表会場にて、この作品の主役を決める最終オーディションを行い、「ヒロシ」役に清水宏次朗、「トオル」役に仲村トオルを抜擢しました。
また、マドンナ役にTBS系ドラマ『毎度おさわがせします』に出演し人気急上昇中の中山美穂を選び、この作品が中山の映画デビュー作となります。
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東映洋画配給にて12月に『野蛮人のように』と同時公開されるとこの作品は薬師丸作品に負けないほどの人気を博し、大ヒットしました。
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『ビー・バップ・ハイスクール』はシリーズ化され、この作品の演技で第10回日本アカデミー賞などの様々な映画賞で新人賞を受賞した仲村トオルは松田優作同様セントラル・アーツに所属、人気スターの階段を駆け上がって行きます。
次回は仲村トオルの活躍を中心にセントラル・アーツのその後をご紹介いたします。
トップ写真:『ビー・バップ・ハイスクール』製作発表 左から仲村トオル、中山美穂、清水宏次朗