
129.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第14節「東映子供向けドラマ 昭和ライダーシリーズ 前編」
1.第1期MBS「仮面ライダーシリーズ」(東映東京制作所・生田スタジオ)
現在、テレビ朝日系にて放送中の『仮面ライダーガッチャード』はテレビ朝日と共に製作しています。
これまで50年以上続く「仮面ライダーシリーズ」は、当初、東映と大阪の毎日放送(MBS)との共同製作で始まりました。
① 『仮面ライダー』(1971/4/3~1973/2/10 全98話)
第1作『仮面ライダー』は1971年4月3日から関西地区はMBS、関東地区は当時、MBSとネットしていた日本教育テレビ(NET)の土曜19時30分枠にて放映を開始します。

『仮面ライダー』は、原作の石森章太郎と共に東映テレビ部のプロデューサー平山亨と阿部征司が企画した作品でした。
この特撮ヒーロードラマの制作を請け負った東映東京制作所(制作所)の関連事業室室長兼制作部長代理だった内田有作(内田吐夢監督の次男)は、東映東京撮影所(東撮)が組合問題で揺れていることから、所長の石田人士より東撮以外で制作することを命じられます。
そこで内田は大野剣友会などの協力で川崎市郊外に東映生田スタジオを作り、『柔道一直線』などに参加していたフリーのスタッフを集め、監督の山田稔を社長に東京映像企画を設立します。また、大映など各所から撮影技術者を集め、制作所のベテラン竹本弘一監督の演出で悪の秘密結社ショッカーと戦う仮面ライダーに変身する本郷猛役を藤岡弘が主演して、第1話『怪奇蜘蛛男』の制作を開始しました。

厳しい条件での撮影が続く中、第9話、第10話の撮影時、藤岡がオートバイの転倒で重傷を負い入院する事故が生じます。

©石森プロ・東映
ピンチの後にチャンスあり。急遽登場した仮面ライダー2号一文字隼人役佐々木剛の「変身」ポーズが子供たちの間で大ブームとなりました。

©石森プロ・東映
その後ケガから復帰した藤岡が新1号ライダーとして再登場。ショッカーからより強大になったゲルショッカーと戦い、番組の好調を維持します。

©石森プロ・東映
アクシデントを契機にブームを巻き起こした等身大ヒーロー『仮面ライダー』は、ますます子供たちの人気を集め、関西で平均視聴率25.9%、関東は21.2%と大ヒットしました。
そのころ子供だった大人たちの脳裏にはショッカー日本支部大幹部、初代ゾル大佐・宮口二朗、2代目死神博士・天本英世、3代目地獄大使・潮健児、ゲルショッカー日本支部大幹部、ブラック将軍・丹羽又三郎の雄姿が今も焼き付いています。

©石森プロ・東映

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https://note.com/toei70th/n/n5c86c0aa8e04
また、バンダイの子会社ポピーが販売した「仮面ライダー変身ベルト」が爆発的に売れ、カルビーが発売した「仮面ライダースナック」はおまけのライダーカードが社会問題となるほどのブームとなり記録的な売り上げをあげるなど、この作品で特撮キャラクタービジネスが確立しました。
https://note.com/toei70th/n/n07ebf3f25a65
これまで制作費の赤字でシリーズ化が難しかった特撮ヒーロー番組は、版権収入で赤字が補填され逆に大きな利益を生み出す番組制作モデルが誕生したことでシリーズ化が可能となり、この後、平山と阿部がプロデュースする「仮面ライダー」はMBSにてシリーズ化。制作所の生田スタジオは東映特撮ヒーロー番組制作の本拠地となり、1973年2月、内田が所長に任じられます。
② 『仮面ライダーV3』(1973/2/17~1974/2/9 全52話)
続いて制作された第2作『仮面ライダーV3』ではV3に変身する風見志郎役に宮内洋が主演し、ショッカーそしてゲルショッカーの首領が新たに結成させた秘密結社デストロンと戦いました。

©石森プロ・東映
千波丈太郎演じる初代日本支部長ドクトルG(ゲー)の「仮面ラァーイダV3」というセリフが人気を呼びます。

©石森プロ・東映
第43話からは山口暁(あきら)演じる元デストロン科学者結城丈二が登場しました。
結城は変身用ヘルメットを装着して4人目の仮面ライダー「ライダーマン」に変身します。

©石森プロ・東映
『仮面ライダーV3』は、関西では平均視聴率27%、関東で20.2%と大ヒットし、「仮面ライダー」は人気シリーズとして定着しました。

©石森プロ・東映
③ 『仮面ライダーX』(1974/2/16~10/12 全35話)
1号、2号、V3、ライダーマンに続く5(V)人目のライダーとして「額に輝くVとV」第3作『仮面ライダーX』が放映されます。

©石森プロ・東映
仮面ライダーXに変身する神敬介役を速水亮が演じ、ライドルという鞭にも剣にもなる武器を持って、日本全滅を狙う大国の連合組織「G・O・D機関」の神話怪人と戦いました。

©石森プロ・東映
前半のアポロガイスト、後半の巨大ロボット幹部キングダークも人気を集め、平均視聴率は関西20.5%、関東16.9%と前作には及びませんが好調を維持します。

©石森プロ・東映
ただ、1975年4月から毎日放送がNET系列からTBS系列にシフトチェンジするため、『仮面ライダーX』は1974年10月12日第35話の放映をもって終了しました。
また、10月には生田スタジオを立ち上げ「仮面ライダーシリーズ」など特撮ヒーロー番組制作の本拠地に育て上げた内田有作所長が東映を退社します。
そのため、内田が集めたスタッフの多くがスタジオを離れることとなり、ほどなく東京映像企画も解散しました。
内田の後任には製作所技術課長の原田一巳が所長に就任、その後も子供向け特撮ドラマの制作が生田スタジオにて続けられます。
④ 『仮面ライダーアマゾン』(1974/10/19~1975/3/29 全24話)
生田スタジオで制作の第4作『仮面ライダーアマゾン』は、バッタの改造人間ではなく、アマゾンのオオトカゲがモチーフの生体改造人間という異色のライダーでした。

©石森プロ・東映
十面鬼ゴルゴス率いる悪の組織ゲドンの獣人と戦う山本大介役の岡崎徹が、6人目の仮面ライダーアマゾンに変身する際に発する「アー・マー・ゾーン」という声は、主題歌を歌う子門真人の雄叫びです。

©石森プロ・東映
グロテスクな風貌で当初は子供たちが怖がったアマゾンでしたが、愛嬌のあるモグラ獣人が味方になってから人気が戻りました。

©石森プロ・東映
第14回から、十面鬼ゴルゴスが倒され壊滅したゲドンに代わり日本征服を目指すゼロ大帝率いるガランダー帝国が登場し盛り上がりを見せた『仮面ライダーアマゾン』。平均視聴率は関西で17.7%、関東15.7%と高視聴率を記録しましたが、ネットチェンジの都合で予定通り1975年3月29日第24話でシリーズ終了します。
そして、4月1日からMBSはTBS系列となり、仮面ライダー枠は土曜19時30分から土曜19時に変わって次作『仮面ライダーストロンガー』が放映されました。
一方のNETは、「仮面ライダーシリーズ」に代わる『秘密戦隊ゴレンジャー』を東映と共に製作し、これまでの仮面ライダー枠だった土曜19時30分から放映を開始します。
新番組『秘密戦隊ゴレンジャー』も、本社プロデューサー平山亨、吉川進を中心にメインライター上原正三、メイン監督竹本弘一で企画を進め、『仮面ライダーストロンガー』と共に生田スタジオにて制作します。
⑤ 『仮面ライダーストロンガー』(1975/4/5~12/2 全39話)
初めてTBS系で放映される第5作『仮面ライダーストロンガー』は、平山が新シリーズを目指す『秘密戦隊ゴレンジャー』に注力したことで、阿部がメインプロデューサーとなって製作を進めました。

©石森プロ・東映
この作品では、カブトムシをモチーフとした7人目の仮面ライダーストロンガーに変身する城茂役の荒木茂に加え、女の子も「ライダーごっこ」がしたいという声を受けて、岬ユリ子役の岡田京子がテントウムシをモチーフに変身した、シリーズ初の女性戦士電波人間タックルが登場します。ちなみに、岡田京子は岡田茂が命名した期待の女優でした。

©石森プロ・東映
対する悪の組織は、人を意のままに操ることができるサタン虫を統括する大首領率いる悪の秘密結社ブラックサタン。

©石森プロ・東映
日本支部の初代大幹部タイタン、2代目ゼネラル・シャドウは、奇械人(きっかいじん)を使って日本の支配を企みます。

©石森プロ・東映
タックルはストロンガーとともにブラックサタンに敢然と立ち向い壊滅させました。しかし、ゼネラル・シャドウが新たに作ったデルザー軍団のドクターケイトと相討ちとなり第30話で散りました。

©石森プロ・東映
『仮面ライダーストロンガー』の平均視聴率は関西で12.7%、関東で14.7%と決して低い数字ではありませんでしたが、この作品で、MBSとの「仮面ライダーシリーズ」が一旦終了することが決まり、最後となる第37話「さようなら!栄光の7人ライダー!」には、7人の仮面ライダーが全員変身前の姿で登場、有終の美を飾ります。
『仮面ライダーストロンガー』は、生田スタジオでの最後の「仮面ライダー」作品となりました。

©石森プロ・東映
この後、MBS・TBSの土曜19時枠には『まんが日本昔ばなし』(第2期 1976/1/3~1994/8/27)が始まります。
これまで「仮面ライダーシリーズ」として築いてきたMBSと東映製作の特撮ヒーロードラマは、金曜19時枠にて制作所制作の新番組『宇宙鉄人キョーダイン』(1976/4/2~1977/3/11 全48話)として引き継がれました。
ちなみに、1976年秋に平山は『キョーダイン』の他、NET系月曜19時『ザ・カゲスター』(1976/4/5~11/29 全34話)、TBS系月曜19時30分『刑事くん』(1971/9/6~1976/11/29)、NET系火曜19時『超神ビビューン』(1976/7/6~1977/3/29 全36話)、12ch系水曜19時30分『忍者キャプター』(1976/4/7~ 1977/1/26 全43話)、NET系金曜19時30分『がんばれ‼ロボコン』(1974/10/4~1977/3/25)、12ch系圡曜19時『ぐるぐるメダマン』(1976/7/10~1977/1/29 全30話)、NET系土曜19時30分『秘密戦隊ゴレンジャー』(1978/4/5~1977/3/26)、と8作品のプロデューサーとして活躍しています。
また、1976年1月30日、制作所(所長久保田正巳)は、主に子供番組の制作を行う子会社として東映映像株式会社(社長久保田正巳)を設立します。
そして、近隣からの苦情が増えたことで1978年放映のANB系『透明ドリちゃん』(1978/1/7~7/1 全25話)を最後に「仮面ライダー」誕生の地・生田スタジオは閉鎖、東映映像のスタッフの拠点は東撮に移りました。