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59. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」
第5節「東映娯楽時代劇黄金期の名監督⑦ 工藤栄一と山下耕作」
テレビの台頭で映画の衰退がはじまり、東映勧善懲悪娯楽時代劇にお客が集まらなくなった時期、黒澤映画に衝撃を受けた若手監督たちによるリアル志向の集団時代劇が登場しました。牽引したのは工藤栄一。また、将軍と呼ばれた若手監督山下耕作は股旅時代劇から任侠映画へと道をつなぎ、北島三郎、若山富三郎、藤純子などの代表シリーズを立ち上げます。二人は時代劇全盛の東映京都で育った生え抜き監督でした。
工藤栄一 集団時代劇の旗手から情無用のハードボイルドへ
1954年、慶応大学法学部を卒業した工藤栄一は東映に入社、企画部を経て京都撮影所の助監督となります。
1959年9月公開伏見扇太郎主演娯楽版『富嶽秘帖(二部作)』で監督デビューすると、翌1960年から始まった第二東映にて黒川弥太郎主演『次郎長血笑記(四部作)』を監督しました。
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1960年には7月公開『ひばり捕物帖 折鶴駕篭』、10月公開『天竜母恋い笠』、翌1961年も東撮で5月公開『魚河岸の女石松』、京撮で9月公開『花のお江戸のやくざ姫』など美空ひばりの主演作を監督しました。
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1961年には市川右太衛門主演で5月公開『八荒流騎隊』、12月公開『権九郎旅日記』と御大作品も監督し、他に8月公開大友柳太朗主演『右門捕物帖 まぼろし燈籠の女』も担当しました。
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1962年は里見浩太郎主演の3月公開『お姫様と髭大名』、7月公開『胡蝶かげろう剣』と2本続けて担当した後、大友主演で11月公開『血文字屋敷』を監督します。
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工藤の1963年は、かつて片岡千恵蔵が演じた紫頭巾を大友主演で再映画化した1月公開『変幻紫頭巾』で始まりました。
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そして、2月に京撮に企画部長黒住盛太郎、次長として渡邊達人が赴任します。
1961年に東宝で公開された黒澤明監督『用心棒』、翌年公開『椿三十郎』が示したリアル時代劇は、これまでの定番時代劇に観客が集まらなくなってきた東映の製作陣に衝撃を与えました。黒澤ショックを受け、京都の時代劇を変革するべく渡邊は、一人の主役に頼るのではなく、チームで敵を倒す集団時代劇を提案します。
また、これまでの時代劇に危機感を抱く工藤は、3月公開の大友主演『忍者秘帖 梟の城』で、東映ではこれまで描かれてこなかったリアルな忍者の姿を描き、集団時代劇の魁となる伊賀対甲賀のダイナミックな活劇に仕上げました。
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渡邊は池上金男(後に作家池宮彰一郎)脚本で長谷川安人監督を使った大友柳太朗主演の集団時代劇『十七人の忍者』を7月に公開、まずまずの評価を受け、続けて池上脚本『十三人の刺客』の監督を工藤に任せます。主役に御大片岡千恵蔵を置くリアルな殺陣による緊迫感あふれる集団暗殺劇は、この年12月に公開されると新しい時代劇として注目を浴びました。
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引き続き、1964年6月公開里見浩太郎主演で集団時代劇『大殺陣』を監督し、大友柳太朗が敵役を演じたこの作品も高い評判を呼びます。
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しかし、1964年2月、京撮所長に岡田茂が就任し、7月公開鶴田浩二主演小沢茂弘監督『博徒』、8月公開高倉健主演マキノ雅弘監督『日本俠客伝』と任侠映画が大ヒットしたことから、映画企画を時代劇から任侠路線にシフトしました。それによって工藤の仕事も減少します。
1965年には8月公開大川橋蔵主演股旅物『任俠木曽鴉』の後、初めて明治物現代劇、11月公開松方弘樹主演『やくざGメン 明治暗黒街』を監督しました。
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任侠路線と共に好色路線を進める岡田の下、1966年には3月公開田村高廣主演成人向け時代劇『女犯破戒』を監督します。
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1967年、6月には俊藤浩滋企画で安藤昇主演『日本暗黒史 血の抗争』が公開されました。工藤が集団時代劇の手法を活かし、ヤクザ同士の集団抗争をドロドロした殺伐さで描いたこの作品は後の実録映画の先駆けと言われ、翌1968年1月には続篇『日本暗黒史 情無用』が公開されます。
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その間、工藤が監督した1967年12月公開夏八木勲主演『十一人の侍』が最後の集団時代劇となりました。
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他社にてテレビ時代劇日本テレビ系『剣』シリーズ1967年6月放映第9話「檜谷の決闘」を始めて演出した工藤は、続いて東映で10月放映読売テレビ系『戦国無宿』第1話第2話を監督、これ以降テレビ時代劇を数多く監督するようになります。
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テレビ時代劇にも進出した工藤は、1968年5月公開の現代劇梅宮辰夫主演『産業スパイ』を監督した後、久しぶりの時代劇映画、若山富三郎主演の『賞金稼ぎ』シリーズ1969年12月公開『五人の賞金稼ぎ』を担当しました。
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1969年からは東撮のフジテレビ系放映テレビドラマ『特命捜査室』、後番組『花と狼』でも演出を行います。
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その後、東映のみならず様々な会社で数多くのテレビドラマを監督し、1973年朝日放送系『必殺仕事人』6月放映第7話「とじたまなこに深い渕」から松竹『必殺』シリーズでも活躍しました。
現代ドラマでは、萩原健一主演1973年TBS系『風の中のあいつ』、1974年日本テレビ系『傷だらけの天使』、1977年日本テレビ系『祭りばやしが聞こえる』などの作品も担当、これらの作品は当時の若者の人気を集めます。
映画では、1973年6月公開梅宮辰夫主演『やくざ対Gメン 囮』、1974年3月公開菅原文太主演『まむしの兄弟 二人合わせて30犯』、1979年5月公開根津甚八主演『その後の仁義なき戦い』などヤクザ映画を監督しました。
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1980年代に入っても、久しぶりの時代劇映画1980年2月公開渡瀬恒彦主演『影の軍団 服部半蔵』や1981年4月公開松田優作主演『ヨコハマBJブルース』、1982年10月公開緒形拳主演『野獣刑事』、1983年10月公開水谷豊主演『逃がれの街』など、ハードボイルド映画を精力的に監督します。
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その後、1986年5月松竹公開『必殺Ⅲ』や1989年12月東映公開長渕剛主演『ウォータームーン』、1990年代に入っても、1992年4月東映公開陣内孝則主演『赤と黒の熱情』などの作品を監督し、2000年9月に71歳で逝去しました。
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山下耕作 渡世人から任侠映画へ・将軍と呼ばれた監督
1952年、京都大学法学部を卒業し、東映に入社した山下耕作は、総務課に配属されます。1955年、助監督に転籍した山下は、内田吐夢を始め数多くの監督に付き、1961年1月公開沢村訥升主演『若殿千両肌』で監督デビューしました。
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山下は、デビュー後も内田監督『宮本武蔵』シリーズのチーフ助監督を1963年8月公開『宮本武蔵 二刀流開眼』まで担当します。また、1963年4月公開今井正監督『武士道残酷物語』などの助監督も務めました。その間、1961年8月公開の娯楽版里見浩太郎主演『新黄金孔雀城 七人の騎士(三部作)』を監督しました。
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そして、1963年11月公開中村錦之助主演『関の彌太ッぺ』を監督します。傷だらけの錦之助と昔助けた十朱幸代がむくげの花を介して交わす会話が心にしみる、抒情豊かな名作が生まれました。
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1964年には9月公開大川橋蔵主演任侠時代劇『大喧嘩』、1965年には中村錦之助で11月公開の仁侠映画『花と龍』を監督しました。12月には丹波哲郎主演で監督した時代劇『隠密侍危機一髪』が公開されます。
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翌1966年1月に『続花と龍 洞海湾の決斗』を撮影の後、4月公開の任侠映画北島三郎主演『兄弟仁義』を監督し、北島の歌う主題歌と共に大ヒットし、シリーズ化しました。
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また、初めて東京撮影所で監督した鶴田浩二主演6月公開『大陸流れ者』は高い評価を得ます。
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1964年に公開された山下監督作品は2作、翌1965年も2作でしたが、1966年には『兄弟仁義』のヒットによって、5作品が公開されました。
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1967年には、4月公開舟木一夫主演『一心太助 江戸っ子祭り』で時代劇を監督した山下は、5作続いた『兄弟仁義』シリーズを終え、この年も山下作品は5作品が公開されます。
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山下は、1967年1月に小沢茂弘監督から始まった鶴田浩二主演『博打打ちシリーズ』第4作『博奕打ち 総長賭博』を監督しました。1968年1月に公開されるとヒットし、この作品は任侠映画を代表する作品と言われています。
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3月には総長賭博の助演で注目を集めた若山富三郎の主演作『極道』を監督。鶴田や高倉と違う、不良性感度が高い若山の暴力的で親分肌のコミカルな面が評判を呼び、1974年第11作まで続く、新たな人気シリーズとなりました。
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山下が監督し、9月に公開した藤純子主演『緋牡丹博徒』も、大ヒットし、東映から新たな女性スターが誕生、第8作まで続くシリーズが始まります。若山も道後の熊虎として助演しコミカルな役で人気を集めました。
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ここに、『人生劇場』『博徒』『博奕打ち』の鶴田浩二、『日本俠客伝』『網走番外地』『昭和残俠伝』の高倉健、『極道』の若山富三郎、『緋牡丹博徒』の藤純子、東映任侠映画四大スターが揃います。
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仁侠映画のヒットメーカーとなった山下は、続いて、久しぶりの時代劇11月公開佐久間良子主演『大奥絵巻』を監督しました。
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1968年に人気シリーズとなる『極道』シリーズ、『緋牡丹博徒』シリーズを立ち上げた山下は、引く手あまたの活躍でこの年7作品を監督します。
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1969年も大車輪の活躍で6作品が公開され、中でも、7月公開藤純子主演『日本女俠伝 侠客芸者』は、藤の人気もあり大ヒット、『日本女俠伝』も5作続くシリーズとなりました。
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山下は、その後も、1970年に5作、1971年4作、1972年4作と任侠映画を中心に監督します。1972年に藤純子が引退し、徐々に任侠映画人気も衰えていき、映画の監督本数も減っていきました。
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1971年、6月関西テレビ系『徳川女絵巻』第36回「姫君と用心棒」からテレビ時代劇に乗り出し、これ以降、数多くの作品を監督しました。
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1973年、深作欣二監督『仁義なき戦い』の大ヒットで実録ヤクザ映画が台頭すると、山下も8月公開高倉健主演『山口組三代目』を監督し、大ヒット。この年は4作品、映画を監督しました。
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1974年は、実録映画4月公開菅原文太主演『山口組外伝 九州進攻作戦』に続いて、9月公開鶴田浩二主演『あゝ血戦航空隊』など3作を監督。
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1975年3作、1976年3作、1977年は1作、と実録映画の陰りと共に映画の監督本数も減り、日本テレビ系高橋英樹主演『桃太郎侍』など拡大するテレビ時代劇を専門に監督するようになります。
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その後も山下は東映京都で、1980年5月公開大型時代劇萬屋錦之介主演『徳川一族の崩壊』、松方弘樹主演の実録映画1984年11月公開『修羅の群れ』、翌1985年11月公開『最後の博徒』、1987年1月公開十朱幸代主演『夜汽車』、岩下志麻主演で1990年6月公開『極道の妻たち 最後の戦い』、1993年1月公開『新極道の妻たち 覚悟しいや』と精力的に東映京都の映画、テレビで活躍を続けました。
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東映を離れてからは共和教育映画で教育映画を監督した山下は、1998年12月、68歳で逝去します。
同性の陸軍大将山下奉文(ともゆき)にちなんで山下耕作に付けられたあだ名が将軍。お酒を愛し、名作時代劇とともに任侠映画の人気シリーズを数多く生み出した名匠は、長年にわたり映画そしてテレビ時代劇を通じて東映に貢献しました。
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工藤栄一と山下耕作は時代劇映画の全盛期から少し遅れて監督になり、工藤は『十三人の刺客』、山下は『関の彌太ッぺ』と対照的な名作を撮りました。時代劇映画史に残る作品を監督した二人は、それぞれが得意とする手法でテレビ時代劇の全盛期を支えたのでした。