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109.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第5節「東映ゼネラルプロデューサー岡田茂・映画企画の歩み⑨千葉真一 空手アクション映画」
9.千葉真一、空手アクション映画世界的ブームに
(1)京都撮影所『激突!殺人拳』大ヒット、シリーズ化
1973年、『東京=ソウル=バンコック 実録麻薬地帯』のシナリオハンティング(シナハン)で脚本家の高田宏治と主演の千葉真一は香港を訪れます。
東南アジアで人気があった千葉の仲介でこの映画に出資を決めたタイのブリーン社が香港ゴールデン・ハーベスト(G・H)社のレイモンド・チョウに話をして、香港も加わることになったためでした。
高田と千葉はG・Hが製作したブルース・リー主演カンフー映画を見て衝撃を受けます。
シナハンから京都撮影所(京撮)に戻った高田と千葉は、すぐにブルース・リー映画の話を企画スタッフに報告、それを翻案した千葉主演空手アクション映画企画の話で盛り上がりました。(ここではカンフーなどの中国拳法、空手、少林寺拳法、忍術、古武術などの格闘映画を総括して空手アクション映画とします。)
一方、宣伝担当の福永邦昭は、この映画の宣伝のためタイのロケ現場に記者を連れて赴く途中、香港の空港で足止めされました。時間ができた福永は、友人のアクション俳優風間健がG・Hで活躍していたこともあり、話に聞いていたG・H撮影所へ見学に行きます。そこでたまたまG・Hのシャオプロデューサーとブルース・リーに会いました。ロケ現場取材から帰国した10日後、福永の元に風間からリー急死の一報が入りました。
その後、G・Hのプロデューサーからブルース・リー主演第2作『ドラゴン怒りの鉄拳』の日本での上映権を格安価格で販売したいとのオファーが東映に来ます。
福永は、勝プロにあった『ドラゴン怒りの鉄拳』のプリントを取り寄せ社内試写を行い、社長の岡田茂に話をしました。しかし、岡田は『ボディガード牙』のヒットもあり、千葉主演でカンフーに代る空手アクション映画を製作して国内外に売った方が収益が上がると判断し、オファーを断ります。
結局『ドラゴン怒りの鉄拳』は、主演第1作『ドラゴン危機一髪』を翌1974年4月に日本公開する洋画配給会社の東和(現・東宝東和)が日本での上映権を得て、7月の公開が決まります。
東映は、話題のブルース・リー主演映画をいち早く見て参考にするため、12月にブルース・リー日本初公開予定である『燃えよドラゴン』の予告編を配給元のワーナー・ブラザーズから手配し、社内で試写を行いました。この作品は香港G・Hと米国ワーナーの合作映画でブルース・リー主演第4作目にあたり、香港で7月に公開された後、8月、米国で公開され大ヒットしていました。
試写を観た岡田は、千葉主演空手アクション映画の脚本作りにすぐに取り掛かるよう指示を出し、千葉主演の映画を担当する京撮企画者松平乗道が『激突!殺人拳』の企画を作成、高田と試写を見た鳥居元宏が脚本を書きます。
東映が千葉主演空手アクション映画の制作を進める中、12月に公開された『燃えよドラゴン』は大ヒット。日本で初めて公開されたブルース・リー主演映画は日本国中にカンフー映画ブームを巻き起こしました。
京撮製作の千葉真一主演・小沢茂弘監督『激突!殺人拳』は1974年2月、原田隆司監督『忘八武士道 さ無頼』とともに公開されます。
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この作品には、千葉と闘う沖縄空手達人役として、剛柔流九段・極真空手七段、大山倍達の高弟として師範代も務めた石橋雅史を抜擢しました。
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千葉が推薦した石橋は舞台俳優であり、かつて東京撮影所(東撮)の『特別機動捜査隊』や『キイハンター』などにも端役で出演しています。
『ボディガード牙 必殺三角飛び』のオープニングで千葉と闘う鬼哭流空手鮫島一貫役俳優を探していた東撮の殺陣師日尾孝司は、舞台出演中の石橋に偶然出会い出演を依頼、この作品で見せた千葉との迫力ある死闘が『激突!殺人拳』への抜擢につながりました。
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『激突!殺人拳』での剣役千葉と志堅原役石橋の鬼気迫る武闘シーンは評判を呼び、石橋はその後量産される東映空手アクション映画になくてはならない存在となりました。
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『激突!殺人拳』には空手流派である剛柔流から山口剛玄と日本正武館館長・鈴木正文が協力しました。
政岡憲道という重要な役で出演した鈴木はこの作品の後、京撮が製作する複数の空手アクション映画に協力、出演もします。
また、後日、鈴木は日本プロレスコミッション・コミッショナーに就任し、アントニオ猪木の格闘技路線に関係して行きました。
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高田と鳥居が脚本を書き、娯楽映画のベテラン小沢茂弘が監督した『激突!殺人拳』は大ヒット、早速続編が企画されシリーズ化します。
4月13日に公開されたブルース・リー主演の第1作にあたるカンフー映画『ドラゴン危機一髪』は第4作だった『燃えよドラゴン』に続き大ヒットします。
カンフー映画ブームの中、続編『殺人拳2』が、小沢茂弘監督、剣役千葉、志堅原役石橋、政岡役鈴木と前作と同じメンバーで作られました。
4月GWに山下耕作監督『山口組外伝 九州進攻作戦』とともに公開されるとこの映画も大ヒットします。
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『殺人拳2』の殺陣は『東京=ソウル=バンコック 実録麻薬地帯』にて殺陣師デビューした菅原俊夫が担当し、菅原は以後ブームとなる千葉やJAC作品を殺陣で支えました。
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7月20日にはブルース・リー主演映画第2作『ドラゴン怒りの鉄拳』が公開され、大ヒットします。
改めてG・Hと交渉していた東映洋画部は、リーの遺作となった第5作『死亡遊戯』の上映権をめぐって東和と競い、話し合った結果、1975年1月に第3作『ドラゴンへの道』を封切ることになり、この作品も大ヒットしました。
『死亡遊戯』は、まだ未撮影だった箇所を吹き替えて撮影した後、1978年4月に東和が公開します。この作品も話題を呼び『ドラゴンへの道』以上の大ヒットとなりました。
『殺人拳2』のヒットで、千葉主演『殺人拳シリーズ』第3作も製作が決まり、11月に小沢監督『逆襲!殺人拳』が山下耕作監督『極道VS不良番長』とともに封切られます。
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この映画では、政岡役鈴木は登場していますが、千葉の相手役は元日活スター和田浩二でした。
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次回作はしばらく間が空き、撮影場所を変え東撮で製作されます。
アクション映画の名手山口和彦監督による第4作『子連れ殺人拳』は、1976年4月に松方弘樹主演『テキヤの石松』と同時公開されました。
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1974年から始まった空手ブームもこの頃には下降し、『子連れ殺人拳』をもって千葉主演『殺人拳シリーズ』は終了します。
(2)東撮、千葉主演『直撃!地獄拳』シリーズ大ヒット
1974年4月公開京撮『殺人拳2』ヒット後、8月に東撮にて製作された千葉主演空手アクション映画『直撃!地獄拳』が封切られました。
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岡田茂から千葉真一主演で海外も視野に入れた空手映画という命題を与えられた東撮企画スタッフは、天才石井輝男と脚本を練り、忍者の末裔が主人公の格闘映画を企画します。
東撮チームは京撮の『殺人拳シリーズ』に負けないよう、キャスティングでも話題作りを考え、カンフースターとして香港で知名度の高い和製ドラゴン・倉田保昭に出演オファーしました。
東撮に設立された東映演技研修所出身の倉田は、東映『続・組織暴力』にて映画デビューした後、香港に渡りショウ・ブラザーズのカンフー映画で敵役として活躍。この年、凱旋帰国し出演作『帰ってきたドラゴン』が日本公開されていました。『直撃!地獄拳』が、日本復帰第1作となります。
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また、元WBA世界フェザー級チャンピオン西城正三にマフィアの用心棒役での出演を依頼しました。
この作品で西城はボクシングだけでなくスピード感のあるアクションを展開します。
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その他、子役下沢広之(真田広之)が千葉の少年期を演じました。
また、石井作品でおなじみの名和宏や室田日出男も出演、インパクトある演出で殺されます。
この映画では、主役の千葉と仲間を組む佐藤允(まこと)、郷鍈治(えいじ)の三人が下品なギャグを繰り広げ、石井によって『地獄拳シリーズ』とは異なる千葉の魅力が描かれます。
ヒットメーカー石井輝男が監督しコメディ要素も入った空手映画は、高倉健主演小沢茂弘監督『三代目襲名』と同時上映され、1974年度日本映画配給収入第5位となる大ヒットとなりました。
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この映画で甲賀忍者の末裔甲賀龍一役を演じた千葉は、戸隠流第三十四代宗家を称する初見良昭(まさあき)から直接忍法の指導を受けます。
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この忍術指導は、後に千葉が忍者映画で大活躍する契機となりました。
初見は、「猛虎の虎」と呼ばれた高松寿嗣(としつぐ)から戸隠流など9流派の古武術を受け継いだ武術者で、千葉県野田市で武神館(ぶじんかん)という道場を設立、今も世界中の人々から崇敬されています。
大ヒットを受け12月には石井監督で続編『直撃地獄拳 大逆転』が深作欣二監督『新仁義なき戦い』とともに公開されました。
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石井輝男監督作品におなじみの嵐寛寿郎、丹波哲郎、名和宏、室田日出男、松井康子などが登場する第2作は1作目以上にギャグ満載の空手アクション映画でした。
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(3)1974年、空手映画ブームに沸く
1974年、ブルース・リーのカンフー映画、千葉の『激突!殺人拳』の大ヒットで空手映画ブームが興り、国内を席巻します。
映画、テレビと多忙を極める千葉以外にも空手映画のスターを作るべく東映は格闘経験のある俳優を起用し空手映画にチャレンジして行きました。
① 山下タダシ主演『ザ・カラテ』のヒット
千葉真一の空手アクション映画のヒットで、2匹目のどじょうを狙う京撮は、企画者の佐藤雅夫が鈴木正文の紹介で見つけて来たアメリカの空手家山下タダシを主役に起用、野田幸男監督にて『ザ・カラテ』という格闘映画を製作、6月に公開しました。
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全米空手チャンピオンを称し、たどたどしい日本語で語る山下タダシの演技は素人の域を出ませんでしたが、折からの格闘映画ブームに乗った企画は成功し、シリーズ化します。
第2作、野田監督『ザ・カラテ2』は、11月に中島貞夫監督・安藤昇主演『安藤組外伝 人斬り舎弟』と同時公開され、この作品も堅調でした。
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続けての第3作『ザ・カラテ3 電光石火』は、翌1975年1月に山下耕作監督・高倉健主演『日本任侠道 激突篇』の併映作として公開されます。任俠映画の人気が衰退していたこともあり興行が振るわず、今作でシリーズは打ち止めとなりました。
② 渡瀬恒彦主演『極悪拳法』 大ヒット
また、京撮は早稲田大学時代、空手部に所属し2段を持つ渡瀬恒彦を主役にした小沢茂弘監督『極悪拳法』を1974年6月に公開します。
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この作品には、当時WBC世界ライト級チャンピオンだったガッツ石松、キックボクシングの人気スター沢村忠、そして空手の有段者石橋雅史も格闘俳優として主要な役で参加しました。
ガッツ石松はこの作品で映画デビューし、後年タレントとして大活躍します。
深作欣二監督『仁義なき戦い 完結篇』と共に公開され大ヒットしました。
しかし、渡瀬恒彦の空手アクション映画はこの1作で終わります。
③ 京撮『武道ドキュメント 拳豪の祭典』
1974年9月、山下耕作監督・鶴田浩二主演の戦争大作『あゝ決戦航空隊』に併映され、原田隆司監督による49分のドキュメンタリー映画『武道ドキュメント 拳豪の祭典』が公開されました。
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この映画は、空手九段鈴木正文が中心となって企画したドキュメンタリー映画で、「剛柔流日本正武館」の他に
「少林寺拳法」五百名の集団演武と講義、高段者による組手模範演武
「沖縄古武道と空手道」那覇の比嘉ゆう直、八木明徳、宮里栄一、コザの中里周五郎他
「水鴎流(居合、鎖鎌、剣法)」古武術、水鴎流居合剣法第十四代宗家、正木流鎖鎌術十一代宗家、剣道教士七段勝願光安
「宝蔵院流槍術」剣道教士、居合道教士、槍術師範山本卓夫
「稲富流砲術」未沢藩の稲富流の伝統砲術
「戸隠流忍法」伊賀流忍術・戸隠流忍法三十四代宗家忍術宗家初見接骨院長の初見良昭
など当時の貴重な姿をそのまま記録したものでした。
この後、東映では1976年に『世界最強の格闘技 殺人空手』を封切り、その他各社で格闘技に関する様々なドキュメンタリー映画が製作されて行きます。
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④ 1976年、倉田保昭『武闘拳 猛虎激殺!』
1974年に凱旋帰国し、8月『直撃!地獄拳』で日本映画界復帰を果たした倉田保昭は、その後も東撮にて志穂美悦子主演『女必殺拳 危機一髪』などに出演していました。
1976年、満を持して8月公開東撮『武闘拳 猛虎激殺!』に主演します。
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同時上映作が鈴木則文監督『トラック野郎 望郷一番星』であり、ヒットしましたが、空手映画ブームが去りつつあったことでシリーズ化には至りませんでした。
(4)その後の千葉真一の空手アクション映画
1974年にブームを巻き起こした千葉真一は、東映のアクションスターとして、1977年まで『少林寺拳法』や『けんか空手シリーズ』など様々な空手アクション映画に主演しました。
以下、その作品を紹介いたします。
1975年2月公開 東撮『少林寺拳法』鈴木則文監督
同時上映作品:『仁義の墓場』深作欣二監督・渡哲也主演
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8月公開 東撮『けんか空手 極真拳』山口和彦監督
同時上映作品:『暴力金脈』中島貞夫監督・松方弘樹主演
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11月公開 京撮『激突!合気道』小沢茂弘監督
同時上映作品:『実録三億円事件 時効成立』石井輝男監督・小川真由美主演
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12月公開 東撮『けんか空手 極真無頼拳』山口和彦監督
同時上映作品:『トラック野郎 爆走一番星』鈴木則文監督・菅原文太主演
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1977年2月公開 シネシンク製作東映配給『激殺!邪道拳』野田幸男監督
同時上映作品:関本郁夫監督・松田英子主演『大奥浮世風呂』
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5月公開東撮『空手バカ一代』山口和彦監督
同時上映作品:日活(再映)野口博志監督・赤木圭一郎主演『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』・山崎徳次郎監督・赤木圭一郎主演『霧笛が俺を呼んでいる』
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(5)千葉真一空手アクション映画、世界に羽ばたく
1974年、日本のヤクザ映画がこれからアメリカで人気が出るのではと考えたハリウッドの新興映画会社「ニュー・ライン・シネマ」社長ロバート・シェイと副社長スタンリー・ダデルソンが東映を訪れ、『山口組外伝 九州進攻作戦』と『激突!殺人拳』を買い付けます。
アメリカで公開すると、ヤクザ映画は当たりませんでしたが、”Sonny Chiba(千葉真一)”主演の空手アクション映画"The Street Fighter(激突!殺人拳)"は大ヒットしました。
ここから東映は千葉主演の空手映画7作品を輸出、全世界で公開され、約50億円の配給収入を獲得します。
これまで、テレビ番組『キイハンター』の放映を通じ、アクションスター千葉真一の名前はアジアでは人気があり有名でした。
しかし、ハリウッドでの成功で、空手スターSonny Chibaの名前は一躍世界中にとどろき、そのアクションは後のハリウッド映画人に大きな影響を与えて行きます。
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今回は千葉真一によって生まれた世界的空手アクション映画ブームについて紹介しました。次回は千葉が育てたJACの活躍を述べます。
トップ写真:ブルース・リーを意識した『激突!殺人拳』での千葉真一