124.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第11節「東映 一般洋画配給進出 前編」
1.東映洋画配給部、洋画大作配給進出
1980年1月、東映社長岡田茂は大手興行会社東急レクリエーションの社長に就任します。
これによって東映は、松竹と共に洋画系のSTチェーンの一翼を担う東急レクリエーションとより密接な関係を構築することが可能となり、ここから洋画配給部は一般洋画配給への進出に乗り出しました。
11月、東映洋画配給部はジャン・ポール・ベルモンド主演『警部』などフランス映画6作品を輸入し東映直営劇場にて「フランス・シネマ・フェア」を開催します。
同じく11月、洋画配給部長の鈴木常承は次年度の東映が配給する洋画ラインナップとともに本格的に欧米洋画大作の配給にも進出することを発表しました。
そして、1981年1月、まずは第1弾としてアル・パチーノ主演、ウィリアム・フリードキン監督のサスペンス大作『クルージング』を洋画系で公開します。
ニューヨークのハードゲイ世界を舞台にしたこの映画は前評判が高く話題を呼びました。
続けて2月、東映セントラルフィルム(TCF)が製作配給した『太陽のきずあと』(曽根中生監督)の同時上映作としてTCFが購入したジャッキー・チェン主演『少林寺木人拳』(ロー・ウェイ監督)を公開します。
4月には世界14カ国の死に至る残酷な儀式を撮影したフランスのドキュメンタリー映画『ジ・エンド』を輸入配給しました。
4月GWは『ダンプ渡り鳥』(関本郁夫監督)の併映作にTCFが購入したゴールデン・ハーベスト社製作の香港映画『阿修羅 ミラクル・カンフー』を上映します。
7月、東映洋画配給部は秋以降のラインナップを発表しました。
1981年6月に洋画配給部長に就任した佐藤真宏は8月の社内報にて秋以降の配給戦略を語ります。
洋画配給部はこれまでの香港映画やヨーロッパ映画だけでなく、『ウルフェン』やポール・ニューマン主演『アパッチ砦・ブロンクス』などハリウッド映画の配給に本格的に乗り出しました。
まずは9月15日、1982年度アボリアッツ・ファンタスティック映画祭審査員特別賞を受賞した米国オライオン社製作ホラー映画『ウルフェン』( マイケル・ウォドレー監督)を東急レックス系にて公開します。
同日に『エレファント・マン』が大ヒットし有名になったデビット・リンチ監督の『イレイザーヘッド』を新宿東急他、地方の映画館では『ウルフェン』との2本立てにて公開されました。
翌週の9月23日からは、渋谷東急レックス他全国の洋画劇場に超能力オカルト映画『スキャナーズ』(デイビッド・クローネンバーグ監督)を配給、公開しました。
9月に洋画系にて公開した3作品のうち『スキャナーズ』がヒットし、大作の『ウルフェン』を超える成績を残しました。
10月に公開したポール・ニューマン主演の大作『アパッチ砦・ ブロンクス』(ダニエル・ペトリ監督)は順調なスタートを切り、堅調な数字が見込まれました。
東映は12月、レイモンド・チョウ率いるゴールデン・ハーベスト社製作『ブルース・リー 死亡の塔』(ウン・シー・ユアン監督)を配給公開しました。
この映画はブルース・リー最後の主演『死亡遊戯』の続編として企画されますが、『燃えよドラゴン』の未使用シーンやブルース・リーの若い頃の映像などを使って編集、リーのそっくりさんタン・ロン(『ドラゴンへの道』でのリーの役名から命名)による撮影などを加えて完成させた別作品です。
シーゾナル・フィルム社製作ブルース・リャン主演、倉田保昭出演『帰ってきたドラゴン(再映)』(ウン・シー・ユアン監督)が併映されました。
ブルース・リー死亡時に一緒にいたと言われる女優ベティ・ティンペイを呼びキャンペーンを展開します。
同じく12月の12日からは、松竹と共同で買い付けたシルヴェスター・スタローン主演、神様ペレも出演したジョン・ヒューストン監督『勝利への脱出』を富士映画の配給で公開します。
東急パンテオン系で上映が始まると快調なスタートを切り、4憶3500万円の配収を上げヒットしました。
また、12月13日には来年公開予定の米・英・仏・加、4か国合作の大作『人類創生』(ジャン・ジャック・アノ―監督)のキャンペーンを新宿にて行います。
撮影で使ったマンモスの着ぐるみを実際の象に着せて原始人と共に登場させ大きな話題となりました。
2.東映ユニバースフィルム設立、ヒット
1981年12月1日、東映はフランス映画社のようなアート系の洋画などを配給する東映ユニバースフィルム株式会社を設立します。
これまで洋画配給部長だった佐藤真宏が新会社の常務取締役に転進、鈴木常承が代表取締役社長に就任するとともに再び洋画配給部長を兼務しました。
1981年12月11日、東急レクリエーションは新宿東急文化会館内に224席のミニシアターシネマスクエアとうきゅうをオープンします。
東映ユニバースは第1作配給作品『モスクワは涙を信じない』 (ウラジーミル・メニショフ監督)をシネマスクエアとうきゅうに正月第2弾として配給しました。
『モスクワは涙を信じない』は、ソ連で製作され1980年度のアカデミー外国語映画賞、翌1981年にはソビエト連邦国家賞を受賞しています。
この作品は、日本でも高い評価を獲得、第36回芸術祭優秀賞を受賞しました。
『モスクワは涙を信じない』は、1982年1月に公開されるとシネマスクエアとうきゅうの客層から高い評判を呼び、好調にスタートしロングランとなります。
2月からは全国に拡大しました。
東映ユニバースフィルムは順調なスタートを切ります。
3.洋画配給部、洋画大作配給から撤退
1982年3月、東映はブルース・リーやジャッキー・チェンなど数多くのカンフー映画の輸入や千葉真一空手映画輸出の交渉窓口となった国際部香港出張所を所期の目的を達成したため閉鎖しました。
5月、一般洋画の輸入を拡大する東映洋画配給部は、ジャン=ジャック・アノー監督の大作『人類創生』を配給、東急パンテオン他にて全国ロードショー公開します。
同日、東映ユニバースフィルムは、大ヒットしたジョン・カーペンター監督『ハロウィーン』の続編として宣伝したホラー映画『ブギーマン』(リック・ローゼンサル監督)を丸の内東映パラス他で、ドキュメンタリー映画『真紅の動輪』(小平裕監督)を東急名画座他にて配給、公開しました。
ブギーマンという言葉が話題になり、『真紅の動輪』も鉄道マニアの間で盛り上がりましたが、超目玉大作『人類創生』ともども東映にとって良い経験となります。
洋画配給部は、『クルージング』から始まった一般洋画大作配給において『ウルフェン』『アパッチ砦 ブロンクス』と多くの経験を得ました。
そして『人類創生』での勉強が加わったことで、メジャー作品の獲得の壁が高い洋画大作の配給ではなく、これまで培ってきた角川映画やアニメ映画の配給に専念することを決めます。
東映の一般洋画配給の試みは東映ユニバースフィルムのみで作品を厳選してチャレンジすることなりました。
今回は、洋画配給メジャーに対抗した東映洋画配給部の積極的チャレンジと東映ユニバースフィルムの誕生をご紹介いたしました。
次回は、時代の流れにのった東映ユニバースフィルムと、改称した東映クラシックフィルムの忘れられた?配給作品を紹介いたします。