84. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」
第15節「京都撮影所(京撮)テレビ映画再始動 後編」
⑦ 東映女性向けテレビ時代劇の誕生
1967年、好色路線を進める岡田茂京撮所長の命により、企画課長の翁長孝雄は大奥の映画化に取り組みます。脚本家大御所八木保太郎、『武士道残酷物語』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した今井正を監督に起用、二人は脚本作りに取り掛かり、歴史大作の脚本が出来上がりました。しかし、これを読んだ岡田は方向性の違いに激怒し、お蔵入りさせた後に中島貞夫を監督に作り変えを命じ、脚本家を入れ替えエロスを強調した3話オムニバスの『大奥㊙物語』が完成します。第1話は藤純子、第2話小川知子、第3話佐久間良子が主演し、山田五十鈴、岸田今日子、三益愛子など大物女優が共演したこの作品は、7月に公開されると大ヒットしました。
翌1968年に開局10周年を迎える関西テレビ(KTV)は、記念にふさわしい豪華なカラー作品を作りたいと考えていました。しかし、まだ自社でカラー作品を作る設備の無かった関西テレビは、芝田研三と岡田茂とのつながり、『仮面の忍者 赤影』で実績と信頼もできた東映に相談します。
そして、ヒットした『大奥㊙物語』を見た女子社員の意見もあり、東映が映画で培ってきた高い知識と技術、そこで作った衣裳や小道具などの豊富な時代劇資産を活用することで制作費以上の豪華さを演出できると考え、開局10周年記念シリーズ『大奥』(1968/4/6~1969/3/29)をテレビプロではなく、京都撮影所本体に制作を発注しました。
『大奥』は、土曜日夜10時半という遅い時間からのスタートでしたが、日本を代表する豪華女優陣が次々とゲスト出演したこともあり、関西ではすぐに視聴率20%を超え、人気作品となります。当初半年間の放映予定でしたが、ヒットしたことで関西テレビから延長の要求がきて1年間続き、平均視聴率は関西で23.1%、関東では17.3%、と大成功しました。
関西テレビでは、1983年、開局25周年にあたり記念番組として再び『大奥』(1983/4/5~1984/3/27)を京撮で制作し、大ヒットします。
映画『大奥㊙物語』から始まった『大奥』物はテレビシリーズで大きく花開きました。
⑧ 女性主役のアクションテレビ時代劇登場
東映では美空ひばりという不世出の大女優が主演する娯楽映画が数多く撮られました。ひばりはこれまでの女優と違い、男性に負けない殺陣に挑み、歌って踊ります。ひとつの作品の中で様々な役柄に扮装する七変化も得意としました。『ひばり捕物帖』シリーズなど、アイドルひばりの華麗な姿は大人気を集めます。勘の良いひばりは、男優顔負けの素晴らしい殺陣も披露しました。
東映城のお姫様の一人、美人女優大川恵子も映画『姫君一刀流』に主演し、颯爽と五変化しています。
時代劇映画に代わって台頭したテレビ時代劇にて、七変化と華麗な殺陣によってお茶の間の人気を集めたのは松山容子でした。日本電波映画製作大塚食品提供読売テレビ系『琴姫七変化』(1960/12/31~1962/12/29)に琴姫役で主演した松山は、2年間続いたこの作品で一躍人気スターとなり、テレビ界におけるアクションスターの先駆けと呼ばれました。
『大奥』の放映が始まった1968年、東映京都テレビプロは松山容子を主演にNET系『旅がらすくれないお仙』(1968/10/6~1969/9/28)を制作します。
この年大塚食品が売り出した「ボンカレー」のイメージキャラクターとなった松山の裾を乱しながらの華麗な殺陣と共演したスタイル抜群の大信田礼子のパンチラアクションが話題になり、女性二人バディ物お色気時代劇は、初回から視聴率20%を超え、最高視聴率は28%を記録し大ヒットとなりました。
1969年1月から裏番組に石坂浩二主演のNHK大河ドラマ『天と地と』が登場しましたが、それに負けない視聴率を獲得します。しかし、4月から日本テレビで始まったバラエティ番組『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』の野球拳が人気を集め、視聴率も下がりました。
1クールの予定で始まった『旅がらすくれないお仙』は、高視聴率が続いたことで結果4クール1年間に延びましたが、松山が降板を希望したため、花園ひろみと大信田礼子のコンビで新番組『緋剣流れ星お蘭』(1969/10/5~1970/3/29)に代ります。
この作品は2クールで終了し、大信田は東京撮影所(東撮)に移り、制作中の東京12チャンネル人気番組『プレイガール』に51話から85話(1970/3/23~11/16)までレギュラー出演、その後映画『ずべ公番長』シリーズ4作に主演しました。
1968年9月には、9作続く藤純子主演映画『緋牡丹博徒』シリーズが始まり、10月、宮園純子主演の毒婦伝シリーズ第1作『妖艶毒婦伝 般若のお百』が公開されます。
このように、1968年はテレビでKTV系『大奥』、NET系『旅がらすくれないお仙』、映画で『緋牡丹博徒』、『妖艶毒婦伝 般若のお百」と、これまで男優主演作品が中心の東映で、女優主役シリーズが大きく花開いた年でした。
⑨ 映画でおなじみ『遠山の金さん』テレビシリーズ開始
1970年7月、前進座を創設した3代目中村勘右衛門の長男で前進座のホープ4代目中村梅之助を主演にNET系にて陣出達朗原作『遠山の金さん捕物帳』(1970/7/12~1973/9/30)の放映が始まります。
「遠山の金さん」は、東横映画から始まり18作にわたって御大片岡千恵蔵が映画で演じた、東映が誇る大ヒット人気キャラクターで、1965年には『いれずみ判官』が鶴田浩二主演でリメイクされました。
『遠山の金さん』片岡千恵蔵主演映画
1950年 いれずみ判官 桜花乱舞の巻 (東横映画)
1950年 いれずみ判官 落花対決の巻 (東横映画)
1951年 女賊と判官 (東横映画)
1951年 お馴染み判官 あばれ神興 (エノケンプロ・東映)
1952年 飛びっちょ判官 (以下すべて東映)
1954年 血ざくら判官
1955年 勢ぞろい喧嘩若衆
1955年 喧嘩奉行
1955年 荒獅子判官
1956年 長脇差奉行
1957年 海賊奉行
1957年 はやぶさ奉行
1958年 火の玉奉行
1959年 たつまき奉行
1959年 江戸っ子判官とふり袖小僧
1960年 御存じいれずみ判官
1961年 さいころ奉行
1962年 さくら判官
これまでもNHKを始めとするテレビ局が『遠山の金さん』物を制作、放送しましたがヒットとはならず、短期間で終了していました。東映京都テレビプロが制作した今回は、3年間169話続く人気シリーズとなります。
この作品で人気の出た中村梅之助は、終了後、東映を離れ、日本テレビ系ユニオン映画制作『伝七捕物帳』に主演、大ヒットしました。
テレビ時代劇『遠山の金さん』は、1998年10月末に終了した松方弘樹主演『遠山の金さんVS女ねずみ』まで続く東映テレビ時代劇を代表する人気シリーズとなり、東映を支えました。
NET(テレビ朝日)系『遠山の金さん』シリーズ
4代目中村梅之助『遠山の金さん捕物帳』(1970/7/12~1973/9/30 169話)
4代目市川段四郎『ご存知遠山の金さん』(1973/10/7~1974/9/22 全51話)
橋幸夫『ご存知金さん捕物帳』(1974/9/29~1975/3/30 全27話)
杉良太郎『遠山の金さん』(1975/10/2~1977/9/29 全131話)
高橋英樹『遠山の金さん』(1982/4/8~1986/9/16 全198話)
松方弘樹『名奉行遠山の金さん』(1988/4/21~1996/3/21)
『遠山の金さんVS女ねずみ』(1997/2/1~1998/10/31 全219話)
松平健『遠山の金さん』(2007/1/16~3/20 全9話)
このように、京撮では、映画全盛期以上の数のテレビ時代劇を京撮テレビ部、京都テレビプロ、京都制作所と3部署で量産するようになりました。
そして、その後およそ20年に渡り京撮テレビ時代劇全盛期が続きます。