119.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第9節「プロデューサー黒澤満 東映ニューアクション ①松田優作と舘ひろし」
1.東映セントラルフィルム設立、松田優作・舘ひろしブレイク
1977年12月1日、岡田茂社長は、この年4月に日活を退社した黒澤満(みつる)をスカウトし、東映芸能ビデオ製作部の嘱託として雇用します。
黒澤は、1955年に早稲田大学を卒業し日活に入社。大阪の梅田日活の劇場職から劇場支配人、宣伝を経験した後に製作職に転じ、ロマンポルノ時代に製作部長、撮影所長として低予算映画を量産することで数多くの若手人材を輩出してきた辣腕プロデューサーでした。
そして12月10日、1本立て大作を製作し長期間興行へと移行する方針を固めた岡田は、そこから外れた小規模映画館への作品供給を目的として、独立プロ製作の低予算映画などを配給する東映セントラルフィルム株式会社を設立、黒澤に東映セントラルフィルムの製作部門を任せます。
岡田は、独立プロに頼るだけでなく、東映でも若手監督や新しいスターの育成することを目指し、東映セントラルフィルムを舞台として黒澤にその仕事を託しました。
翌1978年、黒澤は日活所長時代に『あばよダチ公』(澤田幸弘監督)で映画初主演した松田優作を主役に、日活出身の村川透を監督として起用、同じくプロデューサー仲間だった伊地知啓も招き東映セントラルフィルム旗揚げ第1弾『最も危険な遊戯』を製作します。
松田は、NTV系で放映された『太陽にほえろ!』のジーパン刑事として人気を集めた後、暴力事件を起こし謹慎していました。
1976年公開の東映『暴力教室』(岡本明久監督)で映画界に主演復帰した松田は、1977年1月公開の角川映画大作『人間の証明』(佐藤純彌監督)の主役に起用され、そのクールな演技で再び注目を集めます。
その年、NTV系『大都会 PARTⅡ』(1977/4/5~1978/3/28)にレギュラー出演するなどテレビでも再び活躍を始め、ファンたちは次なる主演映画を待望していました。
『最も危険な遊戯』は、1978年4月に公開され若者たちから熱烈な支持を受けて『遊戯シリーズ』(3部作)となります。
ちなみに、東映セントラルフィルムの初配給作品は、独立プロの現代ぷろだくしょんが製作した永六輔主演『春男の翔んだ空』(山田典吾監督)で1978年2月に公開されています。
『最も危険な遊戯』に次ぐ東映セントラルフィルム製作第2弾は、東映芸能ビデオとの共同製作の成人映画ハリー・リームス主演『生贄の女たち』(山本晋也監督)でした。
この作品は、東映が配給し、6月、松方弘樹主演『沖縄10年戦争』(松尾昭典監督)と同時公開されます。
『生贄の女たち』は、1975年8月に日本公開され大ヒットしたハリー・リームス主演映画『ディープ・スロート』を日本向けに再撮影編集した向井寛がプロデュースしたピンク映画で、岡田が黒澤に命じ製作第1弾の企画として関本郁夫監督で製作予定されていましたが、脚本をめぐって意見が対立、監督が交代したことによって制作が大幅に遅れてしまい、結果製作第2弾となりました。
向井はピンク映画製作会社ユニバースプロ(後に獅子プロダクション)を設立し、東映向けに低予算ピンク映画を量産しており、黒澤と同様岡田からの信頼も厚く、東映セントラルフィルムの提携プロデューサーとして活躍します。
この6月、東映芸能ビデオ製作部の部長に就任した黒澤は、松田主演のニューアクション映画が好評を博したことでアクション路線に活路を見出し、『遊戯シリーズ』第2弾、松田優作主演『殺人遊戯』(村川透監督)を製作、12月に東映セントラルフィルム配給で公開しました。
同時上映作は黒澤が製作した舘ひろし主演『皮ジャン反抗族』で、日活『野良猫ロック』シリーズの長谷部安春が監督しています。
舘は、バイク集団「クールス」のリーダーで、「クールス」は、矢沢永吉がリーダーのロックバンド「キャロル」の解散コンサートで親衛隊を務めました。
1975年、ボーカルを担当し「クールス」としてロックバンドデビューした舘は、その後岡田の勧めで俳優を目指し東映俳優センターに所属。松田優作主演『暴力教室』(1976年7月公開)にて「クールス」と共に映画デビューします。
そして9月には初主演映画、東映『男組 少年刑務所』(岡本明久監督)が公開されました。
東映セントラルフィルムは松田優作、舘ひろしというニューアクションスターを生み出しました。
ちなみにバイク集団「クールス」の結成メンバーで副団長の岩城滉一は、ロックバンドには参加せず、1975年7月東映公開の高倉健主演『新幹線大爆破』(佐藤純彌監督)で舘より先に映画デビュー、9月公開東映製作『爆発!暴走族』(石井輝男監督)にて初主演していました。
岩城主演の暴走族映画は東映でシリーズ化し、石井輝男監督で1976年1月『爆発! 暴走遊戯』、7月『暴走の季節』、小平裕が監督した『爆発! 750cc族』が9月公開と全4作製作されています。
1979年も、東映セントラルフィルムは様々な話題作を製作、配給します。
まずは、岡田の指示で向井寛(寛城)が企画した森下愛子初主演作『十代-恵子の場合-』(内藤誠監督)が、2月、東映配給で公開しました。興行的には厳しい成績でしたが森下愛子の新鮮な演技とドキュメンタリータッチの演出が高い評価を受けます。
5月、東映セントラルフィルム製作の松田優作主演『俺たちに墓はない』(村川透監督)が、根津甚八主演『その後の仁義なき戦い』(工藤栄一監督)と東映配給で同時公開されました。
『遊戯シリーズ』とは別の設定、ストーリーの『俺たちに墓はない』には岩城滉一が松田の弟分役で出演しています。
2.東映シネマサーキット(TCC)チェーン誕生
6月、東映セントラルフィルムは、向井寛の獅子プロダクションと共同製作した所ジョージ主演のコメディ映画『下落合焼とりムービー』(山本晋也監督)を東映と共同配給します。
東映は、東映セントラルフィルムが扱うような低予算新作映画をロードショー公開するため、大都市を中心とした小さな興行網・東映シネマサーキット(TCC)チェーンを構想し、その手始めに新宿東映会館を改装、新宿東映ホールを開場しました。
『下落合焼き鳥ムービー』は、TCC第1回作品として新宿東映ホールのこけら落としを飾ります。
同時上映作品は、同じく向井が獅子プロにて企画製作した、内田裕也主演『餌食』(若松孝二監督)でした。
ロックシンガーの内田は、1965年12月公開東宝『エレキの若大将』(岩内克巳監督)にて映画初出演して以来、これまでATGや日活作品に出演しており、1978年7月日活公開『エロチックな関係』(長谷部安春監督)で映画初主演を果たしています。
8月には、松田優作主演の角川春樹事務所製作『蘇る金狼』(村川透監督)が東映洋画配給にて公開されます。東映セントラルフィルムは制作協力としてクレジットされました。
この作品は大ヒット松田優作の人気がますます高まります。
そして9月から、NTV系で東映芸能ビデオ制作の松田主演テレビドラマ『探偵物語』(1979/9/18~1980/4/01)の放映が始まりました。
にっかつ撮影所で撮影され、黒澤満が企画としてクレジットされたこのアクションドラマは、今も優作ファンの間で熱く語られる松田の代表作のひとつとなります。
11月、松田優作主演『遊戯シリーズ』第3弾『処刑遊戯』(村川透監督)が東映配給でジャッキー・チェン主演『スネーキーモンキー 蛇拳』(ユエン・ウーピン監督)と同時公開されました。
前2作のヒットで予算も増額した今作は、これまでのコメディ調のコミカルな場面がなくなり、寡黙でハードな作品として人気を呼びます。
東映セントラルフィルムは、1980年、3月に高林陽一監督が企画した水原ゆう紀主演『「痴人の愛」より ナオミ』を製作配給しました。
この作品から大阪東映会館にある梅田東映ホールがTCCチェーンに組み込まれます。
続いて東映セントラルフィルムは舘ひろし主演で『薔薇の標的』(村川透監督)を製作。舘は、1979年10月から始まった石原プロモーション制作『西部警察』に1980年5月までレギュラー出演したことで人気が急上昇していました。
4月、この作品は東映配給でジャッキー・チェン主演『クレージーモンキー 笑拳』(ジャッキー・チェン監督)と同時上映されます。
1981年12月から再び『西部警察』に別役でレギュラー復帰した舘は、1983年、東映俳優センター(部長・草薙修平)を辞め、石原プロモーションに移籍しました。
石原軍団の一員となった舘は、『西部警察』最終シリーズ『 PARTⅢ』が終了する1984年10月まで出演します。
東映俳優センターを辞めても黒澤満との友好関係は続き、舘は1986年10月から始まったセントラル・アーツ制作のNTV系『あぶない刑事』に主演しました。
3.東映セントラルフィルム、独立プロ話題作配給
東映セントラルフィルムは、黒澤満や向井寛が製作した作品ばかりでなく、取締役配給部長の中西晃を中心に他の独立プロが製作した作品も配給しています。
1978年2月『春男の翔んだ空』(現代ぷろだくしょん製作・山田典吾監督・永六輔主演)から始まり、1979年4月『茗荷村見聞記』(現代ぷろだくしょん製作・山田典吾監督・長門裕之主演)、7月『わが青春のイレブン』(家城プロダクション製作・降旗康男監督・永島敏行主演)を配給してきました。
8月、日大藝術学部映画学科に在籍していた石井聰亙(現・石井岳龍)が監督し、自主映画として製作した『狂い咲きサンダーロード』を配給します。
新宿東映ホールから始まったTCCチェーンは、その後梅田東映ホール、福岡東映パラスとチェーンを拡大しており、この年7月に札幌東映ホール、8月名古屋栄町東映ホールと編入し、5館体制となりました。
『狂い咲きサンダーロード』は拡大TCCチェーン第1回作品として上映されスマッシュヒットします。
10月には、黒澤がプロデューサーとして参加した松田優作主演の角川映画『野獣死すべし』(村川透監督)が公開されました。
そして、11月11日、東映芸能ビデオは子会社として株式会社セントラル・アーツを設立、黒澤が取締役社長に就任します。
次回は、東映セントラルフィルムの配給作品とセントラル・アーツでの黒澤の仕事をご紹介いたします。