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67. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」
第10節「東映100年に向けて 次なる事業への取り組み ④」
1960年代に入り、テレビの普及や日活アクション映画の躍進、黒澤明監督『用心棒』『椿三十郎』の衝撃、第二東映事業による量産の結果が招いた質の低下などによって、これまで東映を支えて来た両御大を中心とする定番時代劇映画が苦戦し始めました。
そこから東映は、以前ご紹介したような新しい時代劇へのチャレンジがはじまるとともに、両御大を始めとする東映スターによる舞台公演、東映歌舞伎に取り組みます。
今回は児童演劇研修所から始まり、東映歌舞伎興行を経て俳優育成・マネージメント会社として独立する東映芸能をご紹介いたします。
⑦俳優育成、マネージメント事業:東映芸能株式会社 前編
映画会社である東映は1951年の設立以来、常に新たなスターや俳優を求めてきました。
その試みの一つが1953年から始まった東映ニューフェイスオーディションです。これは、戦後すぐの1946年に、三船敏郎や久我美子などを輩出した東宝ニューフェイスオーディションを取り入れたものでした。
オーディションに選ばれた人々は東映に所属し、半年間にわたる俳優座などでの研修の後に東西の撮影所に配属され、そこから俳優としての一歩を踏み出します。
ここから、高倉健や里見浩太朗、千葉真一、梅宮辰夫、佐久間良子などそうそうたるスターが誕生しました。
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しかし、映画はスターだけでなく、様々な役を演ずる多くの俳優が存在して成り立つものであり、1958年7月、東映は俳優育成のために株式会社東映児童演劇研究所を設立し、2年間にわたる研修生を広く募集します。 そして、9月20日、550名の応募者の中から、小学3年生から高校1年生まで74名の第1回研修生を迎え、東京撮影所内にて入所式を開催しました。
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74名からスタートした研修生は、1年後には100名を超え、1954年3月公開『少年探偵団』には多くの研修生が出演し、その年開局したNETテレビで4月に放送を開始した『コロちゃんの大冒険』では研修生中西一夫が主役を務めるなど、どんどんと活動の幅を広げていきます。
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中でも、4月公開『名犬物語・断崖の少年』では第1期研修生住田知仁(現・風間杜夫)が子役で主演するなど、研修生たちのめざましい活躍と実力が認められ、東映東京撮影所作品における児童の出演はすべて研修所の生徒が当たることになりました。
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第1期の主な研修生としては、風間杜夫、本間千代子、松岡きっこ、大川栄子、桑原幸子、前川陽子などがいます。
1960年10月、第1期生52名が満2年に渡る研修を終了し、研修所所属の東映児童劇団を結成、修了生全員で東映教育映画児童劇映画・西原孝監督『努力賞』が製作されました。
それからも、東映児童演劇研修所は毎年堅実に俳優を育成、数多くの卒業生が東映児童劇団員となり、その後、東映所属俳優として幅広く活躍していきます。
1962年、年頭挨拶にて大川は、本年8月に東京で時代劇スターたちによる東映歌舞伎を行う考えを述べ、3月には正式に開催を決定、そのための歌舞伎準備委員会を立ち上げたことを語りました。
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5月11日、東映本社にて社長による記者会見を行い、8月の25日間、明治座にて東映歌舞伎の旗揚げを正式に発表。片岡千恵蔵、市川右太衛門、大川橋蔵、大友柳太朗、東千代之介、里見浩太郎など東映時代劇スターの出演が告げられます。
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そして8月を迎え、東映歌舞伎第1回公演は2日から26日までの25日間、高額料金に関わらず連日満員盛況が続き、成功裡に千秋楽を終えることができました。
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東映歌舞伎は、明治座のこれまでの公演記録を次々と塗り替えます。
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翌1963年6月には、第2回東映歌舞伎を8月に明治座で開催することを発表。今回は市川右太衛門、大川橋蔵、大友柳太朗、若手の松方弘樹、里見浩太郎などが出演し、盛況に終了。東映歌舞伎は、右太衛門、橋蔵を中心に明治座の名物企画として定着して行きました。
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1964年第3回東映歌舞伎も5月に開催が発表され、市川右太衛門、大川橋蔵、近衛十四郎、北大路欣也らが出演した8月の公演は成功裡に終わり、翌年から正月と夏の年2回の開催が決まります。
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第4回東映歌舞伎は12月に発表が行われ、市川右太衛門、大川橋蔵、里見浩太郎らが出演し、翌1965年1月3日より開催。初の正月公演も盛況に終わりました。
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5月28日、第5回東映歌舞伎の発表会が行われ、市川右太衛門、大川橋蔵、近衛十四郎らの出演と予定演目が公開されます。
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夏の第5回公演終了後の9月、歌舞伎委員会の改組が行われます。
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そして、大川は、東映歌舞伎をはじめとする実演や広告出演など俳優に関する演劇活動の拡大を鑑み、10月16日、芸能事業のより一層の飛躍を目指すために、本社製作本部から離し、独立した新規事業として辻野力弥を専務に据え東映芸能株式会社を発足。大人から子供まで東映所属俳優の芸能活動をまとめてマネージメントできるよう、その会社に東映児童演劇研修所も吸収させました。
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東映芸能は11月、市川右太衛門、大川橋蔵、東千代之介らが出演する翌1966年正月の第6回東映歌舞伎新春公演を発表します。
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しかし、マンネリもあり、興行成績は芳しくなく、新年あいさつで大川は新会社の奮起による芸能事業拡大への期待を述べました。
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東映芸能辻野専務も年頭にあたり、新規スターの発掘、東映歌謡音楽教室の設立、新劇団の旗揚げ、東映フェスティバルの開催、海外公演、レコード事業への進出、など新しい取り組みへの積極的展開について語りました。
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東映芸能は昨年末、新宿東映中2階に東映歌謡音楽教室を開設し、レコード音楽業界でのスター作りもチャレンジします。
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6月には、日劇で松方弘樹による歌と芝居のワンマンショーを開催。その大舞台で東映歌謡音楽教室第1期生で東映芸能所属「歌うタレント」第1号・天野紀代子と東映児童演劇研修所から生まれたヤングフレッシュをデビューさせました。
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その後、ヤング・フレッシュはコーラスグループとしてアニメや特撮の主題歌を数多く担当し、その歌声は多くの人々の記憶に残っています。
アニメ・CMソング界の女王前川陽子や女優児島美ゆきなども一時参加していました。
ーヤング・フレッシュ 主な作品ー
・1967年フジテレビ『悟空の大冒険』オープニング「悟空の大冒険マーチ」・エンディング「悟空が好き好き」
・1967年関西テレビ『仮面の忍者 赤影』主題歌「忍者マーチ」
・1968年NET『河童の三平 妖怪大作戦』主題歌「妖怪大作戦」
・1970年朝日放送『ふしぎなメルモ』オープニング「ふしぎなメルモ」
・1975年NET『一休さん』オープニング「とんちんかんちん一休さん」
また、東映芸能はこの年、児童部門だけでなく若手俳優の育成を目的とする東映演技研究所の設立を発表。研修生募集を始め、6月11日、東京撮影所で本科84名、別科(夜間)58名の入所式を行います。
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演劇部門でも新しい試みとして、1966年5月、東京を離れて名古屋御園座で26日間の東映歌舞伎名古屋公演を開催しました。
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6月には8月開催予定の第7回東映歌舞伎の発表記者会見が本社で行われ、市川右太衛門、東千代之介、体調不良の大川橋蔵に変わり、第1回公演以来の片岡千恵蔵、テレビで人気の中村竹弥の出演が公表されました。
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東映芸能は7月16日付けで機構を改正し、辻野専務の下に演劇、芸能のプロデューサーを置くプロデューサー制度を採用。企画課を新設します。
新たなスター候補として中田博久、大川栄子、二人の新人俳優を専属傘下に置きました。中田は1967年4月から始まるTBS『宇宙特撮シリーズ キャプテンウルトラ』で主役に抜擢されます。
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1966年には、市川右太衛門、中村錦之助、北大路欣也ら大物時代劇映画スターたちが東映を退社。映画は鶴田浩二、高倉健の任侠映画が中心となり、時代劇は大川橋蔵の『銭形平次』、近衛十四郎『素浪人 月影兵庫』などテレビに移って人気を博すようになりました。
そのため、1966年8月の第8回東映歌舞伎は大川橋蔵、近衛十四郎、松方弘樹、東千代之介の出演となります。
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1967年、東映は次世代スターを作るべく、梅宮辰夫、千葉真一、松方弘樹など若手俳優の売り出しに乗り出します。
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6月には大阪新歌舞伎座にて松方弘樹と藤純子のフレッシュコンビに片岡千恵蔵、近衛十四郎のベテランが加わった東映劇団・新歌舞伎座6月公演が25日間行われ、『素浪人花山大吉』などテレビで大人気の演目もあり好評を博しました。
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6月に発表された1967年度の第9回東映歌舞伎も大友柳太朗、東千代之介に加え、梅宮辰夫、倉丘伸太郎、松山容子ら若手出演者に衣替えします。
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迎えた8月、公演での若手の奮闘もむなしく、第9回をもって明治座東映歌舞伎公演は終焉を迎えました。
東映歌舞伎が終了した大川率いる東映芸能。引き続きは次回後編にて。