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102.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第5節「東映ゼネラルプロデューサー岡田茂・映画企画の歩み④不良映画」
4.岡田茂の好色現代劇路線:東撮(東京撮影所)不良映画
1960年、「石原裕次郎に挑戦する男」のキャッチフレーズで第二東映のトップスターとして大々的に売り出された波多伸二が、東撮4番目の主演予定作品若林栄二郎監督『殺られてたまるか』の撮影に必要なオートバイの練習中、事故死しました。その代役として主演の座をつかんだのが第5期東映ニューフェースの梅宮辰夫でした。
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三田佳子の女優デビュー作でもあったこの作品がヒットし、梅宮と三田に注目が集まります。
① 梅宮辰夫主演『夜の青春シリーズ』
ギャング映画などしばらく硬派作品に出演していた梅宮でしたが、不良映画志向の岡田はプレイボーイの噂の高かった梅宮に白羽の矢を当て、夜の街を舞台にした成人映画関川秀雄監督『ひも』で緑魔子の相手役に抜擢しました。
ポスターでもわかるようにプライベートで負った頬の傷がプレイボーイ梅宮のリアル感を一層高め、話題を呼びます。
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前回にご紹介いたしました梅宮辰夫の成人映画『夜の青春シリーズ』は任俠映画の併映作として人気を集め、任侠映画スターの鶴田と合わせて「男を泣かせる鶴田、女を泣かせる梅宮」と言われました。
『夜の青春シリーズ』でプレイボーイとしての不良イメージが定着した梅宮は、そこから次々と不良映画シリーズに主演し、東撮の新スターとなって行きます。
② 梅宮辰夫主演『夜の歌謡シリーズ』
『夜の青春シリーズ』は、1966年6月公開第7作『夜の青春シリーズ 赤い夜光虫』で終了。その後しばらくギャング映画や任俠映画に出演していた梅宮は、翌1967年9月公開された、美川憲一のヒット曲を映画化した村山新治監督『9時から5時までの夜シリーズ 柳ヶ瀬ブルース』に主演、日活の野川由美子が相手役を務めました。
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『夜の青春シリーズ』と同じく東撮プロデューサーの園田実彦(みつひこ)が企画、成沢昌茂が脚本を書いたこの映画は、京都撮影所(京撮)『日本侠客伝 斬りこみ』に併映され、ヒットします。
1924年、当時の流行歌を映画化した帝国キネマ『籠の鳥』の大成功以来、ヒット曲の映画化が数多く行われ、逆に、映画の主題歌などが大ヒットする事例も多く出て、音楽界と映画界はその歴史と共に密接に関係してきました。
第1作の美川憲一『柳ヶ瀬ブルース』の後、園田は、梅宮主演第2作として再び野川を相手役に選び、森進一が歌う『盛り場ブルース』を小西通雄監督で映画化します。
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鶴田浩二主演の任俠映画『侠客列伝』に併映されたこの作品も、1968年8月に公開されると大ヒットしました。
2作続けての成功で第3作からタイトルに『夜の歌謡シリーズ』という名を冠し、10月、森進一のヒット曲を映画化した鷹森立一監督『夜の歌謡シリーズ 命かれても』を公開します。
梅宮主演で城野ゆきなどを相手役に起用したこの映画は、内田吐夢監督任侠映画大作『人生劇場 飛車角と吉良常』に併映され、大ヒットしました。
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続けて、12月に第4作、相手役宮園純子で梅宮主演、青江三奈の大ヒット曲、村山新治監督『夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース』を公開します。
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梅宮の怪我で代役として松方弘樹が主演し相手役を宮園純子が務めた1969年4月公開の第5作は、青江三奈のヒット曲、鷹森立一監督『夜の歌謡シリーズ 長崎ブルース』でした。
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その後、『夜の歌謡シリーズ』第6作として森進一のヒット曲を映画化し、野川が主演、梅宮が助演した鷹森立一監督『夜の歌謡シリーズ 港町ブルース』を7月に公開します。
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プロデューサーの園田がこの作品の撮影中に東映を離れたため、次作以降は吉峰甲子夫他のプロデューサーが引き継ぎました。
この後、日活に移籍した園田は、永井豪原作『ハレンチ学園』を映画化し大ヒットさせます。
第7作は8月、青江三奈が歌う「気まぐれブルース」を主題歌に、主演の梅宮と宮園純子で鷹森立一監督『夜の歌謡シリーズ 悪党ブルース』、森進一の歌で11月に第8作、野川由美子主演梅宮助演の鷹森立一監督『夜の歌謡シリーズ おんな』と公開が続きました。
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ここまで8作続いた人気シリーズも『夜の歌謡シリーズ おんな』の後,
しばらく休止します。
次の第9作は、4年後の1973年4月公開、中島ゆたかを相手役に梅宮の主演、山口和彦監督でぴんからトリオの 『夜の歌謡シリーズ 女のみち』となりました。
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続く第10作から梅宮は降板し、8月中島ゆたか主演で八代亜紀の大ヒット曲『夜の歌謡シリーズ なみだ恋』斎藤武市監督、1974年4月『夜の演歌 しのび恋』と続きます。
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1967年9月に始まった梅宮主演の東撮『夜の歌謡シリーズ』は、任俠映画などの併映作として1974年4月までおよそ7年間にわたり計11作で終了しました。
② 梅宮辰夫主演『不良番長シリーズ』誕生
梅宮主演の『夜の青春シリーズ』が終了し、新たに『夜の歌謡シリーズ』2作目が公開された後の1968年10月、梅宮を代表する人気シリーズとなる『不良番長』が幕を開けます。
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1968年5月に映画企画本部長、9月には映画本部長に就任し、映画部門の全権を任された岡田茂は、ピーター・フォンダ主演『ワイルド・エンジェル』、トム・ローリン主演『地獄の天使』、マーロン・ブランド主演『乱暴者(あばれもの)』などを見て、東撮の吉田達(とおる)に日本版不良バイク集団映画の企画を命じました。
そして、吉田から提出された企画にいつものように自らネーミングした作品が『不良番長』です。
岡田の部屋に、吉田と共に呼ばれ主演を告げられた梅宮は、「お前にピッタリの役、お前にしかできない役」と言われ、まさに自分の適役と思える映画にハッスルしました。また、この作品で石井輝男の弟子野田幸男が監督デビューしました。
岡田の標榜する不良性感度満点の低予算映画は、10月、岡田肝入りの映画、京撮の石井輝男監督『徳川女刑罰史』に併映され、この年一番の大ヒットを記録します。
ここから、17作続く東撮の名物映画シリーズ『不良番長』が誕生しました。
梅宮演じる番長・神坂弘の名前は同じですが、各回仲間たちは殺されてしまうのでストーリーのつながりはありません。
この第1作は成人映画に指定されましたが、これ以降は一般映画として公開されます。
第2作、菅原文太や宮園純子、千葉真一、谷隼人などが共演した野田監督『不良番長 猪の鹿お蝶 』は、翌1969年1月、中島貞夫監督の『にっぽん’69 セックス猟奇地帯』に併映され、前作に続けてヒットしました。
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第3作『不良番長 練鑑ブルース』は、梅宮の怪我のため他作品との出演調整が必要となり撮影開始が遅れたことで6月の公開となります。
今作からカポネ団という梅宮番長率いる不良グループの名前が登場。梅宮歌う「番長シャロック」という『不良番長シリーズ』のテーマソングも誕生しました。
ちなみにシャロックとはシャッフルとロックを掛け合わせた音楽用語です。当時中尾ミエの「恋のシャロック」「シャロックNO.1」という歌もありました。
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続けて7月、藤純子の『日本女俠伝 侠客芸者』の併映で公開された第4作『不良番長 送り狼』はこれまで助監督だった内藤誠が監督します。
前作から出演していた山城新伍がこの作品からカポネ団の一員としてレギュラー出演し、以降、コメディー色を強めて行くことによって、気楽に楽しめる併映作品として息の長いシリーズとなりました。
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1970年4月公開第7作『不良番長 一獲千金』では、映画初出演の和田アキ子と大信田礼子が出演します。
この作品の後、日活で和田が主演する女番長映画が公開され人気を呼びました。
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大信田は8月公開第8作『不良番長 出たとこ勝負』、9月に『ずべ公番長 夢は夜ひらく』に主演の後、12月公開第10作『不良番長 口から出まかせ』にも出演します。
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梅宮主演の『不良番長シリーズ』は、1972年12月公開の第16作、野田監督『不良番長 骨までしゃぶれ』まで4年間にわたって人気を集めました。
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この『不良番長シリーズ』16作の企画は吉田・矢部恒の二人もしくはどちらかが担当し、すべての脚本を松本功・山本英明のコンビが手掛けています。
軽快な音楽は八木正生が14作担当、監督は野田が11作、内藤が5作演出しました。
また、番外編として1974年11月公開で、若山富三郎主演の『極道シリーズ』との共作、山下耕作監督『極道VS不良番長』が京撮にて製作され、合わせて17作のロングシリーズとなります。
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番外編も入れて全シリーズ17作のうち、山城新伍は15作に出演、鈴木やすしの12作、前半9作出演のタニ―こと谷隼人、後半の9作安岡力也、8作菅原文太、前半7作夏珠美、そして13作出演したコメディアン由利徹などが常連出演者でした。
③ 梅宮辰夫『夜の帝王シリーズ』
1969年11月『夜の歌謡シリーズ おんな』で『夜の歌謡シリーズ』が一時終了した後、岡田の指示で自身でネーミングした梅宮主演の『夜遊びの帝王』が企画されます。
日活から斎藤武市監督を呼び、梅宮と仲の良い山城新伍が共演し製作されたこの作品は、1970年7月に公開されました。
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高倉健主演の『遊侠列伝』に併映されると大ヒットし、夜の帝王・梅宮の『帝王シリーズ』となります。
第2作『女たらしの帝王』も斎藤武市が監督し、9月に公開されました。
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第3作からは内藤誠が監督し、『未亡人(ごけ)ごろしの帝王』(1971年5月)、第4作『ポルノの帝王』(1971年12月)、第5作『ポルノの帝王 失神トルコ風呂』(1972年6月)と5作まで続きます。
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岡田がタイトルを付けたこれら5作の『帝王シリーズ』は、『不良番長』でも仲良くコンビを組む山城新伍がレギュラー出演し、梅宮が主題歌「シンボルロック」を歌いました。
岡田が目をかけた梅宮は『夜の青春シリーズ』の後、『夜の歌謡』、『不良番長』、『帝王』と3種の不良映画シリーズを同時に進め、東撮で大活躍します。
大車輪の働きをする梅宮は、1972年にクラウディア・ヴィクトリアと再婚、そして娘アンナが生まれたのを契機に、1973年、『仁義なき戦い』から始まった実録映画に出演、コワモテの存在感ある役で注目を集めて行きました。
好事魔多し。1974年、梅宮はガンを発症し抗ガン剤治療を余儀なくされます。治療が功を奏し、復帰してからはこれを機会に夜遊びも止め家族との時間を大事にするようになりました。
この年を最後にプレイボーイ役は卒業し、これ以降、やくざ映画に出演しつつも、テレビドラマで渋い大人、優しいアンナパパ、頼りがいのある上司役などを演じ、かつての不良イメージを一新します。
また趣味の釣りや料理などを活かし、バラエティー番組にも出演するなど人気タレントとして大活躍をしました。
④ 大信田礼子『ずべ公番長シリーズ』
日活の1970年5月公開長谷部安春監督・和田アキ子主演『女番長 野良猫ロック』のヒットを見た東撮プロデューサー吉峰甲子夫は、大信田礼子を主役に山口和彦監督『ずべ公番長 夢は夜ひらく』を企画します。
大信田は、東映京都テレビプロが制作する松山容子主演『旅がらすくれないお仙』(NET系1968/10/6~1969/9/28)のかみなりお銀役や沢たまき主演『プレイガール』(東京12チャンネル系1970/03/23~1971/5/17)の太田礼子役でのお色気アクションで人気が出て、梅宮の『不良番長シリーズ』や宮園の『妖艶毒婦伝 お勝シリーズ』にも出演しました。
この作品の「ずべ公」とは不良の女性を指す言葉で、『ずべ公番長』とは『女性版不良番長』のことです。それに宇多田ヒカルの母藤圭子のヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」を主題歌としてタイトルにした、いわば『夜の歌謡シリーズ』+『 女性版不良番長』といった作品でした。
主役のハマグレおリカこと影山リカを演じる大信田は賀川雪絵、橘ますみと赤城女子学園出身不良トリオを組み、コメディアンの左とん平、南利明に加え、梅宮辰夫、宮園純子、谷隼人、夏純子、五十嵐じゅんなど人気俳優に、ゴールデンハーフや藤純子もゲスト出演しています。
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高倉健主演『昭和残侠伝 死んで貰います』に併映されると派手なアクションが人気を呼びヒット、シリーズ化されました。
1970年12月公開第2作『ずべ公番長 東京流れ者』では大ヒット曲『東京流れ者』が主題歌で、8月にCBSソニーから「女の学校」で歌手デビューした大信田が歌います。
賀川、橘と左のレギュラーメンバーに、今作は渡瀬恒彦、コメディアンでは南利明、由利徹、人見明、大泉滉、トリオスカイラインなどが出演しました。
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1971年3月公開第3作『ずべ公番長 はまぐれ数え唄』のタイトルは、大信田礼子が歌ったこの映画の主題歌です。今作では賀川はライバルZ団の番長役でした。左、由利にトリオスカイラインが出演しています。
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1971年4月公開第4作『ずべ公番長 ざんげの値打ちもない』は北原ミレイのヒット曲がタイトルです。出演者は賀川、橘、左のレギュラーに、伴淳三郎、南利明、東八郎、大泉滉、太古八郎、世志凡太のコメディアン、往年の大歌手笠置シズ子、相手役は渡瀬でした。
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5月、大信田礼子はCBSソニーから「女はそれをがまんできない」、11月「ノックは無用」とレコードを出しヒットします。
歌手活動を中心に活動し始めた大信田は1973年2月『同棲時代』で大ヒットをとばしました。
『ずべ公番長シリーズ』が終了した後、大川博が逝去し、岡田茂が新社長に就任したことで、過激好色路線を歩み出し、女番長や不良少女シリーズも池玲子や杉本美樹を中心に、より一層過激化します。
次回は、天尾完次プロデューサー、石井輝男・鈴木則文両監督による岡田過激好色路線映画について述べます。
トップ写真:1970年『不良番長 口から出まかせ』スナップ写真
左から菅原文太・梅宮辰夫・小林千枝・ルーキー新一・団巌・大信田礼子・安岡力也・山城新伍